10 / 13
10.発情と真実
しおりを挟む
夜更けの雪は、静かに降り積もっていた。
保健棟の窓越しに見える白は、まるで音を吸い込むように、外界のすべてを包み隠している。
ノアは眠るリオンの額に冷えた布をあてながら、浅い息を吐いた。
仮面舞踏会での出来事が、まだ胸の奥に残っている。
誰にも知られてはならない秘密。
そのはずなのに――あの瞬間、己の理性など簡単に崩れ落ちた。
リオンを庇いたい一心で、無意識にフェロモンを放っていたのだ。
ベッドの上、リオンは夢の淵を彷徨うように身じろぎをした。
白い頬に浮かぶ熱の色。掠れた声が、ノアの名を呼ぶ。
抑制剤が切れているのか、それとも――
ノアの放った香気に、リオンの体が応えてしまったのか。
「……ノア、やだ……もう、平気だから……」
夢と現のあわいで、リオンが微かに首を振る。
ノアは胸の奥が締めつけられるようだった。
彼の肩にそっと手を置くだけで、皮膚の奥が熱を帯びる。
決して踏み越えてはならない一線。
それを知りながら、彼を守りたいという衝動が、痛いほど強くなる。
外では雪が、静かに舞っていた。
夜気の冷たさがガラスを曇らせ、部屋の灯が揺らぐ。
ノアはそっと布団を直し、低く囁いた。
「大丈夫だ、リオン。もう誰も、おまえを傷つけたりしない」
その声に、リオンの指がかすかに動いた。
目を開ければ、そこにはノアの瞳。
深い夜を映したような深い紫色の瞳が、自分を見つめている。
「……ノア……どうして、そんな顔を……」
「俺こそ聞きたい。どうして、あんな無茶をしたんだ」
問い詰めるような声ではなかった。
けれど、責められているようで、リオンは俯く。
仮面の下で怯え、恐れ、そして――
ノアに抱きとめられて、心の奥がほどけてしまった。
あの安堵を、どうしても忘れられない。
「怖かったんだ……自分が何者なのか、知られるのが」
小さな声が零れ、ノアの喉がひくりと動く。
雪の白に照らされた横顔が、ひどく儚い。
偽りのα――それがどれほど彼を苦しめてきたか、ようやく理解できた。
「……隠さなくていい。俺は、全部知っても……おまえを否定しない」
その言葉に、リオンの瞳が揺れた。
熱を帯びたまなざしの奥に、迷いと希望が同時に灯る。
けれど同時に、胸の奥で何かが疼く。
抑え込んでいた本能が、雪解け水のように静かに流れ出していくのを感じた。
――駄目だ。今、この気持ちを認めてしまったら。
リオンは震える指先を、胸の前で握りしめた。
ノアの手が伸びて、その拳を包む。
ただ、それだけの接触なのに、全身が焼けるように熱い。
外では雪が、降りやむ気配もなく舞い続けていた。
白く静かな夜が、ふたりの心の距離を、そっと近づけていく。
夜半。
窓を打つ激しい雪と吹雪の音が、静まり返った学園の闇を震わせていた。
季節外れの雪嵐が近づき、遠くで雪を裂くような雷が重く響く。
その閃光が、医務室の壁を淡く照らした。
遠い雷鳴に呼応するように、リオンはベッドの上で息を荒くしていた。
喉が焼けるように熱い。
皮膚の内側から火が灯ったようで、息をするたびに胸が軋む。
自分の体が、知らない誰かのものになったようだった。
手のひらの感覚が敏感になり、シーツに触れるだけで電流のように震えが走る。
響き渡る雷に呼応するように、Ωの本能が打ち震え、制御を失って暴れだしていた。
「リオン!? 大丈夫か!?」
その声に、リオンは身をすくませた。
彼の中のαの香りが、湿った空気の中で鮮やかに漂う。
甘く、鋭く、体の奥をくすぐる匂い。
理性をかき消すほどの衝動が、喉の奥までせり上がる。
「ノア……近づかないで……」
息をするたび、胸が痛い。
抑えようとしても、体が勝手に彼を求めてしまう。
ノアは一瞬だけためらいの色を見せたが、すぐに苦しげに眉を寄せた。
「……抑制剤、切れたのか」
リオンは首を振り、涙をこぼす。
「……嫌だ、見られたくない……僕、兄さんの代わりで、αなのに……」
ノアはそっと歩み寄り、ベッドの縁に膝をついた。
灯りが彼の横顔を照らす。
雨に濡れた髪から雫が落ち、リオンの指先に触れた。
「違う」
低く、確かな声。
「お前は“誰かの代わり”なんかじゃない。最初から、リオンはリオンだ」
その言葉が胸を打ち抜く。
