24 / 40
24. 女王としての矜持、女としての意地
しおりを挟む新緑の香りが王宮中を包み込む季節が来た。サラサラと爽やかな葉音が風に乗って耳に届く。
アリシアは王宮の一角にある、サンルーム付きの一室にいた。ここは一部の高位貴族が自由に使える貸し部屋で、主に茶会が開かれる際に使われている。
重厚な家具が上品に設えられたその空間に、今はピンと張り詰めた緊張の空気が漂っていた。
表向きは『幼馴染同士の久方ぶりの茶会』。しかしその実態は、その名を借りた私的な会談の場である。
主催したのはキャスリンであった。
「女王陛下、今日は私の招きに応じていただき、ありがとうございます。でもまさか……本当に応じてくださるとは思いませんでしたわ。だって私達、幼い頃に仲違いしたまま、まともに話も出来ていませんでしたから」
貼り付けたような笑顔を浮かべ、優美に頭を下げるキャスリン。その所作は完璧で、表面上は女王に対する敬意に満ちている。
テーブルを挟んで向かいに座るアリシアは、曖昧に微笑み返しながらも、キャスリンの灰色の瞳に宿る冷たい焔を見逃さなかった。
「女王陛下だなんてやめて……今日は幼馴染のアリシアとして会いに来たの。一人の女として、あなたに話をしに来たのよ」
思いがけないアリシアの言葉に、紅茶の入ったポットを傾けようとしていたキャスリンの手が止まる。
――一人の女として。
それは、この場の建前を剥ぎ取る言葉だった。
かつては頻繁に茶会を開いていた二人の間に、銀のティーセットが置かれている。
毒が盛られていれば黒く変色するという銀食器は、感情が読めないキャスリンの顔を映していた。
「一人の……女……ですって?」
王室御用達の最高級の茶葉。ロランと三人で子どもの頃に口にした時は、全く美味しいと思わなかった。それでも大人のふりをして、文句も言わずに口にしていた記憶。
その茶葉が香る湯気の向こう、交わる女二人の視線は、白刃で斬り結んでいるようだった。
「最近……妙な事があって。王配にまつわる、まことしやかな噂が王宮中に……いえ、社交界にも広まっているの」
アリシアは膝の上で拳を握りしめ、まっすぐにキャスリンを見つめていた。
父親である宰相譲りの銀髪、そして灰色の瞳は、アリシアにとって恐怖を思い起こさせる対象でもある。
「まあ。それはまた……困った事ですわね。噂など、どこからともなく立つものですもの」
あくまで口調を崩さないキャスリンは、カップに口をつけながらも微笑を崩さない。
「そう、『どこからともなく』広まった噂。はじまりは若い令嬢の間で、そして社交界に広まり、今では王宮の中でさえも聞こえてくるわ。けれど、それが王配の名誉や……女王である私をも傷つけているとなれば、私はその発信元を見つけ出さなければならないの」
アリシアの声音は静かだった。 だがその静けさは、雷鳴の前触れのような気配を孕んでいる。
「あなたは普段から、『どこからともなく』を作るのがお得意のようね? キャスリン。『ここだけの話』、『他から聞いた』、これらは社交界でのあなたの口癖みたい」
「……私に何か、疑いでも?」
「疑いではなく、確信よ」
はっきりと口にしたアリシアの言葉に、キャスリンの目が細められる。まるでこれから獲物を狙うつもりの、ヒョウのように。
「あなたは王配を誘惑し、拒まれた。そしてそれからしばらくして、彼を貶めるような噂が社交界に流れ始めた。偶然とは思えないわ」
数秒の沈黙が、部屋の空気をなおさら張り詰めさせる。
「ふふっ……それが真実だとして、女王陛下? あなたはあの男を信じているの?」
キャスリンは美しい顔からついに笑みを消し、真意を滲ませた声で問いかける。
「傭兵上がりの粗野な男。礼儀を知らず、権威にも従わない男を、この国の『王配』として据えるなんて、そもそも間違いだったのよ。あの人は娼婦と情を交わし、子どもまでいるの。それを黙って王配の位につくなんて。これはラヴァル王家始まって以来の醜聞だわ」
それは、アリシアの女としての価値を揺さぶる言葉だった。
しかしアリシアは、キャスリンの挑発を受ける代わりに立ち上がる。そして、静かに口を開いた。
「それはありもしない噂でしかない。テオバルトに子どもなんていないわ」
「あら、テオバルト様が娼館に足繁く通っていたというのは、軍人の殿方に直接お聞きしたのよ。噂でもなんでもなく、事実だわ。そんな男を王配に迎えて、呑気に幸せそうに笑えるなんて、女王の格が知れるわね!」
口元を歪めてさも楽しそうに高笑いするキャスリンに、アリシアは努めて冷静に言う。
怒りと、悲しみで足が震えてしまいそうだったが、テオバルトの言葉を思い出して耐えた。
「私の格は、彼と共に築くものよ。テオバルトは私を愛してくれている。私も……彼を愛しているの」
その言葉の強さに、自信に、キャスリンの喉が震えた。
「テオバルトが誰にも媚びず、真っ直ぐに私の隣に立ち続けてくれるからこそ、私は女王として立てるの。もう傀儡ではいたくない、心からこの国を良くしたいと思えるのよ」
「……っ!」
キャスリンの顔が、紅潮する。言葉ではなく、感情が先に滲み出る。悔しい、腹立たしい、と。
「キャスリン、あなたは私にとって、幼い頃の思い出を共有出来る友人。でも……次に同じような事が起これば、それは女王に対する……私に対する敵対と見なします」
「なんですって……」
「王配に横恋慕し、誘惑した。それだけでも本来は罪だって事、賢いあなたは知っているでしょう?」
言葉の端に、『女王』の威光が見え隠れする。けれどアリシアはここで微笑みながら、最後にこう告げた。
子どもの頃と同じ、本心からの笑顔で。
「キャスリン。私達、また友人として話が出来るようになるといいわね」
そのまま踵を返し、部屋を横切る。その小さな背中は、かつて王宮で冷遇されていた少女の惨めな姿ではなかった。
アリシアは今、王冠を戴いた女王であり、愛する者を守ろうとする、『一人の女』だった。
室内に一人残されたキャスリンは唇を噛み、吐息と共に震える指でティーカップを握り締める。
「私が……アリシアに……負けた……?」
懐かしい茶葉の香りが、苦く感じられた。
「いいえ、いいえ! 終わりじゃない。まだ……終わりじゃないわ! アリシア、私は絶対に……あなたを許さないから」
ギリリと歯を食いしばるキャスリンは、そのうち仄暗い笑みを浮かべ、ひと息に茶を飲み込んだ。
24
あなたにおすすめの小説
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く
紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
第3皇子は妃よりも騎士団長の妹の私を溺愛している 【完結】
日下奈緒
恋愛
王家に仕える騎士の妹・リリアーナは、冷徹と噂される第3皇子アシュレイに密かに想いを寄せていた。戦の前夜、命を懸けた一戦を前に、彼のもとを訪ね純潔を捧げる。勝利の凱旋後も、皇子は毎夜彼女を呼び続け、やがてリリアーナは身籠る。正妃に拒まれていた皇子は離縁を決意し、すべてを捨ててリリアーナを正式な妃として迎える——これは、禁じられた愛が真実の絆へと変わる、激甘ロマンス。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる