妾の嫁入り

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 八畳ほどある寝室には、既に布団が敷かれていた。
 綿がたっぷりと詰めてある布団はふかふかで、ほのかにお日様の匂いがした。
 昨日まで寝ていたのは、何年も使い古した綿も潰れてぺたんこになった薄い布団で、冬は寒くて眠れないこともあった。
 本当に、たった一日で紫乃の世界はまったく変わってしまった。
 けれど、こんな生活がいつまで続くのか。
 妾なんて、飽きられたらそれで終わり。
 紫乃には母のような器量もなければ、男性を満足させるための手練手管も持ち合わせていない。
 最初は物珍しく思われて、そこそこ興味を引くかもしれないが、それも長くは続かないだろう。
 またいつか、呆気なく追い出されるかも知れないのだ。
 (その時が来たら、私はどうしよう)
 不意に、義兄の顔が浮かび、怖気が走る。
 例えここを追い出されたとしても、古川家には戻れない。戻りたくない。
 妾から出戻った紫乃を幸一がどのように扱うか──考えただけでおぞましい。
 紫乃は柔らかな布団の中に入り、目を閉じた。
 途端、鉛のように身体が重くなる。
 気が張っていたから気付かなかったが、相当疲れていたようだ。
 けれど、早く眠ってしまいたいのに、目を瞑ると頭の中で嫌な妄想が止まらなくなる。
 結局、紫乃が眠りについたのは、深夜を過ぎた頃だった。


 目が覚めると、障子越しにも日が高いことに気づいた紫乃は、慌てて布団から飛び起きた。
備え付けの時計を見ると、もう十時を回っている。
 初日だというのに、やってしまった。
 急いで着替えて部屋を出ると、昨夜と同じ場所に朝食ののった膳が置いてあった。
 やはりというか、汁椀はとっくに冷えていて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 けれど美味しそうな食事を目の前にして、身体はとっても正直で。
 紫乃の腹はくうぅ、と子犬のような声で鳴いた。
 起きれなかったことも申し訳ないが、せっかく出してもらった食事を残すのはもっと申し訳ない。
 (それに、残すと神様にしかられるわ)
 小さいころ、食の細かった紫乃に、母はお米一粒の中にも神様がいるのだと語って聞かせた。
 お米だけじゃない、野菜も、その野菜を育む大地にも、すべてのものに神様は宿るのだと。

 「いただきます」

 汁椀の蓋を開けると、鮮やかな紅色が目に入る。
 今日の具はさつまいもときのこだ。
 おかずは皮目をこんがりと焼いた鮭に胡麻をあえたきんぴらごぼう、そしてたくあん漬け。
 冷めていても、ちっとも気にならない。
 美味しくて美味しくて、米粒一つ残さずに、綺麗に平らげた。
 空になった食器をどうすべきかわからず、かといってこのまま放置するのも気が引ける。
 しばらく迷ったのち、母屋へ届けることにした。
 炊事場と思しき土間の入り口を見つけ、中へ向かって声をかけようとした。

 「ねえ、蒔子様はまだお部屋から出ていらっしゃらないの?」

 小上がりで作業をしていた女中の声に、紫乃は思わず壁の陰に隠れた。

 「ええ。お食事をお出ししてもまったく召し上がらないの。このままじゃ死んでしまうわ」

 「でもわかるわ、だってあんなにも瑛久様に夢中でいらっしゃるのに……こんなのって残酷すぎる」

 女中たちの手には包丁が握られており、食材の下ごしらえをしながらお喋りに花を咲かせていた。

 「確かにお気の毒ではあるけれど、お子ができないんじゃ仕方がないわよ。それになにより、旦那様のご命令だしね」

 よくわからないが、なんだか聞いてはいけない話のような気がして、引き返そうとした紫乃の背後から影が伸びる。
 振り向いた紫乃の目に映ったのは、昨日顔合わせの場に同席していた女性。
 (確か……鈴子さん、とおっしゃったかしら)
 瑛久と同じ榛色の瞳と、耳の下で切りそろえた流行りの断髪が印象的な美少女だ。

 「あなた、こんなところでなにをしているの」

 「あの、朝の膳をお返ししようと──」

 「誰かに見られでもしたら困るのよ!少しはわきまえてちょうだい!」

 「も、申し訳ありません」

 鈴子は口を開くなりひどい剣幕で紫乃を怒鳴りつけ、それを聞きつけた女中が中から飛び出してきた。

 「鈴子お嬢様、どうなさいましたか!?」

 「あなたたち、いったい何してるのよ!この人を離れから出さないでちょうだい!」

 わけが分からず困惑する女中たちだったが、紫乃が持つ膳を見て理解したようだ。
 女中の一人が急いで紫乃から膳を受け取る。

 「すみません」

 女中から返事はなかった。

 「早く戻ってちょうだい。まったく、キヨはどこにいったの」

 このままでは紫乃のせいでキヨまで叱られてしまう。

 「あの、キヨさんは悪くありません。私が寝過ごしてしまったのがいけないんです」

 「寝過ごした、ですって?私たちの気も知らず、いいご身分ね」

 蔑まれることには慣れているし、妾として水無瀬家に来た紫乃を女性陣が良く思わないことも十分承知している。
 だからせめて、日々の暮らしでは少しでも人の手を煩わせることのないようにと、紫乃なりに考えて行動したのが、この家の人間からすればそれはかえって余計なことだった。
 ここでは誰の目にも触れぬよう、息をひそめて暮らすのがお互いにとって最善なのだ。
 なんてことはない。
 今までだってそうして生きてきたのだから。

 「本当に、申し訳ありませんでした」

 紫乃は深く頭を下げたあと、誰とも目を合わさないようにして離れへと戻った。



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