【完結】偽りのα、真実の恋 ー僕が僕として生きるためにー

天音蝶子(あまねちょうこ)

文字の大きさ
6 / 13

6.秋の文化祭と初めての鼓動

しおりを挟む
 秋の空は高く、どこまでも澄んでいた。
 校庭の銀杏が金の炎のように揺れ、微かな風がその葉をはらりとはらりと散らしていく。
 遠くから運動場のざわめきが届き、甘い菓子の香りと木材の匂いが入り混じる。
 学園は、年に一度の文化祭を迎えていた。

 リオンは教室の中央で、装飾の指揮をとっていた。
 兄アレンの代わりに引き受けた責任——
 最初は「無理しないで」「病み上がりなんだから」と、皆が気を遣っていた。
 けれど、彼の声が響くたびに空気が変わっていった。
 その真っ直ぐな瞳と、丁寧な言葉のひとつひとつが、確かな信頼を呼び込んでいく。

「そこ、もう少し右に。——そう、いい感じ!」

 指示を出す声が弾む。
 木漏れ日が頬を照らし、リオンの額に小さな汗の粒が光った。
 それを拭う仕草には、わずかな誇りと充足の色が宿っている。

 その姿を、少し離れた廊下からノアが見つめていた。
 柔らかく笑む唇の端。
 光を反射する窓越しに、彼のアメジスト色の瞳が細められる。

(……ちゃんと、前を向いているな)

 最初に感じた“守らなければ”という衝動は、今では静かな“見守りたい”という願いに変わっていた。
 彼の中で、リオンという存在が“脆さ”ではなく、“確かさ”に変わりつつあるのを、ノア自身も感じていた。

 ——そして、夜。

 文化祭前夜の校舎は、昼間の喧噪が嘘のように静まり返っていた。
 廊下にはわずかにインクと紙の匂いが残り、どこか懐かしい静けさが満ちている。
 灯りの残るのは体育館と階段の踊り場だけ。
 リオンは段ボール箱を抱え、疲れた足取りで階段を下りていた。

「……もう少しだけ、片づけたら……」

 自分に言い聞かせるように呟いたそのとき——
 足元の紙片が舞い、靴裏が滑った。

「——っ!」

 視界が傾く。箱が宙に浮く。
 咄嗟に伸びた腕が、彼を受け止めた。

「危ない!」

 低く響く声。
 強く引き寄せられた体を支える腕の力。
 気づけば、リオンはノアの胸の中にいた。

 彼の制服越しに伝わる体温。
 静かで、力強い心音。
 そして、近すぎる距離から漂う、微かなαの香り。

 それは安心の香りでもあり、心を乱す香りでもあった。
 空気が一瞬、凪いだように感じる。
 遠くの時計の針の音までが、やけに鮮明に聞こえた。

(……この匂い、落ち着く。けれど、怖い)

 息をするたび、胸の奥が熱を帯びていく。
 ノアの瞳が、夕陽の残光を宿して微かに揺れた。
 金と橙が混じり合う光の中で、二人の影が階段に重なる。

「……ごめん、ありがとう」

 震えを抑えながら、リオンが顔を上げる。

「気をつけろよ。……無理してるだろ」

 ノアの声は穏やかだったが、その奥には確かな痛みがあった。
 彼の掌がリオンの肩に触れる。
 その一瞬のぬくもりが、心の奥まで沁みていく。

(だめだ、そんなふうに触れられたら……)

 ——崩れてしまいそうになる。

 けれど、不思議と拒む気持ちはなかった。
 むしろ、その優しさを、もう少しだけ感じていたかった。

「ねえ、ノア」

「ん?」

「僕……ちゃんとαに見えるかな?」

 問いながら、リオンの声が微かに揺れる。
 本当は聞きたくなんてなかった。
 答えが怖い。
  “嘘の自分”を肯定されたら、心のどこかが壊れてしまいそうで。

 ノアは少し黙った。
 目の奥に何かを宿しながら、静かに息を吸い込む。
 やがて、柔らかい笑みが口元に浮かんだ。

「……あぁ。誰よりも、綺麗なαだ。」

 その言葉は、秋の夜風よりも温かく、月光のように静かに胸に落ちた。
 リオンの心臓が跳ねる。
 それは恐れでも羞恥でもなく—— “嬉しさ”に近い痛みだった。

(どうして、そんなふうに言うの……)

 何かがほどけるように、喉の奥が熱くなった。
 けれど、言葉は出てこない。
 ただ、鼓動だけが二人の間を確かに刻んでいる。

 ノアは床に落ちた箱を拾い上げ、いつもの穏やかな声で言った。

「ほら、もう少しだけ頑張ろう。明日は本番だ。」

「……うん。」

 二人は並んで歩き出す。
 廊下の窓の外では、秋の星が静かに瞬いていた。
 夜気が肌を撫で、遠くで銀杏の葉がさらさらと音を立てる。

 ——それはまるで、誰にも知られぬ“秘密の恋”の始まりをそっと祝福しているかのようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オメガはオメガらしく生きろなんて耐えられない

