妾の嫁入り

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 水無瀬家へ行く日。
 二十歳まで暮らした離れには、あちらへ持っていくべきものはほとんどなかった。
 生前母が使用していた物は、君江の指示ですべて離れから持ち出され、処分されてしまった。
 紫乃自身、持っているのは誰のおさがりかもわからぬ、着古された着物ばかり。
 身だしなみを整えるための櫛ひとつとっても、歯が折れて隙間だらけというありさまだ。
 
 『必要な物は一式、水無瀬家に送っておいた』という父の言葉を信じ、紫乃はすべてを置いてここを出ることにした。
 物も思い出も、全部。
 部屋の真ん中に置かれた衣紋掛けには、この日のために父が馴染みの呉服屋で仕立てたという、豪奢な花房が美しい藤の花が描かれた着物が掛けられていた。
 君江が目にすれば、癇癪を起して暴れそうなほど見事な品だ。
 さすがに父も、庶子とはいえ古川家の娘が、ぼろぼろの着物で付き合いのある名家に入るのは、体裁が悪いとでも思ったのだろう。
 どこまでも自分の事しか考えないその身勝手さは、いっそあっぱれだとも思う。
 側に置かれた長襦袢ながじゅばんは、厄除け・魔除けの意味があるうろこ模様。
 母親から娘へ贈られる事の多い品だ。
 紫乃は母から聞いて知っていたが、まさかあの父が、それをわかった上で用意したとは考えにくい。
 おそらくだが、父はこの呉服屋の女将と懇意にしているのだろう。
 もちろんそれはと。
 それで気を利かせた女将が、この長襦袢を用意したに違いない。

 離れを出ても、紫乃を見送る人は誰もいなかった。
 その代わりというか、門の前には父が手配したという人力車が停まっていた。
 車の隣に立つ車夫が、遠慮がちに頭を下げる。
 何か期待していたわけではない。
 むしろあまりにもあっけない別れのおかげで、変な感傷に浸らずに済んだのはありがたかった。
 紫乃はひとり、二十年の人生が詰まった小さな風呂敷包みとともに、生まれ育った古川邸をあとにしたのだった。


 


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