ノアの掌が頬に触れ、濡れた髪をかきあげた。
指先が触れるたび、熱が広がっていく。
光が二人を包み、空気がわずかに震えた。
「ノア……どうして、そんなに優しいの……」
「放っておけるわけがない。俺が……お前を、好きだからだ」
息が触れ合う距離で、言葉が溶ける。
ノアの瞳の奥に、迷いも嘘もなかった。
嵐の光がその瞳に映り込み、リオンは抗う力を失っていく。
「……怖くないか」
「怖い。でも……あなたとなら、怖くない」
その瞬間、ノアはリオンを抱き寄せた。
濡れた服越しに伝わる熱。
肌と肌が触れ合うたび、心臓が跳ね、世界が遠のく。
風の音も雷鳴も、すべてがふたりの呼吸に溶けていった。
ノアの指が、リオンの背をそっとなぞる。
その動きに合わせて、光の粒が舞うように感じられた。
理性の境界が、静かにほどけていく。
嵐の夜の中で、互いを確かめるように、ふたりは強く求め合った。
──やがて。
雪がやみ、窓の外に淡い朝の光が差し込む。
静けさの中で、ノアはリオンを抱き寄せたまま囁く。
「これで、終わりにしない。俺は……お前を手放さない」
リオンは、泣き笑いのような顔で微かに頷いた。
「ごめん……兄の代わりなのに……」
「違う。俺が欲しいのは、お前だ」
その言葉が、夜明けの光よりも温かく胸に満ちる。
淡い光の中で、ふたりの影が静かに重なり、やがて一つに溶けていった。
保健棟の窓越しに見える白は、まるで音を吸い込むように、外界のすべてを包み隠している。
ノアは眠るリオンの額に冷えた布をあてながら、浅い息を吐いた。
仮面舞踏会での出来事が、まだ胸の奥に残っている。
誰にも知られてはならない秘密。
そのはずなのに――あの瞬間、己の理性など簡単に崩れ落ちた。
リオンを庇いたい一心で、無意識にフェロモンを放っていたのだ。
ベッドの上、リオンは夢の淵を彷徨うように身じろぎをした。
白い頬に浮かぶ熱の色。掠れた声が、ノアの名を呼ぶ。
抑制剤が切れているのか、それとも――
ノアの放った香気に、リオンの体が応えてしまったのか。
「……ノア、やだ……もう、平気だから……」
夢と現のあわいで、リオンが微かに首を振る。
ノアは胸の奥が締めつけられるようだった。
彼の肩にそっと手を置くだけで、皮膚の奥が熱を帯びる。
決して踏み越えてはならない一線。
それを知りながら、彼を守りたいという衝動が、痛いほど強くなる。
外では雪が、静かに舞っていた。
夜気の冷たさがガラスを曇らせ、部屋の灯が揺らぐ。
ノアはそっと布団を直し、低く囁いた。
「大丈夫だ、リオン。もう誰も、おまえを傷つけたりしない」
その声に、リオンの指がかすかに動いた。
目を開ければ、そこにはノアの瞳。
深い夜を映したような深い紫色の瞳が、自分を見つめている。
「……ノア……どうして、そんな顔を……」
「俺こそ聞きたい。どうして、あんな無茶をしたんだ」
問い詰めるような声ではなかった。
けれど、責められているようで、リオンは俯く。
仮面の下で怯え、恐れ、そして――
ノアに抱きとめられて、心の奥がほどけてしまった。
あの安堵を、どうしても忘れられない。
「怖かったんだ……自分が何者なのか、知られるのが」
小さな声が零れ、ノアの喉がひくりと動く。
雪の白に照らされた横顔が、ひどく儚い。
偽りのα――それがどれほど彼を苦しめてきたか、ようやく理解できた。
「……隠さなくていい。俺は、全部知っても……おまえを否定しない」
その言葉に、リオンの瞳が揺れた。
熱を帯びたまなざしの奥に、迷いと希望が同時に灯る。
けれど同時に、胸の奥で何かが疼く。
抑え込んでいた本能が、雪解け水のように静かに流れ出していくのを感じた。
――駄目だ。今、この気持ちを認めてしまったら。
リオンは震える指先を、胸の前で握りしめた。
ノアの手が伸びて、その拳を包む。
ただ、それだけの接触なのに、全身が焼けるように熱い。
外では雪が、降りやむ気配もなく舞い続けていた。
白く静かな夜が、ふたりの心の距離を、そっと近づけていく。
夜半。
窓を打つ激しい雪と吹雪の音が、静まり返った学園の闇を震わせていた。
季節外れの雪嵐が近づき、遠くで雪を裂くような雷が重く響く。
その閃光が、医務室の壁を淡く照らした。
