『無価値な置物』と捨てられた宮廷調香師~絶望の匂いしか知らない私が、盲目の辺境伯様に「君こそが光の香りだ」と抱きしめられるまで~

しょくぱん

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絶望の果ての追放

第3話:宮廷調香師の最後のお仕事

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 王宮の裏門へと続く長い廊下を歩きながら、私は足を止めた。
 鼻を突くのは、人々の欲望や嫉妬が凝集した、どす黒い瘴気しょうきの渦だ。

 普通の人間には見えず、ただ「なんとなく空気が重い」と感じる程度のもの。けれど、私には見える。王宮の至る所から、壁を伝い、床を這う、不浄な黒い影が。

(最後くらい……綺麗にしていきましょうか)

 これは未練ではない。宮廷調香師として給付されていた、最後の一日分の給与に対する義理立てだ。
 私はトランクから、ひび割れた古い銀の香合を取り出した。

 私が足を止め、静かに祈りを捧げると、王宮中に溜まっていた瘴気が、磁石に吸い寄せられる鉄屑のように私の方へと集まってくる。
 
 ドロリとした重苦しい感覚が、私の肌を撫で、肺の中へと入り込む。
 凄まじい悪臭。喉の奥が焼けるような痛み。
 王宮全体を覆っていた巨大な穢れを、私はたった一人で、自身の体という「器」に吸着させていく。

「うっ、げほっ、ごほっ……!」

 あまりの負荷に膝をつき、激しく咳き込んだ。
 私の肌はみるみるうちにどす黒い輝きを帯び、纏う空気は腐った沼のような、筆舌に尽くしがたい匂いへと変わっていく。

 その時だった。

「ひっ……! なんだ、その酷い匂いは!」

 廊下の先から、騎士たちを引き連れたカイル様が通りかかった。
 彼は私を見るなり、吐き気を催したように顔を歪め、裏地が絹の袖で鼻を覆った。

「エルゼ! 貴様、まだそんなところにいたのか! しかもその匂い……。イザベルが言っていた通りだ。お前は去り際まで、この王宮を汚すつもりか!」
「カイル様、これは……今、王宮中の瘴気を、私がすべて……」
「黙れ! 言い訳など聞きたくない。騎士たちよ、この不潔な女を今すぐ門の外へ放り出せ! 二度とこの清浄な空気を汚させるな!」

 騎士たちが、汚いものに触れるのを躊躇いながらも、私を力任せに立ち上がらせた。
 浄化の反動でふらつく私の体は、無造作に引きずられ、石畳の廊下を擦っていく。

「カイル様! ……お願いです、私の話を聞いてください! 今、私が吸い込んだ瘴気が暴発すれば、この国は……!」
「しつこいぞ! 浄化なら、すでにイザベルが済ませてくれた。お前の出る幕などないのだ!」

 ドサリ、という鈍い音と共に、私は王宮の裏門の外へと放り出された。
 冷たい雨が降り始めていた。

 鉄の門が重々しく閉まり、錠が下りる。
 門の向こう側から、イザベルの勝ち誇ったような笑い声と、カイル様の「空気が良くなった」という満足げな声が微かに聞こえてきた。

 それは当たり前だ。
 私が、今後数年分は溜まらないであろうほどの瘴気を、すべて自分の身一つに引き受けて出てきたのだから。

「……はは、本当……に、馬鹿ね、私」

 雨に打たれながら、私は泥にまみれたトランクを抱きしめた。
 肺の中に溜まった瘴気が暴れ、意識が遠のいていく。
 
 今の私は、誰がどう見ても「世界一醜く、臭い女」だろう。
 自分自身から漂う、死を予感させるような腐敗の匂いに、私は静かに目を閉じた。

(もう、いいわ。……私は、私の仕事を、最後までやり遂げたもの)

 意識が闇に沈む直前。
 雨音に混じって、馬車の車輪が止まる音が聞こえた。

「……おい。そこで何をしている。死にたいのか?」

 聞こえてきたのは、冷徹でありながらも、どこか深く透明なすずのような響きを持つ、男の声だった。
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