ある公爵令嬢の死に様

鈴木 桜

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第1章 理不尽への抵抗

第2話 生贄日記

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 まったく状況が飲み込めない。

 エラルドは両手両足を縄で縛られた格好で馬車の床に転がされている。
 しかも貴族が乗るような立派な馬車ではない。幌がついてはいるが、質素な荷馬車だ。

 そして彼の前には「死にたくない」と言って不敵にほほ笑む、護衛対象の公爵令嬢、アイセル。

「……これを、あなたが?」

 まさかそんなはずはない。
 だがそれ以外に考えられず、思わずといった様子でエラルドが尋ねると、アイセルがニコリと笑みを深くした。

「そうよ。あなたを昏倒させて、縛り上げて、この馬車に乗せたの」
「その細腕で?」
「おかしいかしら?」

 おかしいことだらけだ。
 エラルドは左遷されたとはいえ、出世の第一線で活躍していた騎士だ。剣術の腕前だけなら、王立騎士団の中でも十本の指に入る。

 そんな自分を昏倒させた?
 深窓の令嬢が?

 エラルドの頭は疑問だらけだ。

「……他に仲間がいるのですか?」
「まさか。そんなの無理だって、あなたなら知っているでしょう?」

 その通りだ。
 彼女は国を守るために十八歳の誕生日に生贄にならなければならない。その特質上、日ごろの行動から交友関係まで、あらゆることを管理されていた。

 そんな中で逃亡を企てたうえ、仲間を見つけることなど不可能に近い。
 彼女の言う通り、全てを一人でやったのだろうか。
 だが、それもまた不可能だ。

 運よくエラルドを昏倒させることができたとして、彼を荷馬車に乗せることは不可能だ。二人にはそれほどの体重差がある。
 それに、今まさに馬車が動いている。
 ということは、御者席には誰かがいるはずなのだ。

 そんなことを考えた次の瞬間だった。

 ──ガタンッ!

 馬車が大きく揺れた。同時に馬の嘶きがあたりに響き、馬車が足を止める。

「あらあら。何事かしら?」

 アイセルは大して慌てもせずにゆったりとした仕草で幌をめくった。
 その向こうに、オオカミの群れが迫ってくるのがエラルドにもはっきりと見えた。
 どうやら馬車は主要な街道ではなく人気の全くない谷道を進んでいたらしい。谷川の対岸から十数頭のオオカミが迫ろうとしている。

「縄をほどいてください!」
「いやよ。私のことを連れ戻そうとするでしょ?」
「そんなことを言っている場合ですか!」

 そんな言い争いをしている間にも最初の一頭が川を渡り終えた。

「はやく! 剣を!」

 エラルドが叫ぶ。
 だが、やはりアイセルに慌てた様子はなく。

 ほう、と。
 たおやかに、一つ息を吐いた。

 そして、マントの隙間から何かを取り出した。
 手のひらくらいの大きさで皮の表紙が張られた、古めかしい本だった。
 だが、本というにはあまりにもみすぼらしい。
 タイトルの印字はなく、皮の表紙はところどころ擦り切れている。

「さてと。オオカミを追い払うには……」

 アイセルは細い指でパラパラとページをめくった。
 かさついた古い紙の音がやけに耳につく。
 ややあってアイセルはピタリと手を止め、そのページをじっくりと見つめた。

 オオカミの爪が、馬車の車輪にかかる。

(もうだめだ!)

 エラルドが心の中で叫んだ。

「“眠れ”」

 彼女の赤い唇から発せられたのは、不思議な言葉だった。聞いたことのない言語、だが、その意味はなぜか理解することができた。
 同時に、彼女の身体から不思議な光があふれ出した。金色のようにも見えるし、虹色のようにも見える。不思議な光がのきらめきの中を彼女の髪が舞う。

 幻想的な光景に、思わず見惚れてしまった。

 いつの間にか不思議な光は消え失せ、騒がしかったオオカミたちの鳴き声も聞こえなくなっていた。
 慌てて馬車の外に目を向ければ、オオカミたちは地に伏していた。死んでいるのではない。

 眠っているのだ。

「まさか……!」

 あり得ない。
 は長い歴史の中で完全に失われたはずだ。
 三千年前、この国に結界が築かれ外の脅威がなくなると同時に、その必要性がなくなったから。

「魔法……?」

 独り言のようなエラルドの問いに、アイセルがニヤリと笑った。

「『オオカミを眠らせる魔法』ですって。これで、ようやくゆっくりと話せるわね」



 * * *



 馬車が足を止めたので、ついでにその場で休憩をとるとアイセルが言い出した。
 彼女はエラルドを縛ったまま馬車を降り、川辺に火を熾し、茶をわかし、ティータイムの準備をしてしまった。