遠い雷鳴に呼応するように、リオンはベッドの上で息を荒くしていた。
喉が焼けるように熱い。
皮膚の内側から火が灯ったようで、息をするたびに胸が軋む。
自分の体が、知らない誰かのものになったようだった。
手のひらの感覚が敏感になり、シーツに触れるだけで電流のように震えが走る。
響き渡る雷に呼応するように、Ωの本能が打ち震え、制御を失って暴れだしていた。
「リオン!? 大丈夫か!?」
その声に、リオンは身をすくませた。
彼の中のαの香りが、湿った空気の中で鮮やかに漂う。
甘く、鋭く、体の奥をくすぐる匂い。
理性をかき消すほどの衝動が、喉の奥までせり上がる。
「ノア……近づかないで……」
息をするたび、胸が痛い。
抑えようとしても、体が勝手に彼を求めてしまう。
ノアは一瞬だけためらいの色を見せたが、すぐに苦しげに眉を寄せた。
「……抑制剤、切れたのか」
リオンは首を振り、涙をこぼす。
「……嫌だ、見られたくない……僕、兄さんの代わりで、αなのに……」
ノアはそっと歩み寄り、ベッドの縁に膝をついた。
灯りが彼の横顔を照らす。
雨に濡れた髪から雫が落ち、リオンの指先に触れた。
「違う」
低く、確かな声。
「お前は“誰かの代わり”なんかじゃない。最初から、リオンはリオンだ」
その言葉が胸を打ち抜く。
ノアの掌が頬に触れ、濡れた髪をかきあげた。
指先が触れるたび、熱が広がっていく。
光が二人を包み、空気がわずかに震えた。
「ノア……どうして、そんなに優しいの……」
「放っておけるわけがない。俺が……お前を、好きだからだ」
息が触れ合う距離で、言葉が溶ける。
ノアの瞳の奥に、迷いも嘘もなかった。
嵐の光がその瞳に映り込み、リオンは抗う力を失っていく。
「……怖くないか」
「怖い。でも……あなたとなら、怖くない」
その瞬間、ノアはリオンを抱き寄せた。
濡れた服越しに伝わる熱。
肌と肌が触れ合うたび、心臓が跳ね、世界が遠のく。
風の音も雷鳴も、すべてがふたりの呼吸に溶けていった。
ノアの指が、リオンの背をそっとなぞる。
その動きに合わせて、光の粒が舞うように感じられた。
理性の境界が、静かにほどけていく。
嵐の夜の中で、互いを確かめるように、ふたりは強く求め合った。
──やがて。
雪がやみ、窓の外に淡い朝の光が差し込む。
静けさの中で、ノアはリオンを抱き寄せたまま囁く。
「これで、終わりにしない。俺は……お前を手放さない」
リオンは、泣き笑いのような顔で微かに頷いた。
「ごめん……兄の代わりなのに……」
「違う。俺が欲しいのは、お前だ」
その言葉が、夜明けの光よりも温かく胸に満ちる。
淡い光の中で、ふたりの影が静かに重なり、やがて一つに溶けていった。
1
あなたにおすすめの小説
『アルファ拒食症』のオメガですが、運命の番に出会いました
小池 月
BL
大学一年の半田壱兎<はんだ いちと>は男性オメガ。壱兎は生涯ひとりを貫くことを決めた『アルファ拒食症』のバース性診断をうけている。
壱兎は過去に、オメガであるために男子の輪に入れず、女子からは異端として避けられ、孤独を経験している。
加えてベータ男子からの性的からかいを受けて不登校も経験した。そんな経緯から徹底してオメガ性を抑えベータとして生きる『アルファ拒食症』の道を選んだ。
大学に入り壱兎は初めてアルファと出会う。
そのアルファ男性が、壱兎とは違う学部の相川弘夢<あいかわ ひろむ>だった。壱兎と弘夢はすぐに仲良くなるが、弘夢のアルファフェロモンの影響で壱兎に発情期が来てしまう。そこから壱兎のオメガ性との向き合い、弘夢との関係への向き合いが始まるーー。
☆BLです。全年齢対応作品です☆
ジャスミン茶は、君のかおり
霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。
大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。
裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。
困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。
