ある公爵令嬢の死に様

鈴木 桜

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第2章 自由への道

第12話 商売人との付き合い方

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「私が愛しているのは彼なのに! お父様が無理やり別の方との縁談を進めようとしたのです!」

 アイセルの芝居がかったセリフに、ダリルが頷いた。

「身分違いの恋か」
「そうなのです! 彼はただの騎士だからお前には相応しくないと言われました! 酷いと思いませんか!」
「確かにそうだ、酷い話だ」

 うんうんと頷きながら話を聞くダリルの方に、アイセルはさらに身を乗り出した。

「では、助けていただけますか!?」

 これにも、ダリルは深く頷いた。

「もちろんだ。この場所に来れたというだけで、その資格がある」

 亡命仲介人であるダリルに会うためには、あのバーで“青い月のカクテル”を注文しなければならない。いわゆる、合言葉だ。

 この合言葉を知っているというだけで、既に一つ目の課題をクリアしているということなのだろう。

「ただし!」

 ダリルが、人差し指を立てた。

「うちは先払いだ」

 先に報酬を支払えという。
 今度はアイセルが頷く。

「もちろんですわ。おいくらですか?」

 この問いに、ダリルは人さし指を立てていた手の指を全て広げた。
 その意図するところは……。

「金貨五枚、ですか?」
「馬鹿言うな」

 ゴホンとダリルが一つ咳払いをした。

「金貨五十枚だ」



 * * *



 アイセルとエラルドは、人気の少ない郊外の広場で途方に暮れていた。
 ベンチに座って、有り金を全て出し合って頭を突っつき合わせる。

「金貨が三枚、銀貨が七枚、銅貨が二枚……」

 ダリルが請求してきた額には、到底足りない。
 そもそも金貨五十枚といえば、一般的な役人の数か月分の報酬額に匹敵するのだ。

「私が準備できた路銀は金貨十枚が限界でした。“青い月のカクテル”に金貨七枚を支払いましたから、残りはこれだけです」

 アイセルは生贄として、ほぼ軟禁状態で暮らしていたのだ。そんな彼女が大きな額を手にすることは相当難しかったはずだ。

「自分は、まさかこんな遠出をする羽目になるとは思っていませんでしたので、そもそも小銭しか持ち合わせていません」

 エラルドの方も、持ち合わせがないのは仕方のないことだ。

「この金額では、宿代も心許ないですね」

 この街の宿屋の宿泊料は、平均して一人銀貨五枚程度だ。銅貨十枚が銀貨一枚と、銀貨十枚が金貨一枚と同等なので、一週間もすれば宿代だけで路銀が尽きてしまう計算になる。
 この先も旅は続くのだから、この街で使い切ってしまうわけにもいかない。