子犬一 はぁて
BL
「オメガはオメガらしく生きろ」 家を追われオメガ寮で育ったΩは、見合いの席で名家の年上αに身請けされる。 無骨だが優しく、Ωとしてではなく一人の人間として扱ってくれる彼に初めて恋をした。 しかし幸せな日々は突然終わり、二人は別れることになる。 5年後、雪の夜。彼と再会する。 「もう離さない」 再び抱きしめられたら、僕はもうこの人の傍にいることが自分の幸せなんだと気づいた。 彼は温かい手のひらを持つ人だった。 身分差×年上アルファ×溺愛再会BL短編。

運命の番は僕に振り向かない

ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。 それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。 オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。 ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。 ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。 ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。 ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。

『聖クロノア学院恋愛譚 』記憶を失ったベータと王族アルファ、封印された過去が愛を試すまで

るみ乃。
BL
聖クロノア学院で、記憶と感情が静かに交差する。 「君の中の、まだ知らない“俺”に、触れたかった」 記憶を失ったベータの少年・ユリス。 彼の前に現れたのは、王族の血を引くアルファ・レオンだった。 封じられた記憶。 拭いきれない心の傷。 噛み合わない言葉と、すれ違う想い。 謎に包まれた聖クロノア学院のなかで、 ふたりの距離は、近づいては揺れ、また離れていく。 触れたいのに、触れられない。 心を開けば、過去が崩れてしまう。 それでも彼らは、確かめずにはいられなかった。 ――やがて、学院の奥底に眠る真実が、静かに目を覚ます。 過去と向き合い、誰かと繋がることでしか見えない未来がある。 許し、選びなおし、そしてささやかな祈り。 孤独だった少年たちは、いつしか「願い」を知っていく。 これは、ふたりの愛の物語であると同時に、 誰かの傷が、誰かの救いへと変わっていく物語。 運命に抗うのは、誰か。 未来を選ぶのは、誰なのか。 優しさと痛みが交差する場所で、物語は紡がれる。

六日の菖蒲

あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。 落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。 ▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。 ▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず) ▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。 ▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。 ▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。 ▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

テーマパークと風船

谷地
BL
今日も全然話せなかった。せっかく同じ講義だったのに、遅く起きちゃって近くに座れなかった。教室に入ったらもう女の子たちに囲まれてさ、講義中もその子たちとこそこそ話してて辛かった。 ふわふわの髪の毛、笑うと細くなる可愛い目、テーマパークの花壇に唇を尖らせて文句を言っていたあの人は好きな人がいるらしい。 独り言がメインです。 完結しました *・゚

追放オメガ聖帝の幸せな結婚〜クールなスパダリ騎士に拾われて溺愛されるまで〜

あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
ノルディーナ王国の聖帝サーナは、教皇のありもしない嘘のせいで聖宮から追放されてしまう。 行く当てがないサーナが国境に向かうと、そこで隣国ルミルカ王国の騎士であるムーシュと出会う。ムーシュから諸事情により偽装結婚を提案されて、サーナは期限付きの偽装結婚ならばよいと承諾し、一時的に保護してもらうことに。 異国暮らしに慣れていく中で、やがてムーシュから溺愛されるようになり……?

オメガの僕が、最後に恋をした騎士は冷酷すぎる

虹湖🌈
BL
死にたかった僕を、生かしたのは――あなたの声だった。 滅びかけた未来。 最後のオメガとして、僕=アキは研究施設に閉じ込められていた。 「資源」「道具」――そんな呼び方しかされず、生きる意味なんてないと思っていた。 けれど。 血にまみれたアルファ騎士・レオンが、僕の名前を呼んだ瞬間――世界が変わった。 冷酷すぎる彼に守られて、逃げて、傷ついて。 それでも、彼と一緒なら「生きたい」と思える。 終末世界で芽生える、究極のバディ愛×オメガバース。 命を懸けた恋が、絶望の世界に希望を灯す。

王太子殿下に触れた夜、月影のように想いは沈む

木風
BL
王太子殿下と共に過ごした、学園の日々。 その笑顔が眩しくて、遠くて、手を伸ばせば届くようで届かなかった。 燃えるような恋ではない。ただ、触れずに見つめ続けた冬の夜。 眠りに沈む殿下の唇が、誰かの名を呼ぶ。 それが妹の名だと知っても、離れられなかった。 「殿下が幸せなら、それでいい」 そう言い聞かせながらも、胸の奥で何かが静かに壊れていく。 赦されぬ恋を抱いたまま、彼は月影のように想いを沈めた。 ※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。 表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。 ※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。 ©︎月影 / 木風 雪乃

処理中です...