【完結】偽りのα、真実の恋 ー僕が僕として生きるためにー

天音蝶子(あまねちょうこ)

文字の大きさ
9 / 13

9.雪の夜の余韻

しおりを挟む
 雪の帳が街を覆い、世界の音がすべて吸い込まれたようだった。
 遠くで鳴る鐘の音さえ、白い静寂に溶けていく。

 リオンはノアの腕に支えられながら、ゆっくりと歩いていた。
 靴音が雪を踏むたび、かすかな軋みが夜気に溶ける。

 吐く息は白く、指先はかじかんでいるのに、背中に感じる体温だけが現実を繋ぎ止めていた。
 ――もう少しだけ、この温もりにすがっていたい。

「……少し、休まないと。顔色が悪い」

 ノアの声は、雪を散らすように静かで優しかった。
 リオンは小さく首を振ったが、身体は正直だった。
 足がふらつき、ノアの胸に預けるように倒れかける。
 その拍子に、彼の外套から漂うαの香りがかすかに鼻をかすめた。
 甘くも凛とした香気——それだけで胸が痛むほど安堵してしまう自分がいた。

 保健棟の灯が見えたとき、張りつめていた糸が切れたように、リオンは力を抜いた。
 木の扉をくぐると、暖炉の炎がぱちりと弾ける音がした。
 外気に凍えた肌が、ゆっくりと熱を取り戻していく。

 ノアは何も言わず、リオンの外套を脱がせ、ベッドに腰を下ろさせた。
 白い寝具に沈む身体を、毛布がやさしく包む。

「……ごめん。あんなところで、迷惑かけて」

 掠れた声が、火の粉のように小さくこぼれる。
 ノアは短く息を吐き、首を横に振った。

「迷惑なんかじゃない。むしろ――俺の方が助けられた」

 リオンはかすかに眉を寄せる。

「助けたのは僕じゃなくて……あなたが……」

 言いかけたその唇の前に、ノアの指先が触れる。
 頬にかかる髪をすくうように、そっと撫でて。
 ほんのわずかな触感が、心の奥を震わせる。

 沈黙が降りた。
 外では風が窓を揺らし、雪が音もなく降り続いている。
 その静けさの中で、リオンの鼓動だけがやけに大きく響いた。

 まだ、ノアの香りが肌に残っている。
 胸の奥がざわつき、抑えようとするほど呼吸が浅くなる。

「ノア……僕、怖いんだ」

「何が?」

「自分のことが……誰かに知られるのが。そして――君に、見られてしまったのが……」

 ノアの瞳が、暖炉の光を映してやわらかく揺れる。

「俺は、お前のどんな姿も見たくないと思ったことはない」

 その声は、ゆっくりと凍った心を溶かしていくようだった。

「苦しむ顔も、強がる声も、全部――お前の一部だ」

 リオンの胸の奥で、何かが音を立ててほどけた。
 肩を覆う毛布の温かさよりも、ノアの言葉が心を温めていく。
 こらえきれず、視界が滲んだ。
 涙がこぼれるのを悟られまいと顔を背けると、ノアの手がそっとその頬を支える。
 その掌の温もりが、すべての言葉より雄弁だった。

「ノア……」

「眠っていい。俺がここにいる」

 ノアの声が、ゆるやかな子守歌のように耳をくすぐる。
 彼の指が髪を梳くたび、瞼の奥の緊張がほどけていく。
 体の芯に残る恐怖と安堵が混ざり合い、静かな眠気が満ちた。
 リオンは微かに頷き、瞼を閉じた。

 ――それでも、彼の香りが胸を満たして離れなかった。
 仮面の下で触れた体温も、言葉も、もう消せない。

 テーブルの上では、抑制剤の瓶が淡く光を反射し、ころりと転がる。
 その微かな音が、次に訪れる嵐の予兆のように響いた。

 窓の外、雪は降り止む気配を見せない。
 まるで、二人の心の行方を見守るように――
 白い夜が、静かに息づいていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

『アルファ拒食症』のオメガですが、運命の番に出会いました

小池 月
BL
 大学一年の半田壱兎<はんだ いちと>は男性オメガ。壱兎は生涯ひとりを貫くことを決めた『アルファ拒食症』のバース性診断をうけている。  壱兎は過去に、オメガであるために男子の輪に入れず、女子からは異端として避けられ、孤独を経験している。  加えてベータ男子からの性的からかいを受けて不登校も経験した。そんな経緯から徹底してオメガ性を抑えベータとして生きる『アルファ拒食症』の道を選んだ。  大学に入り壱兎は初めてアルファと出会う。  そのアルファ男性が、壱兎とは違う学部の相川弘夢<あいかわ ひろむ>だった。壱兎と弘夢はすぐに仲良くなるが、弘夢のアルファフェロモンの影響で壱兎に発情期が来てしまう。そこから壱兎のオメガ性との向き合い、弘夢との関係への向き合いが始まるーー。 ☆BLです。全年齢対応作品です☆

ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。 大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。 裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。 困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。 その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。

あなたのいちばんすきなひと

名衛 澄
BL
亜食有誠(あじきゆうせい)は幼なじみの与木実晴(よぎみはる)に好意を寄せている。 ある日、有誠が冗談のつもりで実晴に付き合おうかと提案したところ、まさかのOKをもらってしまった。 有誠が混乱している間にお付き合いが始まってしまうが、実晴の態度はいつもと変わらない。 俺のことを好きでもないくせに、なぜ付き合う気になったんだ。 実晴の考えていることがわからず、不安に苛まれる有誠。 そんなとき、実晴の元カノから実晴との復縁に協力してほしいと相談を受ける。 また友人に、幼なじみに戻ったとしても、実晴のとなりにいたい。 自分の気持ちを隠して実晴との"恋人ごっこ"の関係を続ける有誠は―― 隠れ執着攻め×不器用一生懸命受けの、学園青春ストーリー。

【完結】番になれなくても

加賀ユカリ
BL
アルファに溺愛されるベータの話。 新木貴斗と天橋和樹は中学時代からの友人である。高校生となりアルファである貴斗とベータである和樹は、それぞれ別のクラスになったが、交流は続いていた。 和樹はこれまで貴斗から何度も告白されてきたが、その度に「自分はふさわしくない」と断ってきた。それでも貴斗からのアプローチは止まらなかった。 和樹が自分の気持ちに向き合おうとした時、二人の前に貴斗の運命の番が現れた── 新木貴斗(あらき たかと):アルファ。高校2年 天橋和樹(あまはし かずき):ベータ。高校2年 ・オメガバースの独自設定があります ・ビッチング(ベータ→オメガ)はありません ・最終話まで執筆済みです(全12話) ・19時更新 ※なろう、カクヨムにも掲載しています。

六日の菖蒲

あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。 落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。 ▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。 ▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず) ▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。 ▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。 ▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。 ▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

本当に悪役なんですか?

メカラウロ子
BL
気づいたら乙女ゲームのモブに転生していた主人公は悪役の取り巻きとしてモブらしからぬ行動を取ってしまう。 状況が掴めないまま戸惑う主人公に、悪役令息のアルフレッドが意外な行動を取ってきて… ムーンライトノベルズ にも掲載中です。

勘違いへたれアルファと一途つよかわオメガ──ずっと好きだったのは、自分だけだと思ってた

星群ネオン
BL
幼い頃に結婚の約束をした──成長とともにだんだん疎遠になったアルファとオメガのお話。 美しい池のほとりで出会ったアルファとオメガはその後…。 強くてへたれなアルファと、可愛くて一途なオメガ。 ありがちなオメガバース設定です。Rシーンはありません。 実のところ勘違いなのは二人共とも言えます。 α視点を2話、Ω視点を2話の後、その後を2話の全6話完結。 勘違いへたれアルファ 新井裕吾(あらい・ゆうご) 23歳 一途つよかわオメガ 御門翠(みがと・すい) 23歳 アルファポリス初投稿です。 ※本作は作者の別作品「きらきらオメガは子種が欲しい!~」や「一生分の恋のあと~」と同じ世界、共通の人物が登場します。 それぞれ独立した作品なので、他の作品を未読でも問題なくお読みいただけます。

処理中です...