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第1章 理不尽への抵抗
第8話 私は、理不尽を受け入れたりしない
しおりを挟む村人たちの視線の動きに、兵士たちはすぐに気が付いた。
兵士たちが二人に近づく。
だが、そこに村人の一人が割って入った。小さな子供を抱えた女性だった。
「生贄のご令嬢といえば、黄金の瞳を持つ女性だろ? そんな人は見てないよ」
女性がそうはっきりと告げると、他の村人たちもハッとしてすぐにアイセルから視線を外して兵士たちに迫った。
「そうだそうだ。だいたい、こんな夜中に迷惑だぞ!」
「そうだ、帰れ帰れ!」
多勢に無勢、村人たちの勢いに押されて、兵士たちはすぐに帰って行った。
少し考えれば村人たちの態度がおかしいことに気づいたかもしれないが、末端の兵士ではそこまで機転がきかなかったらしい。
だが、報告を受けた領主は誤魔化せないだろう。
(明日の朝には、領主の兵士たちが大挙してやってくる)
エラルドの背に、じわりと汗がにじんだ。
それに、今もまだ危機的状況を脱したわけではない。
アイセルとエラルドは、村人たちに取り囲まれたままなのだから。
村長がアイセルの顔をじっと見つめる。
そして、ぎゅうっと顔をしかめた。
「マクノートン公爵令嬢様でいらっしゃいますか?」
喉から絞り出したような声だった。
そうかもしれない。
だが、そうであってほしくない。
そんな気持ちがありありと現れている。
その問いに、アイセルは優雅にほほ笑んだ。
「はい。改めてご挨拶させていただきます」
アイセルは、粗末な綿のスカートをちょんとつまんで、優雅な仕草で膝を折った。そして、
「アイセル・マクノートンと申します。
……私が、生贄の令嬢です」
はっきりと告げた。
村長は両手で顔を覆い、村人たちは驚愕に目を見開く。
静寂が広場に落ちた。
アイセルが正体を明かした後も、村人たちは広場で話し合いを続けていた。
ただし、エラルドは剣を取り上げられ、二人は男たちに囲まれてしまった。
もちろん素人の村人たちを倒して剣を奪い返し、逃げ出すことはそれほど難しいことではない。
だが、アイセルがそれを望んでいないことは彼女の顔を見れば明らかだった。
エラルドは黙って村人の話し合いを見守ることしかできなかった。
それはアイセルも同じで。
彼女も、話し合いを続ける村人たちの方をじっと見つめていた。
彼らの結論がでるまでは待つべきだ、ということなのだろうか。
「すぐにでも領主様に知らせるべきだ」
「いやだが、恩人だ」
「だけど……」
「生贄の儀式が行われなかったら?」
「俺たち、いったいどうなるんだ……?」
「でも、王都に連れ戻されたら、彼女は……」
「死ぬんでしょう?」
それ以上は、誰も何も言えなくなった。
彼らはあの兵士たちとは違う。
自分たちの平穏な暮らしのために犠牲になる生贄が、心を持つ一人の人間であることを知ってしまったのだ。
生贄の儀式は彼らにとって、『知らないところで知らない誰かが死ぬ』という、なんでもない出来事でしかなかったのに。
エラルドは、思わず目を伏せた。
何もかもから目を逸らすように。
アイセルは、相変わらず真っすぐ村人たちを見つめている。
(……今までの生贄も、どんな思いでいたのだろうか)
そして、近しい人たちは。
いったい、どんな気持ちで彼女らを見送ったのだろうか。
ふと、アイセルが立ち上がった。
彼女が空を見上げると、村人たちもそれにつられるように夜空を仰ぐ。
今夜は曇り。
月も星も見えない、真っ暗闇だ。
そのおかげで領主の城から逃げ延び、代官の屋敷にも難なく忍び込めたのだが。
「明日は晴れるかしらね」
そう言ってから、アイセルは再び村人たちに視線を向けた。
そして、不敵にほほ笑む。
「あなたたちがどんな結論を出したとしても、私は逃げるわよ」
立ち上がり、胸を張る。
どれだけ粗末な服を着ていても、その立ち振る舞いを見れば高貴な人だと一目でわかる。
そんな彼女が、ゆったりと村人たちを見回した。
「例え、私以外の全ての人に死ねと言われても。
私は死にたくない。
大勢の人の平穏な暮らしのために、私が死ななければならないなんて。
……そんな理不尽を、どうして私が受け入れなければならないの?」
この問いに、答えられる人間などいない。
彼女の言う通りだ。
生贄として死ね。そんな運命は、理不尽でしかない。
「私はいやよ」
アイセルの力強い声が、夜風に乗って人々の鼓膜を揺らす。
「私は、理不尽を受け入れたりしない」
その強い意思で、彼女は今日まで生きてきたのだ。
「……ねえ、あなたたちは?
