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7.冬のはじまり、心のざわめき
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初雪の朝。
校舎の屋根が薄く白をまとう。
冷たい風が校庭の銀杏の枝を揺らし、舞い散る葉と雪片が混ざり合って落ちていく。
吐く息が白くほどけ、石畳を踏むたびに、きゅ、と乾いた音がした。
リオンはマフラーの端を口元に押し当て、胸の奥まで吸い込んだ空気の冷たさに目を細めた。
——その奥に、微かに甘い香りが混じっていた。
(……フェロモン、だ)
冬は、αたちの匂いが強くなる季節。感受性も高まる。
つまり今の自分は、誰よりも『不安定な存在』だった。
「アレン、今日も朝から人気者だな」
明るい声に振り向くと、βの女子が笑顔で立っていた。
「昨日の準備も助かったよ、ありがとう。文化祭の時も頼りになったし」
「そんな、僕こそありがとう」
穏やかに返すと、少女の頬がわずかに染まり、去っていった。
残されたリオンは、少しだけ胸を押さえた。
(嬉しいはずなのに……どうして、落ち着かないんだろう)
そのとき——廊下の奥から静かな視線を感じた。
ノアだった。
冬の光に縁取られた漆黒色の髪、わずかに険しい表情。
彼は何かを確かめるように、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「……ずいぶん人気者だな」
「え、そんなこと……ないよ。ちょっと話しかけられただけで——」
「そうか?」
低く落ちた声には、いつもの柔らかさの奥に、微かな棘があった。
その響きが、胸の奥をざわつかせる。
何を怒らせたんだろう。
けれど、目を逸らせなかった。
昼休み。
中庭のベンチにはうっすら雪が積もり、吐く息がゆらゆらと空に消える。
リオンは小さなパンを手に、ひとり静かに食べていた。
空気は張り詰め、遠くでチャイムが鳴る音さえ、雪に吸い込まれていくようだった。
「隣、いいか」
声の方を見上げると、ノアがいた。
冬の制服の上からストールを巻き、手に温かい紙コップを持っている。
彼は何のためらいもなく隣に腰を下ろした。
その距離が近すぎて、リオンの肩がわずかに震えた。
「お前さ、最近……みんなに囲まれてるよな」
「う、うん。みんな優しくしてくれるから……」
「それで、嬉しいのか?」
問いは穏やかに聞こえた。
けれど、その下に沈むものがあった。
凍てついた湖の下で、静かに波立つ感情のような。
リオンは言葉を選びながら、小さく息を吐いた。
「……嬉しい。でも、怖い。誰かに見破られたらって思うと、笑ってる自分が嘘みたいで」
笑いながら言う声がかすかに震えた。
その手に、ノアの指がそっと触れる。
——あたたかい。
それだけで、雪の冷たさが消える。
指先から伝わる鼓動が、心の奥まで染み込んでいく。
「……俺がいる。大丈夫だ」
「ノア……」
名を呼ぶと、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
守られる安心と、見透かされるような怖さ。
二つの感情が混ざって、息が詰まりそうだった。
(どうして、こんなに……心がざわつくんだろう)
離さなきゃいけない手なのに、離せなかった。
ノアはそんなリオンを見つめたまま、静かに言った。
「お前が誰に笑ってもいい。誰に優しくしてもいい。でも——俺の知らないところで、そんな顔をするのは嫌だ」
その声が雪の音よりも静かに落ち、心臓の奥に届いた。
リオンは息を呑んだ。
ノアの言葉は、告白ではない。
けれど、それよりもずっと近い。
「……それって、どういう……意味?」
「さあ、どう思う?」
ノアの唇に、かすかな笑みが浮かぶ。
けれど、その笑みの奥に、どうしようもなく熱いものが宿っていた。
リオンはうまく言葉を返せず、視線を逸らす。
風が頬を撫で、白い息が震える。
(ノアに触れられると、安心するのに——苦しい。どうして……)
放課後。
図書館には、夕暮れと雪明かりが静かに溶け合っていた。
リオンは窓際で本を閉じ、外を見ていた。
遠くの屋根から落ちる雪が、音もなく地に消えていく。
その静けさが心地よく、同時にどこか寂しい。
「まだ残ってたのか」
低い声に振り向くと、ノアが立っていた。
手には、読みかけの資料。
「うん、少しだけ……静かなのが好きで」
「だろうな」
ノアは微笑んで、彼の隣に立つ。
窓から差す光が二人を照らし、リオンの髪に淡い金が宿る。
ノアはふと、その髪に手を伸ばした。
「……雪、似合うな」
「えっ?」
「そういうの、気づいてないだろ。お前、見られてるんだぞ」
その言葉に、胸の鼓動が跳ねた。
ノアの声は穏やかで、けれど触れるたびに火を灯す。
リオンは顔を上げることができなかった。
ノアは少し視線を伏せ、苦く笑う。
「……もしお前が本当にαだったら、俺はもう少し余裕を持てたかもしれないな」
「どういう意味……?」
「何でもない。忘れてくれ」
背を向けて歩き出すノアの影が、雪の灯りに滲んでいく。
リオンはその背中を、ただ見送ることしかできなかった。
(ノア……あなたの言葉は、いつも遠回しで。だけど、どうしてそんなに優しい顔をするの?)
