形だけの女王ですが英雄が王配となって溺愛してきます!〜虐げられ姫の幸せな婚姻〜

蓮恭

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26. テオバルトの逆鱗

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 ——今宵の空はすっきりと澄み切り、月が美しく地上を照らしている。
 このような晩には『月の女神が地上に降りて、民の為に舞を踊る』とラヴァル王国では古くから言い伝えられていた。
 そんな神秘的な光景を窓辺でテオバルトと二人並んで見れば、アリシアはきっと喜んだだろう。
 しかし王宮にある彼女の居室は、不気味な静けさに包まれていた。

 静寂を破るように鋭い馬の嘶きが響いた。城門を勢いよく突破した黒馬が、一目散に城下町へと駆け抜けていく。  

 その背に乗るのは漆黒の軍服を纏った黒髪の男。月明かりに照らされたその横顔は、研ぎ澄まされた刃のように鋭い。  

「……待っていろ、アリシア」  

 テオバルトは手綱を握る手に力を込めた。  

 それは少し前のこと——  

 隣国との国境でまた諍いが起きた。アレクサンドルは別の国境地帯の収拾に向かっていて、動けないと言う。
 すぐにテオバルトは自ら現地へと向かい、何とか場を納めたのだが……近頃やけにきな臭い出来事が増えている。
 王配であるテオバルトを、わざと王宮から離れさせようとしているかのような、そんな気がして……同時に嫌な予感がした。

 すぐに王宮へと戻り、そこでアリシアが攫われたという報せを聞いた時、テオバルトは何も言わずに剣を取った。  
 交代で城に常駐する為に共に帰った軍の部下を含め、周囲の者達が止める間もなく、彼は愛馬に跨り夜の闇へと飛び込んだのだ。  

 攫われたアリシアの居場所は目星が付いていた。城下町の外れ、かつて王太后カーラの実家があった場所。その大きな屋敷には今は誰も住んでおらず、家人は田舎の別荘で暮らしている。
 すなわち、廃墟となっているのだ。

 もしそこじゃなかったら……などと考える余裕はなかった。それに、テオバルトには確固たる確信があったのだ。

 誰も住んでいない生家。近頃は度々カーラがお忍びで通っているというのを、王太后宮に忍ばせている間諜から報告を受けていた。
 屋敷には数名の男達の出入りも確認され、まさかそこで逢引きをしているという訳ではないだろうが目的がはっきりせず、今まで泳がせておいたのが仇になった。

「くそ……っ、まさかこんなに分かりやすい悪事を働くとはな。王太后は、思ったよりも頭が良くないらしい」

 はやる気持ちを落ち着けようとわざと悪態をつき、テオバルトは明かり一つない屋敷の前で馬を降りた。
 近くに立ち並ぶ貴族の屋敷の中でもとびきり大きな屋敷は、長い主人の不在でもしっかり手入れが行き届いているように見える。

「……全員、地獄へ送ってやる」

 テオバルトはそう唸るように口にして、もの寂しい屋敷の玄関扉を勢いよく蹴破った。

 ――一方屋敷の中、一番奥に位置する当主の執務室。分厚いカーテンに遮られ、室内を照らす燭台の灯りは、外に一切漏れなくなっている。

 アリシアは冷たい鎖に手足を繋がれ、埃の溜まった床に座り、じっと息を潜めていた。  

(テオバルト……もう王宮に戻ったかしら……)  

 アリシアはこんな時でも愛する人の心配をしていた。国境付近の諍いに巻き込まれ、怪我をしていないか、まさか重傷を負ったりしていないか、心配で心配で堪らなかった。

 ――今日は亡くなった父親の命日だった。毎年王室のみが足を踏み入れる事が出来る特別な教会を訪れ、月の女神に祈りを捧げる。
 それは王室に詳しい人間だけが知る、特別な行事。
 教会の入り口は軍から派遣された護衛が固め、アリシアは中で安全に祈りが捧げられるはずだった。

