ある公爵令嬢の死に様

鈴木 桜

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第1章 理不尽への抵抗

第10話 私をあなたの騎士にしてください

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 夜明け前、アイセルがベッドから抜け出すのが気配でわかった。
 彼女は少しだけ逡巡した後、エラルドには声をかけず、そっと部屋から出て行った。

 どうやら、扉の外に見張りはいないらしい。

 彼女を追いかけて捕まえるべきか。
 このまま見て見ぬふりをすべきか。

 それとも。

 エラルドが悩んだのは、ほんの一瞬のことだった。



「……帰らないわよ」

 追いかけてきたエラルドの方を振り返ることもせず、アイセルが言った。
 彼女の手には生贄日記。
 今まさに、馬と荷馬車に魔法をかけようとしていたらしい。

「もう、帰れとは言いません」
「職務を放棄するの?」
「いいえ」

 エラルドはアイセルの前にぐるりと回りこんで、改めて彼女の顔をじっと見つめた。

 何が正解なのかは分からない。
 だが、今彼女を一人で行かせることだけはしてはならないと、それだけは確信を持って言える。

「私は、あなたを守りたい」

 エラルドは、アイセルの前に跪いた。
 そして胸に手を当て、恭しく頭を下げる。

「どうか、私をあなたの騎士にしてください」

 アイセルが大きく目を見開いて、青い瞳が零れ落ちそうになった。
 その瞳がわずかに潤む。

 くしゃりと、彼女の表情がわずかに歪んだ。

(彼女には、金の瞳の方が似合うな)

 ふと、そんなことを思った自分が可笑しくて。
 エラルドがふっと笑みを浮かべる。
 それにつられるように、アイセルもほほ笑んだ。

「行きましょうか」
「ええ」

 エラルドは頷いたが、そういえばと思い出したことがあった。

「代官の件はどうしますか?」
「宿の部屋に見張りはいなかった。今も、誰の姿も見えません」

 彼らが宿に入った時には確かに見張りがいたし、広場には松明がともって人の気配があった。
 だが、今はしんと静まり返っていて人の気配はしない。

「それが、彼らの答えなのでしょう」

 大手を振って見送ることはしない。
 だが、二人を止めることもしない。

 彼らにも彼らの葛藤があって、こうして一つの答えを出したのだ。

「彼らの勇気と善意を、私は生涯忘れません」

 東の空に朝陽が昇る。
 その光を左手に見ながら、二人は南に向かって旅立った。



 * * *



 そんな二人を、村長と数人の男たちが村長の部屋の窓から見つめていた。

「本当に、これで良かったのでしょうか」
「さあなぁ」

 村長の手には、アイセルが持ち帰って来た二つの証拠。
 彼らが理不尽と戦うための武器だ。

「……もしこれで結界が消えることになったら、子どもたちに顔向けできないのでは?」

 一人の男が顔をしかめた。
 だが、村長は首を横に振った。

「ここで彼女を行かせなかったら、それこそわしは孫に顔向けできんよ」

 自分たちのために死んでくれと、一人の少女に理不尽を押し付ける。
 それが正しいことだと、どうしても思えなかったのだ。

(一人の少女の命と引き換えにしなければ手に入らない平穏に、果たして意味があるのだろうか)

 その疑問を、村長は口には出さなかった。
 この葛藤は、彼自身のものだから。
 彼の隣にいる村人たちにも、それぞれの葛藤があって、それぞれの答えがある。
 それらを全部飲み込んで、皆で彼女を行かせると決めたのだから。

(理不尽を受け入れない、か)