 魔法を使って。

 すべての準備を終えてから、アイセルはようやくエラルドの縄を解いた。
 その際、「抵抗しない?」と聞かれてエラルドは力なく頷くことしかできなかった。

「さて。何から話そうかしらね」

 アイセルは優雅な仕草でお茶をすすりながら、物憂げにつぶやいた。
 エラルドの方はお茶にも菓子にも手を付けるような気分にはなれない。

「そうね、魔法のことから話しましょう!」

 ポンと手を打ってから、アイセルは例の皮の本を取り出した。

「これはね、生贄に代々引き継がれてきた日記帳なの」

 アイセルが最初のページを開いてエラルドに見せた。

『生贄よ、絶望するな! 立ち上がれ!』

 力強い筆致で書かれた一文に目を見開く。

「生贄が逃げ出すための様々な知恵と魔法が記されているの」

 パラパラと彼女がページをめくった。

『騎士の目を眩ます魔法』に始まり、『騎士を眠らせる魔法』『騎士を運ぶ魔法』『騎士を縛り上げる魔法』など、不穏な魔法が次々と登場する。

「私は『生贄日記』と呼んでいるわ。私も新しい魔法を見つけたら書き足さないとね」

 嬉しそうに笑いながら、アイセルは最後の方のページをめくった。最後の三分の一程度は白紙で、彼女の言う通り日記のように新たな記事を書き込めるようになっている。

(生贄の伝統が始まったのは、建国と同時。ならば、その頃から引き継がれる日記帳に魔法について記載されていてもおかしな話ではない、か)

 おかしな話ではない。
 だが。

「どうやってこの日記を引き継いできたのですか?」

 生贄が生まれるのは約百年に一度。
 前の生贄と当代の生贄が出会うことなど不可能だ。

「神殿を介して引き継がれてきたのよ」

 それもおかしな話だ。
 生贄が逃げ出すための知恵と魔法を記した日記など、神殿が大事に守り継承するだろうか。

「こんな物騒な日記を、神殿が?」
「あら物騒だなんて。ひどい言いぐさね」

 物騒極まりない魔法を使っておいて、アイセルにはそんな気がないのか、小さく唇を尖らせた。

「……まあいいわ。種明かししてあげる」

 言いながら、アイセルは生贄日記を地面に置いて広げてみせた。
 彼女の手が日記から離れる。

 すると、中身の文字がぐるりと回り、内容が完全に入れ替わってしまった。

『ああ、私の人生もあと数か月』
『悲しい、悲しいわ……!』
『お父様、お母さま、どうか私を忘れないで!』

 そこには、いっそわざとらしいほどの悲しみの言葉が綴られていた。

「つまり、神殿は本当にただの日記を引き継いでいるつもりだと?」
「そうよ。生贄に心の準備をさせるために、過去の生贄の日記を読ませるの。……悪趣味だと思わない?」

 確かに。
 エラルドは苦笑いを浮かべた。

「でも、その悪趣味のお陰で、この日記は私の手元に引き継がれたわ」
「ですが、今までに逃げ出した生贄がいたなど、聞いたことがありません」

 そんなことはどの歴史書にも書かれていない。
 第一、今も国境の結界は健在なのだ。
 生贄として生まれた女性は、例外なく全員、生贄として神に捧げられたはずだ。

「ええ。みんな結局、連れ戻されたりして、死んでしまったみたいね」

 無駄な抵抗、ということだ。
 ここに書かれた知恵と魔法を駆使しても、逃げ出すことはできない。
 アイセルも。
 逃げ出したと分かれば、国を挙げての捜索が始まるだろう。

「戻りましょう。すぐに追手がかかります」
「いやよ」

 アイセルは、優雅な仕草で菓子をかじった。チョコレートのクッキーだ。公爵家を出るときに持ち出してきたのだろう。

「言ったでしょう? 私は死にたくないの」
「ですが」

 言いながら、エラルドは彼女を連れ戻す算段を考え始めた。

(まずは生贄日記を取り上げよう)

 そうすれば、彼女は抵抗する術を失うはずだ。
 その様子を見て、また、アイセルがニヤリと笑った。

「家にはきちんと置手紙を残してきたから大丈夫よ」

 じわり、嫌な予感にエラルドの背を汗が伝う。

「『護衛騎士のエラルドと恋に落ちてしまいました。彼と二人で幸せに暮らしたいのです。どうか、どうかお願いします!』」

 芝居がかった仕草で、まるで悲劇のヒロインのようにアイセルが語った。

「……まさか、手紙に、書いたのですか?」
「そうよ」
「では……」
「お父様は、私たち二人が駆け落ちしたと思っているでしょうね」

 おかしそうに微笑むアイセルとは対照的に、エラルドは声を失い、間抜けな金魚のように口をパクパクとさせることしかできなくなったのだった。
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