 手持ちのお金をやりくりしながら、ダリルに支払うお金を工面しなければならないということだ。

「とりあえず、宿屋は相部屋にして、できるだけ金額をおさえましょう」
「え」
「駆け落ちという設定だから、別の部屋をとるのもおかしな話でしょう?」

 設定を優先すれば、おかしな話ではない。
 だが、現実は。
 アイセルとエラルドは、恋人などではない。

 騎士であるエラルドにとって護衛対象である貴婦人と同じ部屋で寝起きするなど、あってはならないことだ。

 道中、野宿をするときエラルドは荷馬車の外で眠ったし、あの村で宿を借りた時には部屋が有り余っていたので別々の部屋で休ませてもらった。

 村長の家に閉じ込められた晩以外、エラルドはきちんとその線引きを守ってきたのだ。

「……できません」
「だめよ。ちゃんと恋人のフリをして」
「ですが」
「四の五の言わない!」

 ピシャリと言われて、エラルドは肩をすくめた。

「ダリルに仲介を頼めなければ、自力で亡命するしかないのよ? 結界の外に出られたとして、その後のことだって不安なのに」

 確かに、彼女の言う通りだ。
 二人にとって結界の外は未知の世界。
 ここでダリルの助けを借りることができなければ、亡命の成功率は著しく下がってしまうだろう。

「ですが、彼は本当に信用できるのですか?」
「できるわね」

 アイセルは顎に手を当てて、人差し指でトントンと頬を叩いた。

「彼は私たちの素性を探っているという素振りを隠そうともしなかった。
 ……私たちに警戒される恐れがあるのに、よ」

 確かに、商売相手に対して礼儀正しい態度だったとは言えない。最悪の場合、警戒した顧客は契約せずに去って行くだろう。

「彼は客を選ぶ立場なのよ」
「それと信用の話が、どうつながるのですか?」

 エラルドは騎士家系出身で、生まれながらの貴族だ。商売とは無縁に生きてきたので、商売人の信用というもがよく分からない。

「客を選ぶ商売人は、選んだ客に対しては仁義を通すものよ」
「はあ」
「……って、ここに書いてあったわ!」

 言いながらアイセルは生贄日記をエラルドに見せた。確かに、そのページには『商売人との付き合い方(初級編)』と見出しがついている。

「そんなことまで書かれているのですか」
「旅に必要な知恵は全てここに詰まっているわ!」

 確かに、生贄日記は二人の旅の指標でもある。

(ここは従っておいた方がいいだろうな)

 エラルドは一つ溜息を吐いた。

 生贄日記の助言だけで判断したのではない。
 先ほどのダリルとの会談で、アイセルはダリルが信用に足る人物かどうかを探るために、わざと自分の素性のヒントを出したということに気づいたからだ。

「では、宿代については、ど、同室ということで……、仕方がありませんね」

 渋々、エラルドが折れた。
 だが問題は宿代だけではない。

「彼に支払う報酬はどうしますか?」

 金貨五十枚ともなれば、簡単に稼ぐことはできない。

「……これを」

 アイセルは、懐から小さな巾着袋を取り出した。
 それを手のひらの上でひっくり返すと、中から出てきたのは指輪だった。
 大粒のダイヤモンドがはまっている。

「お母様の指輪だそうです」

 ハッとして顔を上げると、アイセルと目が合った。
 今はルビーのような赤い瞳で、アイセルがじっとエラルドを見つめる。

「これを売りましょう。幸い、公爵家の紋章も入っていませんし」
「ですが、大切なものなのでは?」
「そう、ですね」

 コロン、コロン。
 アイセルが手のひらの上で指輪を転がす。

「十六歳の誕生日に、お父様から渡されたものです。どういう意図で私にくださったのかは、分からないのですが」

 キラリと、ダイヤモンドが沈み始めた夕日を反射した。

「大切にしろ、と。そう言われました」

 アイセルが指輪をエラルドに差し出した。

「この街は交易路です。この指輪の価値がわかる古物商の一人や二人はいるでしょう。できるだけ高値で買い取ってくれる商人を探してください」

 感情の見えない表情のまま、アイセルは指輪をエラルドに預けたのだった。



 その後、二人は宿屋に部屋をとった。
 アイセルはそのまま宿屋で身体を休め、エラルドはさっそく指輪を買い取ってくれる古物商を探しまわる。

 一件目の古物商は、金貨三十枚だと言ったので断った。
 二件目の古物商は、金貨十七枚だと言った。

 そして三件目の古物商は買い取り額を言う前に、うむと深く頷いてからエラルドの方をじっと見つめた。

「本当に売るのかね?」
「え?」
「よく見なさい」

 古物商が貸してくれたルーペを覗き込むと、石の奥に何かが見えた。
 文字だ。

“愛しい人へ”
 石の底に、そう刻まれている。

「人の手でダイヤモンドに直接刻印を施すことは不可能。唯一の方法は、魔法だ。だがその魔法も、古い時代に失われたと言われている」

 古物商は淡々と説明しながら、取り出した柔らかい布で指輪を磨き始めた。

「どういう経緯でつくられた指輪なのかは分からない。だが、このダイヤを削りだし指輪を仕立てた職人も、この指輪を愛する人に贈った誰かも……。並々ならぬ思いがあったのだろうな」

 磨き終わってピカピカになった指輪を、古物商はエラルドの手にそっと握らせた。

「売ると言うなら金貨百枚で買い取ろう。だが、よくよく考えてからにしなさい」

 エラルドはその指輪を手に、途方に暮れたのだった。


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