その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。
あなたのいちばんすきなひと
名衛 澄
BL
亜食有誠(あじきゆうせい)は幼なじみの与木実晴(よぎみはる)に好意を寄せている。
ある日、有誠が冗談のつもりで実晴に付き合おうかと提案したところ、まさかのOKをもらってしまった。
有誠が混乱している間にお付き合いが始まってしまうが、実晴の態度はいつもと変わらない。
俺のことを好きでもないくせに、なぜ付き合う気になったんだ。
実晴の考えていることがわからず、不安に苛まれる有誠。
そんなとき、実晴の元カノから実晴との復縁に協力してほしいと相談を受ける。
また友人に、幼なじみに戻ったとしても、実晴のとなりにいたい。
自分の気持ちを隠して実晴との"恋人ごっこ"の関係を続ける有誠は――
隠れ執着攻め×不器用一生懸命受けの、学園青春ストーリー。
【完結】番になれなくても
加賀ユカリ
BL
アルファに溺愛されるベータの話。
新木貴斗と天橋和樹は中学時代からの友人である。高校生となりアルファである貴斗とベータである和樹は、それぞれ別のクラスになったが、交流は続いていた。
和樹はこれまで貴斗から何度も告白されてきたが、その度に「自分はふさわしくない」と断ってきた。それでも貴斗からのアプローチは止まらなかった。
和樹が自分の気持ちに向き合おうとした時、二人の前に貴斗の運命の番が現れた──
新木貴斗(あらき たかと):アルファ。高校2年
天橋和樹(あまはし かずき):ベータ。高校2年
・オメガバースの独自設定があります
・ビッチング(ベータ→オメガ)はありません
・最終話まで執筆済みです(全12話)
・19時更新
※なろう、カクヨムにも掲載しています。
六日の菖蒲
あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。
落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。
▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。
▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず)
▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。
▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。
▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。
▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。
本当に悪役なんですか?
メカラウロ子
BL
気づいたら乙女ゲームのモブに転生していた主人公は悪役の取り巻きとしてモブらしからぬ行動を取ってしまう。
状況が掴めないまま戸惑う主人公に、悪役令息のアルフレッドが意外な行動を取ってきて…
ムーンライトノベルズ にも掲載中です。
勘違いへたれアルファと一途つよかわオメガ──ずっと好きだったのは、自分だけだと思ってた
星群ネオン
BL
幼い頃に結婚の約束をした──成長とともにだんだん疎遠になったアルファとオメガのお話。
美しい池のほとりで出会ったアルファとオメガはその後…。
強くてへたれなアルファと、可愛くて一途なオメガ。
ありがちなオメガバース設定です。Rシーンはありません。
実のところ勘違いなのは二人共とも言えます。
α視点を2話、Ω視点を2話の後、その後を2話の全6話完結。
勘違いへたれアルファ 新井裕吾(あらい・ゆうご) 23歳
一途つよかわオメガ 御門翠(みがと・すい) 23歳
アルファポリス初投稿です。
※本作は作者の別作品「きらきらオメガは子種が欲しい!~」や「一生分の恋のあと~」と同じ世界、共通の人物が登場します。
それぞれ独立した作品なので、他の作品を未読でも問題なくお読みいただけます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる