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絶望の果ての追放
第2話:泥の匂いと偽りの花
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トランク一つを手に、私は慣れ親しんだ調香室へと向かった。
せめて、私物である調合器具だけでも持ち出そうとした私の目に飛び込んできたのは、無残に荒らされた室内と、床に散乱した私のレシピ帳だった。
「あら、お姉様。まだ残っていらしたの?」
そこには、宮廷調香師の白い外套を羽織ったイザベルが立っていた。
昨日まで私が着ていた、国の紋章が刻まれた誇りある服だ。
「……イザベル。私のレシピ帳をどうするつもり?」
「どうするも何も、ただのゴミですわ。これからは私の『真実の香』が国を救うのですから、こんな古臭い理論、必要ありませんでしょう?」
イザベルは、私が長年かけて書き留めてきた「瘴気と感情の相関図」が記されたページを、迷いなく破り捨てた。
私は反射的に駆け寄り、破られた紙を拾い集める。
「やめて……! それは、どの香りがどの瘴気に効くか、何代もかけて研究してきた大切な記録なのよ。それを失えば、国中の浄化が滞ってしまうわ」
「ふふっ、相変わらず大げさですこと。お姉様が『浄化』と称して撒き散らしていたあの泥の匂い、本当はただの失敗作だったのでしょう? カイル様が仰っていましたわ。お姉様は自分の無能を隠すために、わざと不快な匂いをさせて周囲を遠ざけていたんだって」
血の気が引いていくのが分かった。
カイル様は、そんな風に思っていたのか。
私が毎日、瘴気に当てられて吐き気に耐えながら、それでも国民の健康を守るために抽出していたあの香りを。
「……私の香りは、瘴気を吸着するためのものよ。だから嫌な匂いがするのは当たり前なの。あなたの作る香水は、ただ匂いを上書きしているだけ。それでは瘴気は消えないし、むしろ人々の精神を蝕むわ」
「黙りなさい、この汚物女!」
イザベルが激昂し、手に持っていた香水瓶の中身を私に浴びせかけた。
ツンと鼻を突く、過剰に甘い人工的な百合の香り。
「不潔なお姉様には、これくらい強い香りがお似合いよ。あぁ、いい気味。今すぐその汚い格好で、泥の匂いがする実家へとお帰りなさいな」
頭から滴り落ちる液体の重み。
イザベルの放つ香りは、表面上は美しく装っているが、私の鼻には「傲慢」と「嘘」が混じり合った、不快な黄色い匂いとして感じられた。
かつて、両親もそうだった。
希少な「浄化」の力を持つ私を、国の盾として差し出し、その報酬で贅沢な暮らしを謳歌した。
一方で、華やかで可愛げのあるイザベルを溺愛し、泥の匂いを纏う私を「伯爵家の恥」として屋敷の隅に追いやった。
私を愛してくれる人なんて、最初からこの国には一人もいなかったのだ。
「……分かったわ、イザベル。すべて、あなたの言う通りにしましょう」
「あら、やっと身の程をわきまえたのね」
「ええ。もう二度と、私がこの王宮を浄化することはありません。……あなたたちの望む『美しい王宮』を、せいぜい維持してみせなさい」
私は破られたレシピの残骸を胸に抱き、冷たい床を立ち上がった。
調香室を出る際、私は部屋の隅に漂う、一筋の黒い煙のような瘴気が、イザベルの背後に音もなく近づくのを見た。
いつもなら真っ先に浄化するはずのそれを、私は黙って見過ごした。
浄化の盾を失った王宮が、これからどんな色に染まっていくのか。
それを知る権利は、もう私にはない。
トランクを引きずる音だけが、人影の消え始めた夕暮れの廊下に、虚しく響いていた。
せめて、私物である調合器具だけでも持ち出そうとした私の目に飛び込んできたのは、無残に荒らされた室内と、床に散乱した私のレシピ帳だった。
「あら、お姉様。まだ残っていらしたの?」
そこには、宮廷調香師の白い外套を羽織ったイザベルが立っていた。
昨日まで私が着ていた、国の紋章が刻まれた誇りある服だ。
「……イザベル。私のレシピ帳をどうするつもり?」
「どうするも何も、ただのゴミですわ。これからは私の『真実の香』が国を救うのですから、こんな古臭い理論、必要ありませんでしょう?」
イザベルは、私が長年かけて書き留めてきた「瘴気と感情の相関図」が記されたページを、迷いなく破り捨てた。
私は反射的に駆け寄り、破られた紙を拾い集める。
「やめて……! それは、どの香りがどの瘴気に効くか、何代もかけて研究してきた大切な記録なのよ。それを失えば、国中の浄化が滞ってしまうわ」
「ふふっ、相変わらず大げさですこと。お姉様が『浄化』と称して撒き散らしていたあの泥の匂い、本当はただの失敗作だったのでしょう? カイル様が仰っていましたわ。お姉様は自分の無能を隠すために、わざと不快な匂いをさせて周囲を遠ざけていたんだって」
血の気が引いていくのが分かった。
カイル様は、そんな風に思っていたのか。
私が毎日、瘴気に当てられて吐き気に耐えながら、それでも国民の健康を守るために抽出していたあの香りを。
「……私の香りは、瘴気を吸着するためのものよ。だから嫌な匂いがするのは当たり前なの。あなたの作る香水は、ただ匂いを上書きしているだけ。それでは瘴気は消えないし、むしろ人々の精神を蝕むわ」
「黙りなさい、この汚物女!」
イザベルが激昂し、手に持っていた香水瓶の中身を私に浴びせかけた。
ツンと鼻を突く、過剰に甘い人工的な百合の香り。
「不潔なお姉様には、これくらい強い香りがお似合いよ。あぁ、いい気味。今すぐその汚い格好で、泥の匂いがする実家へとお帰りなさいな」
頭から滴り落ちる液体の重み。
イザベルの放つ香りは、表面上は美しく装っているが、私の鼻には「傲慢」と「嘘」が混じり合った、不快な黄色い匂いとして感じられた。
かつて、両親もそうだった。
希少な「浄化」の力を持つ私を、国の盾として差し出し、その報酬で贅沢な暮らしを謳歌した。
一方で、華やかで可愛げのあるイザベルを溺愛し、泥の匂いを纏う私を「伯爵家の恥」として屋敷の隅に追いやった。
私を愛してくれる人なんて、最初からこの国には一人もいなかったのだ。
「……分かったわ、イザベル。すべて、あなたの言う通りにしましょう」
「あら、やっと身の程をわきまえたのね」
「ええ。もう二度と、私がこの王宮を浄化することはありません。……あなたたちの望む『美しい王宮』を、せいぜい維持してみせなさい」
私は破られたレシピの残骸を胸に抱き、冷たい床を立ち上がった。
調香室を出る際、私は部屋の隅に漂う、一筋の黒い煙のような瘴気が、イザベルの背後に音もなく近づくのを見た。
いつもなら真っ先に浄化するはずのそれを、私は黙って見過ごした。
浄化の盾を失った王宮が、これからどんな色に染まっていくのか。
それを知る権利は、もう私にはない。
トランクを引きずる音だけが、人影の消え始めた夕暮れの廊下に、虚しく響いていた。
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