 もしも彼女が逃げおおせて、結界が消えたら。
 彼らは危険に晒されるかもしれない。
 今よりももっとひどい理不尽を押し付けられるかもしれない。

 だが、そのときには。
 堂々と胸を張って戦おう。
 彼女のように。

 それが、今の彼の答えだ。

「さあ、夜が明けたら領主様のところへ向かうぞ」
「おお!」

 村長はアイセルがもたらしてくれた武器を手に、不敵に笑ってみせたのだった。



 * * *



「これから、どこへ向かうのですか?」

 エラルドは御者席から荷台の中のアイセルに話しかけた。
 そのアイセルは、幌の隙間から顔を出してキラキラと瞳を輝かせながら流れていく景色を見つめている。

 彼らの乗る荷馬車を引く馬は、普通では考えられないほどの猛スピードでぐんぐん進んでいる。
 この馬はアイセルを連れ出すときに騎士団の厩舎から盗んだ馬。つまり、軍馬だ。
 普通の馬とは比べ物にならないほど体力があるし、足も速い。
 とはいえ、既に王都から追手が出発しているだろう。昨夜の領主の兵も、追いかけて来るに違いない。
 急がなければ追いつかれてしまう。

 そこで、アイセルは『三日三晩、馬を不眠不休で走らせる魔法』を、この馬にかけた。
 ただし、この魔法には『不眠不休で走り抜いた後、馬は一週間眠り続けるので注意が必要』と注意事項があった。
 それまでには、次の移動手段を見つけなければならないということだ。

「南の国境を目指すわ。そこからは、ルシャーナ諸島へ行こうと思っているの」

 それを聞いてエラルドも納得した。
 ルシャーナ諸島とは、南の海の大小さまざまな島が連なる地域のことだ。それぞれの島に国があるが、そこに暮らす人々は一様におおらかで、平和そのものの穏やかな土地だと聞いたことがある。
 亡命先としては最適だろう。

「まず、外国の事情に明るい人を探しましょう。
 アテがあるわ」

 入国がほとんど不可能に近いこの国で、外国の事情にくわしい人物はほとんどいないはずだが。
 エラルドが内心で首をかしげていると、アイセルはニヤリと笑って生贄日記をエラルドに見せた。

「二代前の生贄が、亡命仲介人と名乗る人物に会っているわ」
「亡命仲介人、ですか?」

 確かに、この国でも亡命を希望する人が全くいないわけではない。
 国内で重大な罪を犯した人や、より広い世界へ飛び出すことを望んだ人だ。
 そんな人々を国外に逃亡させることを生業としている人物が存在するらしい。

「南に進むとノックスリーチという町があるわ。そこに、いるらしいの」
「ああ、その街なら知っています。この街道を三日も進めば到着しますね」
「そうよ。そこで移動手段も相談しましょう」
「承知しました」

 やはりアイセルは計算高い。
 馬にかけた魔法も、ここからの行程を計算したうえで使っているのだ。

(このままいけば、本当に亡命できてしまうかもしれないな)

 もちろん、成功するようにエラルドも最大限努力するつもりだが。

(……亡命、か)

 手綱を打って馬を急かしながら、エラルドはもう一度アイセルの方を見た。

「国境を超えるのですね」
「……そうよ」

 リヴェルシア王国の国境とは、すなわち結界のことだ。
 この国や人に悪意を持つ者がその結界の内側に入ろうとすると、神の炎に焼かれてしまう。

 生贄であるアイセルがこの国を見捨てて逃げるということは、悪意があると言えるだろう。

 つまり彼女は国境を越えてしまえば、二度と帰ってくることはできない。

「よろしいのですか」
「あなたは?」

 そのアイセルを助けるのだから、おそらくエラルドも二度と帰ってくることはできないだろう。

 だが、それも既に覚悟できている。

「私はあなたの騎士ですから。どこまでもお供いたします」
「そう」

 エラルドが間髪入れずにはっきり答えると、アイセルは軽く返事をしてそっぽを向いてしまった。
 だが、その頬と耳が赤くなっていることに、エラルドはすぐに気が付いた。

(慣れていないのだろうな)

 誰かに大切にされるということに。

 エラルドはそんな彼女の様子をかわいらしいと思うと同時に、悲しくもあった。

(うんと大切にしよう)

 彼女のことを。彼女の思いを。

(生贄の儀式まで残り半年。……必ず、守り抜く)

 エラルドは、そう決意したのだった。









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