 しかし非常時にしか使われない通路を使って賊が教会内に侵入し、アリシアを攫ったのだ。
 王室の人間しか知らない、緊急脱出用の地下道を使われた。

 すなわち、アリシアを攫ったのは王族のうちの誰か。王太后、ロラン、またはアレクサンドルのうちの誰かなのだとアリシアは悟ったのだった。

「……一体誰が……どうして、こんな事を?」  

 聞いたって答えないかも知れない。けれど、聞かずにはいられなかった。
 家族の誰かが、自分を攫ったのだから。
 
「女王陛下がいなければ、唯一の王子であるロラン様が権力を握る事ができる。それが俺達にとって、一番都合がいいんですよ」  

 それ以上語る気はないらしく、顔を黒い布で覆い隠した男達は目元だけ笑みを浮かべ、手元のナイフを弄んでいた。

(ロラン……? いいえ、きっと王太后の仕業だわ。ロランがこんな事するはずないもの)

 近頃あまり顔を合わせておらず、ろくに口を聞いていない弟。
 それでもロランは、会えばアリシアの事を揶揄いながらも笑いかけてくれる。昔と変わらず少し意地悪そうな笑みだけれど。

(ロランじゃない。絶対に)

「王太后はあなた達にいくら払うと言ったの?」

 鎌をかけてみる。テオバルトがよく使う手だった。

「そりゃあ俺達が一生遊んで暮らせる金さ。それに、女王様をこの場所へ攫ったのを確認さえすれば、王太后様はアンタの事を好きにしていいと言った。全員で犯すなりなんなり、好きにしろとさ」

 そうやってアリシアを怖がらせては、反応を見て楽しんでいる――きっとそうだと思いたかった。
 アリシアは鎖の嵌った重たい手で、自分の身体をギュッと抱きすくめるようにする。
 テオバルト以外にいやらしい手で身体を触れられるなんて、絶対に耐えられない。

 アリシアは足枷をしたまま何とか立ち上がり、男達から距離を取ろうとした。
 しかし手枷も足枷もされた状態で上手く移動できるはずもなく、そのまま派手に床へ倒れ込んでしまう。

 日焼けを知らない真っ白なふくらはぎがドレスから覗いた。

 五人の男達は明らかに不躾な視線をアリシアへ向けている。
 慌ててドレスの裾を直したアリシアは、その視線に背筋が凍る思いがした。
 
「なぁ、王太后様の使い、やけに遅いな。どうせ攫ってんのは本当だし、先に手を出したところで変わらねぇんじゃないか?」
「そうだな、巷じゃ月の女神の化身って言われるくらいのべっぴんさんだ。手枷足枷して目の前にいながら、我慢しろってのが無理ってもんだよな」

 男達のうち二人がアリシアの元へジリジリと近付いてくる。
 他の三人は二人よりも立場が下なのか、それとも別に止める理由がないからか、引き止めようとはしない。

「やめなさい、無礼者!」

 アリシアはありったけの力を振り絞って命じた。女王としての立場に自信が持てなかったアリシアが、これまで一度だって口にした事がない言葉を使って。
 
「無礼者、だってさ。可愛いねぇ。そうやって女王様らしい事を言えば言うほど、こっちは興奮するんだけどなぁ」

 言いつつ顔を覆い隠していた布を取り払った一人の男が、下卑た笑みを浮かべながら床に座り込むアリシアのすぐ近くにしゃがんだ。
 ゴツゴツとした手でアリシアの細い顎を持ち、生臭い息を吐きかけるようにして話しかける。

「その綺麗な顔がどんな風になって感じるのか、見せてみろよ」
「やめなさい! 私に触れないで!」

 その時——雷が落ちたのかと思うようなドンッ! という轟音と共に、部屋の扉が左右へ吹き飛んだ。  

「うおっ!」
「何だ⁉︎」

 後方に立っていた男達の驚いたような叫び声が上がる。
 同時に、アリシアの目の前にしゃがんだ男が何事かと振り向いた瞬間、地を這うような声が室内に響いた。
 
「今すぐその汚ねぇ手を離せ」

 そこに立っていたのは——鋭く光る黒い瞳。愛用の剣を片手に、怒りに燃える英雄テオバルトだった。

「……テオバルト!」  

 瞬間、大粒の涙が眦からぶわりと溢れたアリシアが、待ち焦がれた人の名を呼んだ。テオバルトはその瞳にアリシアと男を映すと、苛立たしげに舌打ちをする。

「……お前達には、コイツを攫ったのを後悔する暇さえ与えてやらねぇ」
「へ……?」  

 男達が間抜けな声を上げたと同時に、テオバルトはアリシアに命じた。

「アリシア、俺がいいって言うまで目ぇ瞑ってろ」

 アリシアはその迫力ある声に思わず従ってしまう。テオバルトに任せておけば、絶対に大丈夫だという確信があった。
 目をぎゅっと瞑り、何も耳に入れないと心に誓う。幼い頃からの虐待で、手も使わずに聴覚を遮断するのは得意になっていた。

 アリシアが目を瞑ったのを確認した瞬間、テオバルトは動いた。
 閃光のような剣閃の前に、男達はなす術なく、あっという間に倒れていった。  

 ただしアリシアの目の前にいた男だけは、卑怯にもアリシアの華奢な身体を人質にして、真っ白い喉元にナイフを突きつける。

「やめとけ」

 静かに放たれたその一言に、敵の男の体が硬直した。
 そして男はチラリと室内を見渡す。他の四人はあちこちから血を流し、何とか生きていると分かる程度に叩きのめされていた。

 次の瞬間、テオバルトの剣が一閃し、男の手からナイフが吹き飛ぶ。すぐ近くの空気が揺れる気配がしてアリシアはビクリと身体を揺らしたが、それでも何も見ず聞かず、じっとしている。

「……ッ!」
 
 驚いた顔をした男が悲鳴を上げる間もなく、次なるテオバルトの剣は素早く男の身体を貫く――完全に、急所だった。

 どさり、と音がして、近くにいたはずの男の気配が失われたのをアリシアは感じた。

「テオバルト……?」

 返事をする前に、テオバルトはまだ目を閉じたままのアリシアを強引に抱き寄せた。
 ふわりと漂うテオバルトの香水の香りに、アリシアは胸が痛いほどの愛しさを覚える。

「……悪かったな、遅くなって」  

 聞き慣れた声。大好きな声だった。そしてその言葉を聞いた途端、アリシアは張り詰めていた気持ちがすっかりと解け、声が震えた。

「……ううん、テオバルト……ちゃんと、来てくれた……」  

 涙声で呟くと、テオバルトはアリシアの頬を撫で、言いつけ通りに瞼を下ろしたままのアリシアの顔を、真っ直ぐに見つめた。

「当たり前だろうが」  

 その声は、どこまでも優しく、どこまでも強い。アリシアは枷付きのまま軽々と抱き上げられ、目を瞑ったまま部屋を横切る。
 室内には男達の呻き声、むせ返るような鉄錆の匂いが満ちていた。

「もう目を開けていいぞ。怪我はないか?」

 男達の手によってポツポツと置かれたランプでぼんやり照らされた屋敷の廊下を歩きながら、テオバルトはそっと腕の中のアリシアに声をかける。

「……っ、テオバルト……ッ」

 見慣れた顔がすぐそばにあって、アリシアは思わず首に手を回し、抱きついた。

「怪我はないの。でも……怖かった……あなたに……もう顔向け出来ないかと……」

 万が一の事があれば、アリシアは自分の舌を噛み切ってでもテオバルトに操を立てただろう。

「辛い思いをさせたな。悪かった。もっと俺が早く動いていれば……」  
「テオバルトのせいじゃない。あなたは私を助けに来てくれた。きっとすごく心配したはずよね。私の方こそ、ごめんなさい」
「謝るな。お前は少しも悪くない」

 その言葉と共に、テオバルトはアリシアを慎重に降ろす。まだ足は震えていたが、よろけずに立つ事が出来た。

「ありがとう」
 
 アリシアは自ら愛しいテオバルトの胸に飛び込み、逞しい背中に手を回す。
 耳に届いた力強く激しい鼓動が、テオバルトがここまで必死に来てくれた事実をまざまざと伝えて来る。
 
 二人はしばらくの間お互いの体温を確かめ合うように抱き合い、再会を喜んだ。

 外ではテオバルトが駆ってきた黒馬が、静かに彼らを待っている。
 さぁ乗り込もうという時、静かな夜の街に早足で屋敷の方へと近付いてくる馬の蹄の音が響いた。

 一種、テオバルトが身体を硬くし、アリシアを守ろうと身構える。
 不安に思ったアリシアが音のする方へ目を向けると、ぼんやりとした月明かりの中を馬に乗ってこちらへ駆けてくるシルエットが浮かび上がっていた。
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