ある公爵令嬢の死に様

鈴木 桜

文字の大きさ
9 / 40
第1章 理不尽への抵抗

第9話 どうして、私だけが

しおりを挟む

 アイセルが生まれたその日、彼女の母は自ら命を絶った。

 そこにどんな葛藤があったのかは知らない。
 だが、アイセルが生贄の証である黄金の瞳を持って生まれてきたことが、母に死を選ばせた根本の原因であることは間違いない。

『お前に妻を殺された』

 物心ついた頃、父に投げつけられた言葉を今でもはっきり覚えている。

 アイセルが五歳を迎えた頃、父は後妻を迎えた。
 そしてすぐに妹が生まれた。
 ミーナと名付けられた義妹は、いつも両親に抱かれていた。

 アイセルは、一度も抱きしめてもらったことがないのに。

 彼女は広い屋敷の一等立派な部屋で、何不自由なく暮らしていた。食べるものも着るものも一級品で、望めばなんでも与えられた。

 ただ、愛と自由だけがなかった。
 誰にも愛されることなく、アイセルはただ生きていた。

 いつか死ぬために生きる。

 そうやって、アイセルは幼少期を過ごした。

 そんな彼女に転機が訪れたのは、七歳の誕生日だった。
 この国の子どもは七歳を迎えると神殿で祝福の儀式を受ける。
 アイセルも例外ではなく、父に連れられて神殿を訪れた。

 彼女は、初めて屋敷の外に出たのだ。

 だが、外の世界は夢に見たような世界ではなかった。

「あれが、生贄の……」
「本当に瞳が金色だ」
「公爵家の直系とは」
「嫡男がいらっしゃらないと聞いたが」
「だが、後妻が」
「いや、後妻も生んだのは女児だったと……」
「王家からの補償があるのでしょう?」
「同情も集まるし、むしろ得をしたのでは?」

 人々が何を言っているのか、子どもながらアイセルにも理解できた。
 怖いと思った。
 人間は、こんなにも醜いのかと。

(お父様は、どう思っていらっしゃるのかしら)

 チラリと、父の顔を仰ぎ見た。
 その顔は、いつも通りだった。

 何を言われても顔色一つ変えず、しゃんと胸を張って堂々と、威厳たっぷりにゆったりと歩を進める。

 その姿を見た人々が、次々に口を噤んでいった。

(これが、公爵家の当主……)

 思わず、感嘆の息が漏れた。
 父のことは、正直好きではない。
 だが、その堂々とした姿は幼い彼女の目に眩しく映った。

(私もこんな風に)

 どんな悪意にさらされても、堂々と歩ける人間になれるだろうか。



 そしてその日、アイセルは神官から生贄日記を渡された。



『生贄よ、絶望するな! 立ち上がれ!』

 その力強い言葉に、衝撃を受けた。

(絶望、そうか。……私は、絶望していたのか)

 望みはないと、そう信じ込んでいた。
 だが、そうではないと、かつての生贄たちが語り掛けて来る。

 日記には、彼女たちの逃避行の様子も書かれていた。
 逃げ出した生贄が見聞きした、外の世界の様子が、克明に記録されていたのだ。

 知りたいと思った。
 外の世界に何があるのか。

 行ってみたいと思った。
 彼女たちが出会ったあの人たちがいる場所に。

 自由がほしいと思った。
 自分の足で、どこへでも行ける自由が。

「死にたくない」

 そう、思った。



 それからというもの、彼女は生贄日記の解読のために猛勉強した。日記に書かれている魔法について完璧に理解するためには、古い言語を使いこなせなければならない。
 毎日のように王立図書館に通い詰めた。

 もちろん護衛という名の見張りがついていたし、図書館と屋敷の往復以外の寄り道も認められなかった。
 護衛の騎士は、王立騎士団から派遣されてきた。
 だが彼らは、一様にアイセルと深いかかわりを持とうとしなかった。
 いつか死ぬ運命にある令嬢だ、情が移っては辛くなるのだから、そうするのは当たり前のことだった。

