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25. 婚前旅行へのお誘い
しおりを挟む「え……? あの……申し訳……ありません。今、何と?」
「突然の事で驚かせてしまって申し訳ありません。まとまった休暇が取れたので、婚前旅行に行きませんかとお誘いしました」
ソフィー特製の薬草パックのお陰で瞼の腫れも治った私は、午後から約束通りアルフ様とお茶の時間を楽しんでいた。そこで告げられた突然のお誘いに、あんまり驚いて思わず聞き返してしまう。
「婚前旅行……。帝国では……そのようなお作法が……一般的……なのですか?」
「作法……というべきか。近頃は貴族だけでなく、一部の平民の間でさえも一般的だそうですが。とにかく皇帝陛下が『たまには休んで婚約者との仲を深めて来い』と言うもので、宜しければどうですか?」
婚前旅行だなんてアルント王国ではあり得ない事だけれど、そこは流石に大きな国土を持つ帝国だけあって、新しいお作法も取り入れているのかも知れない。でも裏声で辿々しくしか話せない私に、アルフ様と数日間も旅行をする事なんてできるのかしら。
「でも……私のような者が……お相手で……アルフ様は……楽しめるでしょうか?」
レネ様のようにハキハキと話せる事が出来たなら。自分の感情を、遠慮せずにぶつける事ができる勇気があったなら。
「私達はお互いの事をまだよく知らないでしょう。陛下が、今回の婚前旅行はそれを知るいい機会になるから是非にと。それにエリザベート王女殿下が突然この国に来る事になって、寂しい思いをしているのではないかと。あの方はあの方なりに貴女のことを気にかけているのです」
「コンラート陛下が……」
「どうでしょうか? 私と婚前旅行へ行っていただけますか? 旅行の間は、勿論あのレンカという侍女を伴って下さっても構いません。身の回りの事をする者が必要でしょうから」
レンカも一緒に行くのならとても心強いと思う。本当は身の回りの事は自分で全て出来るのだけれど、まさかそんな事は王族として有り得ない事で、それよりも色々と相談できるのはありがたい。私も、普段お忙しいアルフ様と共に過ごせる時間が増えるのは嬉しいから。
「是非……ご一緒させて……いただきたいです」
「本当ですか? 嬉しいです! 実は、断られたらどうしようかと心配していたもので」
「そんな……断る理由が……ありません。私達は……婚約者ですもの」
「ありがとう! エリザベート!」
初めて『王女殿下』ではなく『エリザベート』と呼ばれた事にドキリと胸が高鳴る。たったそれだけの事なのに、とても嬉しくて特別な感じがした。テーブルの上にある私の右手に、覆い被さるように乗せられたアルフ様の大きな手の温もりにも落ち着かない。
「あ……すみません! 興奮してしまって、ついお名前を……」
「いいんです。どうか……今後は……エリザベートと」
「本当に? よいのですか?」
「ええ、勿論」
私達は婚約者なのだから、いつまでも敬称で呼ばれるのはおかしいと思っていたし、ちょうど良かった。それに、アルフ様に名を呼ばれるとその度に特別な気持ちがして嬉しい。
黒曜石のような静かな煌めきを持つ瞳に見つめられると、そわそわと落ち着かない。それに反して、心の底から喜びが湧き上がって来るという不思議な感覚にはなかなか慣れそうにない。
「実はこの休暇の為に、ここのところ公務を張り切っていたのです。それはもう遠慮なく山のように陛下から与えられる仕事を、貴女と共に過ごしたいばかりに必死でこなしてきました。だから了承してもらえて本当に嬉しいです」
アルフ様は私のような婚約者にもとてもお優しい。この柔らかな眼差しを向けられるのが私だけならいいのに。だからもうレネ様にも同じ表情をするのはやめて欲しいと、そんな風に醜い感情が次々と喉元まで上がって来る。
「あの……、実は先日……アルフ様の……幼馴染でいらっしゃる……レネ様に……お会いしました」
私がそう口にすると、アルフ様は明らかに苦い顔をなさった。その表情がどういう意味を持つのかまでは読み取れないけれど、少なくともレネ様の話題はあまりしたくないようだ。
「レネが、何か失礼な事をしましたか? そうだとしたら、申し訳ない」
「何故……アルフ様が……謝罪を……なさるのです?」
思わず棘のある口調で答えてしまう。レネ様の事でアルフ様が謝るのも嫌だなんて、なんて私は狭量になってしまったんだろう。
アルフ様に会うからといつもより服装にも気合を入れ過ぎて、ぎゅうぎゅうに詰めたコルセットが息苦しい。きっとそのせいで胸が苦しい気がするのだと、自分に言い聞かせる。
「いや、貴女に対して失礼な事をしていなければ良いと思っただけです。アイツは……レネはまだ子どもっぽい考えを捨てられないから、貴女を傷つけたりしていないかと心配だったのです」
レネ様の話をしながら困ったような顔をなさるアルフ様を見ていると、何故か胸元がモヤモヤと不快になる。私以外の事でそんな風に表情を崩して欲しくない。いつの間にかこんなにも欲張りになってしまった自分に驚く。
「レネ様は……アルフ様の事を……とても大切に……想っておいでのようです。……それなのに……政略結婚の相手が……こんなだから……心配なさって……」
アルフ様は私の言葉の途中で突然立ち上がると、ティーセットの準備がなされたテーブルに沿ってツカツカと歩く。驚いてそちらを見た私に構わずすぐそばに跪くと、私の手を取り切長の瞳に力を入れた。
「政略結婚……。エリザベート、もしや貴女は……」
「え……?」
「レネの事より、その誤解の方が今は重要なようです」
「レネ様の事より……?」
誤解とは……? 何の事だろうか。
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