唇を噛みしめる。
胸の奥が熱くて、苦しい。
その痛みが、もう“恐れ”ではないと気づいたとき——
リオンの頬を、一粒の雪が伝って落ちた。
——恋だ。
その名を、ようやく心が受け入れた瞬間だった。
校舎の屋根が薄く白をまとう。
冷たい風が校庭の銀杏の枝を揺らし、舞い散る葉と雪片が混ざり合って落ちていく。
吐く息が白くほどけ、石畳を踏むたびに、きゅ、と乾いた音がした。
リオンはマフラーの端を口元に押し当て、胸の奥まで吸い込んだ空気の冷たさに目を細めた。
——その奥に、微かに甘い香りが混じっていた。
(……フェロモン、だ)
冬は、αたちの匂いが強くなる季節。感受性も高まる。
つまり今の自分は、誰よりも『不安定な存在』だった。
「アレン、今日も朝から人気者だな」
明るい声に振り向くと、βの女子が笑顔で立っていた。
「昨日の準備も助かったよ、ありがとう。文化祭の時も頼りになったし」
「そんな、僕こそありがとう」
穏やかに返すと、少女の頬がわずかに染まり、去っていった。
残されたリオンは、少しだけ胸を押さえた。
(嬉しいはずなのに……どうして、落ち着かないんだろう)
そのとき——廊下の奥から静かな視線を感じた。
ノアだった。
冬の光に縁取られた漆黒色の髪、わずかに険しい表情。
彼は何かを確かめるように、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「……ずいぶん人気者だな」
「え、そんなこと……ないよ。ちょっと話しかけられただけで——」
「そうか?」
低く落ちた声には、いつもの柔らかさの奥に、微かな棘があった。
その響きが、胸の奥をざわつかせる。
何を怒らせたんだろう。
けれど、目を逸らせなかった。
昼休み。
中庭のベンチにはうっすら雪が積もり、吐く息がゆらゆらと空に消える。
リオンは小さなパンを手に、ひとり静かに食べていた。
空気は張り詰め、遠くでチャイムが鳴る音さえ、雪に吸い込まれていくようだった。
「隣、いいか」
声の方を見上げると、ノアがいた。
冬の制服の上からストールを巻き、手に温かい紙コップを持っている。
彼は何のためらいもなく隣に腰を下ろした。
その距離が近すぎて、リオンの肩がわずかに震えた。
「お前さ、最近……みんなに囲まれてるよな」
「う、うん。みんな優しくしてくれるから……」
「それで、嬉しいのか?」
問いは穏やかに聞こえた。
けれど、その下に沈むものがあった。
凍てついた湖の下で、静かに波立つ感情のような。
リオンは言葉を選びながら、小さく息を吐いた。
「……嬉しい。でも、怖い。誰かに見破られたらって思うと、笑ってる自分が嘘みたいで」
笑いながら言う声がかすかに震えた。
その手に、ノアの指がそっと触れる。
——あたたかい。
それだけで、雪の冷たさが消える。
指先から伝わる鼓動が、心の奥まで染み込んでいく。
「……俺がいる。大丈夫だ」
「ノア……」
名を呼ぶと、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
守られる安心と、見透かされるような怖さ。
二つの感情が混ざって、息が詰まりそうだった。
(どうして、こんなに……心がざわつくんだろう)
離さなきゃいけない手なのに、離せなかった。
ノアはそんなリオンを見つめたまま、静かに言った。
「お前が誰に笑ってもいい。誰に優しくしてもいい。でも——俺の知らないところで、そんな顔をするのは嫌だ」
その声が雪の音よりも静かに落ち、心臓の奥に届いた。
リオンは息を呑んだ。
ノアの言葉は、告白ではない。
けれど、それよりもずっと近い。
「……それって、どういう……意味?」
「さあ、どう思う?」
ノアの唇に、かすかな笑みが浮かぶ。
けれど、その笑みの奥に、どうしようもなく熱いものが宿っていた。
リオンはうまく言葉を返せず、視線を逸らす。
風が頬を撫で、白い息が震える。
(ノアに触れられると、安心するのに——苦しい。どうして……)
放課後。
図書館には、夕暮れと雪明かりが静かに溶け合っていた。
リオンは窓際で本を閉じ、外を見ていた。
遠くの屋根から落ちる雪が、音もなく地に消えていく。
その静けさが心地よく、同時にどこか寂しい。
「まだ残ってたのか」
低い声に振り向くと、ノアが立っていた。
手には、読みかけの資料。
「うん、少しだけ……静かなのが好きで」
「だろうな」
ノアは微笑んで、彼の隣に立つ。
窓から差す光が二人を照らし、リオンの髪に淡い金が宿る。
ノアはふと、その髪に手を伸ばした。
「……雪、似合うな」
「えっ?」
「そういうの、気づいてないだろ。お前、見られてるんだぞ」
その言葉に、胸の鼓動が跳ねた。
ノアの声は穏やかで、けれど触れるたびに火を灯す。
リオンは顔を上げることができなかった。
ノアは少し視線を伏せ、苦く笑う。
「……もしお前が本当にαだったら、俺はもう少し余裕を持てたかもしれないな」
「どういう意味……?」
「何でもない。忘れてくれ」
背を向けて歩き出すノアの影が、雪の灯りに滲んでいく。
リオンはその背中を、ただ見送ることしかできなかった。
(ノア……あなたの言葉は、いつも遠回しで。だけど、どうしてそんなに優しい顔をするの?)
唇を噛みしめる。
胸の奥が熱くて、苦しい。
その痛みが、もう“恐れ”ではないと気づいたとき——
リオンの頬を、一粒の雪が伝って落ちた。
——恋だ。
その名を、ようやく心が受け入れた瞬間だった。
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