ある公爵令嬢の死に様

鈴木 桜

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第1章 理不尽への抵抗

第1話 生贄令嬢と護衛騎士

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 余命十八年。
 私の運命は決まっていた、生まれた瞬間に。

 祖国を守るため、生贄として神に捧げられる。
 それが私という命の意味。

 いかに気高く死ぬか。
 それが私の、人生の命題。

 ──それでも、私は。



 * * *



 騎士エラルドは、失敗した。

 由緒正しい騎士の家系に生まれた彼は、順風満帆な人生を送っていた。
 黒い髪に黒い瞳の快活な少年だったエラルドは、父や兄にならって六歳で騎士見習いとなった。
 王立騎士団の正騎士になったのは十八歳のとき。
 数か月前に二十歳の誕生日を迎えると、小隊を一つ任されることになった。

 彼は、騎士として出世街道を駆け上がっていたのに。
 とある出来事をきっかけに、彼の人生に影が差した。

 この国では、秋の豊穣を祈る神事の一環として国王の前で騎士たちが剣技を競う大会が年に一回開かれる。

 その御前試合で、やってしまった。

 うっかり。
 本当にうっかり。
 第一王子との試合で勝利してしまったのだ。

 御前試合には仕来りとして王族も参加する。
 王族の参加はあくまでも形式的なものであり、王族と試合をする騎士は勝利を譲らなければならないという不文律があった。

 それなのに。

 王子の鋭い突きを辛くも避けた次の瞬間、彼の小手に木剣を打ち込んでしまったのだ。
 小手をしたたかに打たれた王子は剣を取り落とし、エラルドの勝利が宣言された。

(そうしなければ、殺されていた)

 そう感じてしまうほどの気合いで王子は試合に臨んでいた。それゆえ、エラルドはうっかり加減をするのを忘れてしまったのだ。

 王子は悔しそうな表情で試合会場を後にし、残されたエラルドは真っ青な顔で立ち尽くした。



 それが、三日前の出来事で。
 今日、エラルドは騎士団長から異動を言い渡された。

 騎士団本隊の小隊長の任を解かれ、要人の警護を担当する部署への異動だった。
 要人警護と言えば聞こえはいい。
 だが、警護対象は「王族」ではなく、「要人」だ。
 何らかの理由があって護衛が必要な貴族を護衛する。つまり、国の中枢からは完全に外れた場所での仕事。

 体のいい、左遷だった。

 そして彼が派遣されたのは、とある公爵家だった。
 国内でも随一の大貴族だ。当代の公爵は切れ者として有名で、国政でも権威を振っている。
 だがエラルドが護衛を任されたのは公爵家当主ではなく、その長女だった。

 アイセル・マクノートン公爵令嬢。
 この国でその名を知らぬ人などいない、
 ──悲劇の令嬢。
 その護衛を務めることになったのだった。



「エラルド・カーンズと申します。よろしくお願いいたします!」

 エラルドの挨拶に、アイセルは一瞥すらしなかった。

 美しい女性だった。
 透けるような金の髪に、金の瞳。
 何もかもがキラキラと輝く、高貴な人。

 それが彼女に対するエラルドの第一印象。
 言葉をかけられなかったことすら、彼女の印象からすれば自然なことのように思えた。

 それほどの気高さを湛えた人だった。
 同時に、彼女にはそこはかとない儚さがあった。

「儀式の日まで、護衛を担当させていただきます」

 改めて礼をとると、ようやくアイセルの瞳がチラリとエラルドの方に向けられた。
 午後の日差しに照らされて、金の瞳の奥がきらりと光る。

「たった半年のために、ご苦労なことです」

 これには返す言葉がなかった。

 彼女は半年後、十八歳の誕生日を迎える。
 同時に、生贄として神に捧げられる。

 ──彼女は死ぬ。そう決まっているのだ。



 * * *



 彼らの祖国、リヴェルシア王国には、神が在る。

 約三千年前、天空に住まう神を地上に招いたのがその始まりだ。
 愛と優しさに満ちた人間との暮らしを気に入った神は、悪人の立ち入りを禁じる結界を築き、その内側に楽園を創った。
 さらに神は愛する人間の娘に王冠を与え、リヴェルシア王家が誕生し、楽園は国となった。

 今も、リヴェルシア王国は神の結界に守られている。

 この国や人に悪意を持つ者がその結界を通ろうとすると神の炎に焼かれてしまう。
 外敵からの侵略を心配する必要がない、穏やかで優しい国。
 それが、彼らの祖国だ。

 だが、この結界には欠点があった。
 生贄が必要だったのだ。

『神に愛された証、黄金の瞳をもって生まれた娘は、十八の誕生日を迎える日、神のもとに還らねばならない』

 それが、神が定めたルールだった。
 金の瞳をもつ娘は、約百年に一度の頻度で生まれた。
 彼女らは例外なく、全員、生贄として神に捧げられた。

 そして十七年と半年前、金の瞳を携えて生まれたのが、アイセルだった。



 * * *



 エラルドの仕事は護衛とは名ばかり。
 ただの見張りだ。
 彼女が生贄としての務めを果たすため、十八の誕生日に必ず神殿に送り届ける。
 それがエラルドに与えられた仕事だ。

 後味の悪い思いをするに違いない。
 そんな誰もやりたがらない仕事を、押し付けられたのだ。

「……短い間ではありますが、精一杯務めさせていただきます」
「そうですか。では、私の視界から消えてください」
「……承知いたしました」

 これが、二人が最初に交わした会話だった。

 エラルドは彼女に言われた通り、常に彼女からは見えない場所に控えた。
 声をかけることもせず、ただ彼女を見守り続けた。
 彼にできることは、それだけだったのだ。



 そんな彼女が次にエラルドに声をかけたのは、それから一週間後のことだった。

 時間は深夜。
 エラルドはアイセルの寝室の控えの間で不寝番をしていた。
 そこに、黒いマントを被ったアイセルがやって来たのだ。

「どうなさいましたか」

 尋常ではない様子に、エラルドは慌てて彼女の前に膝をついた。

「一度だけでいい。……外の世界を見たいの」

 ぽつり。
 バラのように真っ赤に色づく美しい唇からこぼれたのは、ささやかな願いだった。

 正直、迷った。
 アイセルのことは気の毒だと思う。
 だが、それだけだ。

 エラルドにとっては仕事として出会った、ただの護衛対象でしかない。
 いくら彼女が不遇の運命を抱えているといっても、それはそれだ。
 護衛騎士として、彼女を外に連れ出すことなどできない。

 だが。

 金の瞳から、ポロリと涙がこぼれた。
 その姿に、胸の奥が打ち震えたのもまた、事実だった。

「……承知いたしました」

 少しの逡巡の後、エラルドが答えた。
 それを聞いて、アイセルの表情がパッと明るくなる。

「よいのですか?」
「私はあなたの護衛騎士ですから。あなたの願いを叶えるのも、私の仕事です」

 そう自分を納得させることにしたのだ。

 エラルドは密かにアイセルを屋敷の外に連れ出した。
 彼は公爵家の警備体制について完全に把握していたので、その穴を突いて抜け出すことはそれほど難しいことではなかった。

 徒歩で屋敷から離れ、騎士団の宿舎から馬を盗み、アイセルを乗せて王都の外に飛び出した。

 星と月が輝く夜空の下を、西へ西へと駆けた。

 たどり着いたのは、小さな湖。
 エラルドの故郷のすぐ近くだった。

「ここは……」
「私が幼い頃に遊んだ場所です」

 アイセルの手を引いて、湖畔を歩く。
 二人の周りには、小さな光がポツポツと灯り始めた。

「蛍ですね」
「これが?……キレイ」

 エラルドは、蛍の光に照らされるアイセルの横顔をじっと見つめた。

 ただ、気高い人だと思っていた。
 その人が、少女のように無邪気に笑っている。

 ドキドキと心臓が音を立てた。

「ありがとう、連れて来てくれて」
「いえ」
「あなたが初めてよ、私の願いを叶えてくれたのは」

 それはそうだろうと、エラルドは思った。
 彼女は国の命運を背負う、重要人物だ。
 こうして外に連れ出したことが露見すれば、処罰は免れない。

 それが分かっていても、エラルドは彼女の願いを叶えずにはいられなかったのだ。

(武骨一辺に生きてきた自分に、まさかこんな気持ちがあったとは)

「ほんとうに、ありがとう」

 蛍が舞う夜の湖畔。
 そんな幻想的な風景の中、少女がほほ笑んだ。



 次の瞬間だった。



 エラルドは後頭部に強い衝撃を受け、気を失った。



 * * *



「あら、目が覚めた?」

 目覚めは最悪だった。
 ガタゴトと揺れる板の上に直接寝かされていた身体は、両手も両足も縄で縛られた情けない格好で。

「悪いけど、付き合ってもらうわよ」

 あの気高さや儚さは、いったいどこに行ってしまったのか。アイセルはニヤリと不敵に笑って、エラルドを見つめている。

「いったい、どういうことですか?」

 幌の隙間からは、明るい日差しが差し込んでくる。

 その陽光を受けて、金の瞳の奥がきらりと輝いた。
 初めて会ったときは、ただ美しく儚い、彼女の悲運の象徴だった瞳が。
 今は確かな意思を持ってエラルドを見つめている。

「私は、死にたくないの」

 これがアイセルとエラルド、生贄令嬢と護衛騎士の、逃避行の始まりだった──。






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