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しおりを挟む豪奢な絨毯が敷かれた本邸の廊下を引き返す紫乃を、すれ違う使用人たちがひそひそと囁き合いながら見ている。
厄介払いされる紫乃の話は、本邸の使用人たちの間で今一番面白い娯楽のひとつなのだろう。
「おい、待てよ」
居心地の悪さを感じ、歩く速度を早める紫乃に、無遠慮に声をかけてきたのは義兄の幸一だった。
幸一はお世辞にも出来が良いとは言えず、勤勉とはほど遠い大変な放蕩者であった。
賄賂と縁故を使い、なんとか大学を卒業したまではいいものの、すぐに父親が経営する会社に入り、親の威光を笠に着て好き勝手しているとか。
五歳年上の義兄は、久しぶりに会った紫乃を、頭のてっぺんから足のつま先まで舐めまわすように見ると、いやらしく口の端をつり上げた。
「お前、水無瀬の家に行くんだってな」
おそらく紫乃が妾になることは、この家で周知の事実なのだろう。
「水無瀬の当主はうちの親父に負けず劣らずの、相当な色好みだと聞くぞ。お前みたいにやせっぽちで色気のない女が、男を満足させることができるのか?」
「痛っ……!」
突然手首をひねり上げられ、痛みに顔が歪む紫乃だったが、幸一は構わず強い力で細い手首を握り締めた。
「どうすれば男が悦ぶのか、俺がじっくりと教えてやろう」
幸一は紫乃の首元に顔を寄せ、すんすんと匂いを嗅いだ。
呼気からは、アルコールと口臭が混ざりあう不快な匂いがした。
紫乃の全身に怖気が走る。
幸一は紫乃を引きずり、歩き出した。
「何をするんです!」
幸一は無言のまま廊下を進む。
おそらく、このまま適当な部屋に連れ込むつもりだ。
幸一は、ことあるごとに紫乃の周りをうろついては、いやらしい目を向けてきた。
しかし紫乃も庶子とはいえ古川家の娘。
これまでは、紫乃が政略のため他家へ嫁ぐ可能性を考えて、手を出さないようにしていたのだろう。
しかし今回のことで、妾の身持ちなんて少しくらい悪かろうが関係ないと踏んだに違いない。
「やめて……やめてください!!」
「何をしているの」
身をよじり、必死で抵抗する紫乃の前に現れたのは、救いの神ではなかった。
栄一の正妻、そして幸一の母である君江は、幸一に掴まれた紫乃の腕を見て眉根を寄せた。
「母さん、いや、これはその……!」
幸一はバツが悪そうにして、咄嗟に紫乃の手を放した。
掴まれていた腕を見ると、そこには幸一の手の跡がくっきりとついていて、男と女の力の差をまざまざと思い知らさせる。
「さすがあの女の娘ね。花街仕込みの手練手管で、今度は幸一をたぶらかそうとしたのかしら?」
「そんなことしていません!」
「じゃあ幸一があなたを無理やり連れ回したって言うの?」
「そうです──」
「そうなんだよ!!」
幸一の大声が、紫乃の言葉をかき消した。
「こいつが色々教えてくれっていうから、俺は仕方なく。なあ、そうだろう?」
こちらを遠巻きに見ていた使用人たちに向かって、幸一は同意を促した。
主に逆らう使用人がいるはずもない。
恐る恐る頷く使用人。
幸一は勝ち誇ったように紫乃を見た。
(なんて卑怯なの)
「土下座して謝りなさい」
君江の目はいつも、紫乃ではなく、紫乃に宿る母の面影に向けられている。
この家族は歪だ。
そう思ったのはいつの事だったか。
基本、母屋に立ち入らない母親と紫乃だったが、年に数度、祝い事の席などでお互いが顔を合わせる機会があった。
しかし紫乃は、父と君江が笑い合っている姿を一度も見たことがない。
紫乃を可愛がってくれたのと同様に、父が幸一を気にかける姿も。
紫乃は妾の子で、幸せだったのは母が死ぬまでの間だけだったが、それでももしかしたらこの家族よりはましだったのかもしれない。
君江は、母が死んでから随分経った今でも、すべての不幸を亡き母と紫乃のせいだと思っている。
「聞こえなかったの。土下座して謝りなさいと言っているのよ!」
癇癪を起こした君江は、紫乃が土下座するまでは、決してこの場から解放しないだろう。
(悔しい)
何も悪いことなんてしていないのに。
文句があるのなら、紫乃が産まれる原因を作った栄一を恨めばいいのに。
とにかく今は、一刻も早くここから逃げ出したかった。
「申し訳ありませんでした……!」
手をついて謝る紫乃の視界に、君江の白い足袋の先が目に入った。
「ぅっ……!!」
後頭部への衝撃とともに、顔が絨毯の上へと押し付けられる。
君江が足で、紫乃の頭を踏みつけたのだ。
「さっさとこの家から出てお行きなさいな、この売女が!本当に、母娘揃って汚らわしいったらありゃしない!」
(この人の中には鬼がいる)
君江の口から出る呪詛のような言葉は、間違いなく母と自分に向けられたもの。
(彼女を鬼にしたのは私たちだ)
頭を踏みつけられながら、紫乃は身を固くして、君江の気が済むまで待ち続けた。
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