領主や代官、貴族の報復を恐れて、怯えて、自分たちでは何もせず、理不尽を受け入れて生きていくの?」
彼女の強い眼差しから、誰も目を逸らすことができない。
「本当に、それでいいの?」
この段になって、ようやくエラルドはアイセルが何を考え行動していたのか理解した。
彼女は、村人たちが自らの手で理不尽と戦うための武器を手に入れたかったのだ。
だから、彼らが行動を起こすための明確な根拠となる証拠を手に入れることにこだわった。
彼女は理不尽を受け入れない。
そして彼らにも。
理不尽への抵抗を諦めてほしくないのだ。
* * *
結局、何も結論は出なかった。
二人はいったん宿屋の部屋に入るように言われ、扉の外にも窓の外にも見張りがついた。
窓の外では、まだ松明の明かりが灯っている。
村長たちは話し合いを続けているのだろう。
だが、アイセルが「とりあえず眠りましょう」と言うので、二人は着替えもせずにそのままの格好でベッドの中に潜り込んだ。
とにかく疲れている。
だが、一向に眠気はやってこなかった。
心臓はドキドキと音を立てたままで。
頭も心も、整理がつかないのだ。
「……起きていますか?」
エラルドが尋ねるとアイセルがベッドの中でゴソっと動いた。
「ええ。眠れそうにないわ」
そう言ってから、アイセルは肩を揺らして笑い出した。
「だって今日は大冒険だったもの!」
薄明りの中、アイセルがくふくふと嬉しそうに笑うのが見えた。
「お城に忍び込んだり、見つかりそうになって慌てたり! 物語に出てくる騎士とお姫様みたいだったわね!」
思わずエラルドも頷いた。
「はい。確かに、普通の騎士であればこんな経験はできなかったでしょうね」
「ねえ、楽しかったわね!」
「楽しくはありませんでした」
「あら?」
「こんな経験はもう、こりごりです」
エラルドがブスッと言うと、アイセルがまた笑った。
「でも、あなたが兵士を殺しそうになったときには慌てたわ」
「いえ、あの時は……」
「私のために怒ってくれたのでしょう?」
また、アイセルがゴソっと動いた。
今は魔法の力でありきたりな色になっている、だが彼女の内面を映したかのようなキラキラと輝く瞳が、エラルドを見つめている。
「ありがとう」
その瞳をやっぱり真っすぐ見つめ返すことができなくて、エラルドはゴロリと寝がえりを打った。
「俺には、自分の気持ちが分かりません。
あなたを連れ戻すべきだと分かっているのに、そうしたくない」
義務を果たさなければと思うのに、思うようにならない。
「これでは、騎士失格です」
そう言ってから、エラルドはベッドの中で身体を起こした。
振り返ると、アイセルは彼の方をじっと見つめたままだった。
「……教えていただけませんか?
あなたのことを」
アイセルが、にこりとほほ笑んで頷いた。
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