ある公爵令嬢の死に様

鈴木 桜

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第2章 自由への道

第13話 初めての世界

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 一方、アイセルは夕食を調達するために街に繰り出していた。

 エラルドからは宿の部屋で大人しくするように言われていたが、帰って来た彼に美味しいものを食べてもらいたいと言う気持ちが勝った。

「屋台でお値打ちのお料理を探しましょう!」

 夕方を過ぎると、街の中央を貫く大通りの屋台から煙が上がり始めた。香ばしい匂いに誘われて、町人や旅人たちが今夜の食事を探しにやって来る。
 アイセルも、その人混みの中に入っていった。

 フードはかぶらない。こういう人混みの中では顔を隠している方が怪しいからだ。
 今のアイセルは黒い髪に赤い瞳。
 見た目の特徴を変えてあるので、むしろ顔を晒して歩いた方が安全なのだ。
 もちろん、それも生贄日記から得た知恵なのだが。

「きっと疲れて帰ってくるから、お肉が必要ね!」

 アイセルは一つ一つ屋台を覗き込みながら、できるだけ安価で量が多くて質の良い肉料理を探し始めた。

「いらっしゃいませー!」
「安いよ! 美味いよ!」
「鶏の串焼き、今ならオマケで一本追加するよ!」

 屋台の店員たちの呼び声が賑わしい。
 さらに周囲からは人々の話し声が聞こえる。その中には、時折子どもの笑い声が混じっている。
 そんな人々の顔を横目に見ながら、アイセルは軽い足取りで通りを進んだ。

 こんな風に人波に揉まれながら買い物をするのは、初めてのことだ。
 そもそも、外で買い物をしたことも数えるほどしかないのだが。

(すごい熱量ね)

 あてられて目が眩むほどだ。
 だが、気分は悪くない。
 初めて触れる世界に、胸がドキドキする。

(あの日から、ずっとそうだわ)

 どの瞬間も、彼女にとっては初めての経験で。
 何をしていても、胸が高鳴って。
 何を見てもキラキラと輝いて見える。

(全部、彼のお陰ね)

 騎士エラルドは、アイセルにとっては救世主だ。
 鳥かごの中から自分を連れ出してくれた。

 そして。

(守ると、言ってくれた……)

『どうか、私をあなたの騎士にしてください』

 そう言って跪いた時の彼の顔を思い出すと、なぜか頬が熱くなる。

 その頬を、アイセルはパチンと叩いた。

(呆けてる場合じゃないわ! 夕食を調達して早く帰らないと!)

 彼が指輪を売って宿に帰ってくるまでにはまだ時間があるだろうが、もしも彼が先に部屋に戻ってしまったら。

(余計な心配をかけてしまうわ)

 だから、彼よりも先に部屋に戻らなければ。
 そのときに美味しい食事が準備してあれば、彼も喜ぶだろう。

 アイセルは再び勇んで歩き出した。
 だが、この時。
 彼女は前をよく見ていなかった。

 ドン、と柔らかい何かにぶつかる。

「わっ!」

 驚いてたたらを踏んだが、なんとか転ばずに堪えた。
 だが、鼻をしたたかにぶつけてしまった。思わず両手で顔をおさえる。
 すると、頭上で声がした。

「うおっ!」

 どうやら、長身の男性にぶつかってしまったらしい。
 相手も驚きに声を上げたが、アイセルと同じようにその場に踏みとどまった。

「申し訳ありません」

 完全に自分の不注意だ。アイセルは慌てて男性に謝った。
 互いに特に怪我があるようには見えない。謝罪してこれでおしまいだろうとアイセルは思った。

 だが、甘かった。

 素直に謝るアイセルの顔を見た途端、男がニヤリと笑ったのだ。
 そして。

「いてててててて。骨が折れちまったみたいだ!」

 そう言って、男が腕をおさえたのだ。

 あり得ない。
 アイセルのような華奢な女性がぶつかったくらいで、この立派な体躯の男の腕の骨が折れるなど。

 驚くアイセルをよそに、男はわざとらしく腕を押さえて顔を歪めてその場にうずくまった。
 その様子に、さらに数人の男が集まってくる。

 彼らはあっという間にアイセルを取り囲んでしまった。

「おいおい、お嬢ちゃん」
「うちのアニキに、なにしてくれてんだ!」
「痛がってるじゃねえか!」
「ああ!?」

 男たちがアイセルにすごむ。

「治療費、出せよ!」

 そのお手本のような典型的な脅しに、アイセルはきょとんと目を見張った。

「まあ! もしかして恐喝カツアゲというものですか?」

 のほほんとした彼女の声に、男たちの額に青筋が浮かぶ。

「何言ってやがる!」
「おめぇがぶつかったせいじゃねぇか!」
「俺らを犯罪者みたいに言うんじゃねぇよ!」

 だが、この状況は物語の中で読んだ恐喝カツアゲとまったく同じだ。

「まあすごい! 私、初めてです!」

 アイセルが無邪気に喜ぶと、さらに男たちがいきり立った。

「こんの、クソアマ!」
「なめてんのか!」

 腕を折ったはずの男も、アイセルに迫って来る。

(このくらいでいいかしら?)

 男たちを注意深く観察していたアイセルは、上着の上からそっと懐の生贄日記に触れた。

『複数の男に囲われたら、まずは言葉を尽くして煽るべし』

 それが生贄日記の教えだ。
 冷静な人間の囲みを破るのは難しい。
 だが、相手が怒りで冷静さを失ってくれれば、女一人でも突破する糸口を開くことができるのだ。

 アイセルは生贄日記に載っている魔法をほとんど全て解読したが、それらすべてを暗記することはさすがにできなかった。
 なにせ量が膨大だから。
 だから一部の『いざという時に役立つ魔法』だけをいくつか暗記した。

 その一つ、『男の睾丸を締め上げる魔法』の呪文を思い出す。

(締め上げられる睾丸は一つだけ。……どれにしようかしら)

 アイセルがわずかに視線を巡らせた。
 すると。

「大人しくしろ!」

 男の一人がアイセルの髪を掴んでひねり上げた。
 アイセルの足が浮き、吊り上げられる。

「きゃあ!」

 周囲で事の経緯を見守っていた群衆の一人が悲鳴を上げた。

「うるせぇ!」

 男が叫ぶ。
 唾液が顔にかかって不快だなんて考えている間に、男はアイセルの髪を掴んだまま彼女の顔を覗き込んだ。

「舐めやがって。痛い目みないと、分かんないか?」

 これは本格的にまずい。

(まずは、この男の睾丸を……)

 アイセルがそう考えた瞬間だった。

「汚い手で触れるな」

 あっという間の出来事だった。
 一人の青年が男の手を払い落とし、そのまま流れるような動作でアイセルを助け出してしまった。

 エラルドだ。

 剣は目立つからと言って宿の部屋に置いてきた。

 今は丸腰の騎士が、アイセルの華奢な体をぎゅうっと抱き寄せていた。


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