 騎士だけではなかった。
 親戚も使用人も、誰も彼もがアイセルを腫れ物のように扱い、彼女と距離を置いた。



 そうして過ごすうちに。
 少しずつ、少しずつ、アイセルの中で何かが膨らんでいった。

 その気持ちをなんと呼べばいいのか、アイセル自身にもよく分からなかった。
 怒りにも似た仄暗い気持ちが、胸の奥底で渦巻いている。

(死にたくない)

 その一心で勉強に励む自分。

 そんな彼女を尻目に、ミーナは両親に愛されてのびのびと育っていく。
「大きくなったら、きっと美人になるぞ」なんて、未来を期待されて。

 自分以外の皆には未来があって、愛されて、幸せで。

「どうして、私だけが!」

 叫び出したい衝動に駆られたのは、一度や二度ではなかった。
 枕に顔を押し付けて、声にならない声を上げながら朝まで泣き通したこともあった。
 思わずミーナに掴みかかろうとして、でも、できなくて、拳を強く握りしめて血が滲んだこともあった。

「どうして私を産んだの!」

 今はどこにもいない母に向かって、吐き捨てるように喚いたこともあった。

 どうして、どうして、どうして!

 その気持ちをぶつけるように、アイセルはますます生贄日記の解読に没頭していった。



 そんなある日、日記に綴られていた一つの言葉が目にとまった。

『私だけじゃなかった』

 それは、何百年も前の生贄の言葉だった。
 彼女が王都を逃げ出してから八日目の記録だ。

『この世界には、理不尽があふれている』

『弱者は強者に踏みつけられ、生き方を決めつけられる』

『それでも、彼らは生きている』

『……私は、何のために生まれてきたのだろうか』

 その問いが、彼女の最後の言葉だった。



 ──それでも彼らは生きている。



 その言葉が、アイセルの胸に深く突き刺さったのだった。



 * * *



「私はね、やっぱり生贄として死ぬべきだと思ったわ」

 ぽつり、ぽつりとアイセルが話すのを、エラルドは黙って聞いていた。

「だって私が死にたくないとわがままを言えば結界は消えて、多くの人が危険にさらされる。
 ……今度は、私が彼らに理不尽を押し付けることになるんだから」

 その葛藤を抱えていたのは、十歳になるかならないかの幼い少女だ。

「答えの出ない問いを繰り返したわ。
 何度も、何度も、何度も……」

 彼女はいったいどんな思いで、自分に問いかけ続けたのだろうか。
 それを思うと、エラルドの胸がぎゅうっと締め付けられた。

「今でも、答えは分からない」

 アイセルの声が、わずかに震えたような気がした。
 彼女は気高くて、何もかも確信をもって前に進んでいるように見えた。

 だが、そうではなかった。
 彼女は今もなお、葛藤し続けているのだ。

「だから、私は逃げるわ」

 彼女が理不尽に抵抗するためにできることは、それだけ。
 逃げて逃げて逃げて、自分に問い続けることだけ。

「死にたくないから。生きていたいから。……私が生まれてきたことの意味を知りたいから」

 ぽろり。
 エラルドの瞳から、涙がこぼれた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】悪気がないかどうか、それを決めるのは私です

楽歩
恋愛
人見知りで目立つのが苦手なフローリアは、独学で宮廷薬師となり、同期のソフィアとウィリアムと共に働いていた。 華やかで人望の厚いソフィアは、王妃からも称賛を受ける存在。一方フローリアは、表に出ることなく、実験や薬草採取といった地道な仕事を黙々と引き受けていた。 「協力」の名のもとで負担は偏り、成果は記録に残らないまま、それでも彼女は薬師としての仕事をこなしてきた。 だが美容部門設立をきっかけに、人員整理の対象として選ばれたのはフローリアだった。 一生懸命働いてきたはずなのに、評価されず、居場所を失う。その現実を前に、彼女は初めて、自分が何を奪われてきたのかを思い知る。

【完結】あなたは、知らなくていいのです

楽歩
恋愛
無知は不幸なのか、全てを知っていたら幸せなのか  セレナ・ホフマン伯爵令嬢は3人いた王太子の婚約者候補の一人だった。しかし王太子が選んだのは、ミレーナ・アヴリル伯爵令嬢。婚約者候補ではなくなったセレナは、王太子の従弟である公爵令息の婚約者になる。誰にも関心を持たないこの令息はある日階段から落ち… え?転生者?私を非難している者たちに『ざまぁ』をする?この目がキラキラの人はいったい… でも、婚約者様。ふふ、少し『ざまぁ』とやらが、甘いのではなくて?きっと私の方が上手ですわ。 知らないからー幸せか、不幸かーそれは、セレナ・ホフマン伯爵令嬢のみぞ知る ※誤字脱字、勉強不足、名前間違いなどなど、どうか温かい目でm(_ _"m)

【完結】記憶にありませんが、責任は取りましょう

楽歩
恋愛
階段から落ちて三日後、アイラは目を覚ました。そして、自分の人生から十年分の記憶が消えていることを知らされる。 目の前で知らない男が号泣し、知らない子どもが「お母様!」としがみついてくる。 「状況を確認いたします。あなたは伯爵、こちらは私たちの息子。なお、私たちはまだ正式な夫婦ではない、という理解でよろしいですね?」 さらに残されていたのは鍵付き箱いっぱいの十年分の日記帳。中身は、乙女ゲームに転生したと信じ、攻略対象を順位付けして暴走していた“過去のアイラ”の黒歴史だった。 アイラは一冊の日記を最後の一行まで読み終えると、無言で日記を暖炉へ投げ入れる。 「これは、焼却処分が妥当ですわね」 だいぶ騒がしい人生の再スタートが今、始まる。

【完結】見えてますよ!

ユユ
恋愛
“何故” 私の婚約者が彼だと分かると、第一声はソレだった。 美少女でもなければ醜くもなく。 優秀でもなければ出来損ないでもなく。 高貴でも無ければ下位貴族でもない。 富豪でなければ貧乏でもない。 中の中。 自己主張も存在感もない私は貴族達の中では透明人間のようだった。 唯一認識されるのは婚約者と社交に出る時。 そしてあの言葉が聞こえてくる。 見目麗しく優秀な彼の横に並ぶ私を蔑む令嬢達。 私はずっと願っていた。彼に婚約を解消して欲しいと。 ある日いき過ぎた嫌がらせがきっかけで、見えるようになる。 ★注意★ ・閑話にはR18要素を含みます。  読まなくても大丈夫です。 ・作り話です。 ・合わない方はご退出願います。 ・完結しています。

いつも隣にいる

はなおくら
恋愛
心の感情を出すのが苦手なリチアには、婚約者がいた。婚約者には幼馴染がおり常にリチアの婚約者の後を追う幼馴染の姿を見ても羨ましいとは思えなかった。しかし次第に婚約者の気持ちを聞くうちに変わる自分がいたのだった。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

【完】瓶底メガネの聖女様

らんか
恋愛
伯爵家の娘なのに、実母亡き後、後妻とその娘がやってきてから虐げられて育ったオリビア。 傷つけられ、生死の淵に立ったその時に、前世の記憶が蘇り、それと同時に魔力が発現した。 実家から事実上追い出された形で、家を出たオリビアは、偶然出会った人達の助けを借りて、今まで奪われ続けた、自分の大切なもの取り戻そうと奮闘する。 そんな自分にいつも寄り添ってくれるのは……。

【完結】見返りは、当然求めますわ

楽歩
恋愛
王太子クリストファーが突然告げた言葉に、緊張が走る王太子の私室。 この国では、王太子が10歳の時に婚約者が二人選ばれ、そのうちの一人が正妃に、もう一人が側妃に決められるという時代錯誤の古いしきたりがある。その伝統に従い、10歳の頃から正妃候補として選ばれたエルミーヌとシャルロットは、互いに成長を支え合いながらも、その座を争ってきた。しかしーー 「私の正妃は、アンナに決めたんだ。だから、これからは君たちに側妃の座を争ってほしい」 微笑ながら見つめ合う王太子と子爵令嬢。 正妃が正式に決定される半年を前に、二人の努力が無視されるかのようなその言葉に、驚きと戸惑いが広がる。 ※誤字脱字、勉強不足、名前間違い、ご都合主義などなど、どうか温かい目で(o_ _)o))

処理中です...