【完結】偽りのα、真実の恋 ー僕が僕として生きるためにー

天音蝶子(あまねちょうこ)

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9.雪の夜の余韻

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 雪の帳が街を覆い、世界の音がすべて吸い込まれたようだった。
 遠くで鳴る鐘の音さえ、白い静寂に溶けていく。

 リオンはノアの腕に支えられながら、ゆっくりと歩いていた。
 靴音が雪を踏むたび、かすかな軋みが夜気に溶ける。

 吐く息は白く、指先はかじかんでいるのに、背中に感じる体温だけが現実を繋ぎ止めていた。
 ――もう少しだけ、この温もりにすがっていたい。

「……少し、休まないと。顔色が悪い」

 ノアの声は、雪を散らすように静かで優しかった。
 リオンは小さく首を振ったが、身体は正直だった。
 足がふらつき、ノアの胸に預けるように倒れかける。
 その拍子に、彼の外套から漂うαの香りがかすかに鼻をかすめた。
 甘くも凛とした香気——それだけで胸が痛むほど安堵してしまう自分がいた。

 保健棟の灯が見えたとき、張りつめていた糸が切れたように、リオンは力を抜いた。
 木の扉をくぐると、暖炉の炎がぱちりと弾ける音がした。
 外気に凍えた肌が、ゆっくりと熱を取り戻していく。

 ノアは何も言わず、リオンの外套を脱がせ、ベッドに腰を下ろさせた。
 白い寝具に沈む身体を、毛布がやさしく包む。

「……ごめん。あんなところで、迷惑かけて」

 掠れた声が、火の粉のように小さくこぼれる。
 ノアは短く息を吐き、首を横に振った。

「迷惑なんかじゃない。むしろ――俺の方が助けられた」

 リオンはかすかに眉を寄せる。

「助けたのは僕じゃなくて……あなたが……」

 言いかけたその唇の前に、ノアの指先が触れる。
 頬にかかる髪をすくうように、そっと撫でて。
 ほんのわずかな触感が、心の奥を震わせる。

 沈黙が降りた。
 外では風が窓を揺らし、雪が音もなく降り続いている。
 その静けさの中で、リオンの鼓動だけがやけに大きく響いた。

 まだ、ノアの香りが肌に残っている。
 胸の奥がざわつき、抑えようとするほど呼吸が浅くなる。

「ノア……僕、怖いんだ」

「何が?」

「自分のことが……誰かに知られるのが。そして――君に、見られてしまったのが……」

 ノアの瞳が、暖炉の光を映してやわらかく揺れる。

「俺は、お前のどんな姿も見たくないと思ったことはない」

 その声は、ゆっくりと凍った心を溶かしていくようだった。

「苦しむ顔も、強がる声も、全部――お前の一部だ」

 リオンの胸の奥で、何かが音を立ててほどけた。
 肩を覆う毛布の温かさよりも、ノアの言葉が心を温めていく。
 こらえきれず、視界が滲んだ。
 涙がこぼれるのを悟られまいと顔を背けると、ノアの手がそっとその頬を支える。
 その掌の温もりが、すべての言葉より雄弁だった。

「ノア……」

「眠っていい。俺がここにいる」

 ノアの声が、ゆるやかな子守歌のように耳をくすぐる。
 彼の指が髪を梳くたび、瞼の奥の緊張がほどけていく。
 体の芯に残る恐怖と安堵が混ざり合い、静かな眠気が満ちた。
 リオンは微かに頷き、瞼を閉じた。

 ――それでも、彼の香りが胸を満たして離れなかった。
 仮面の下で触れた体温も、言葉も、もう消せない。

 テーブルの上では、抑制剤の瓶が淡く光を反射し、ころりと転がる。
 その微かな音が、次に訪れる嵐の予兆のように響いた。

 窓の外、雪は降り止む気配を見せない。
 まるで、二人の心の行方を見守るように――
 白い夜が、静かに息づいていた。
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