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5. 波打つ感情
しおりを挟む新しい生活が始まって三日目の朝。
目を覚ました時に視界に入る部屋の風景も、家具や家電の配置も、生活の物音ですらも、まだこの家には馴染めないでいる。
(でも、今はここが私の『家』なんだから)
私はそう自分に言い聞かせてから、いつもより少しだけ丁寧に朝食を作る。
これまでの二日間、私は礼司さんの生活スタイルが分からなくて空回りばかりしてしまった。
食事に関してだって、礼司さんは普段朝食はコーヒーだけで済ませると知らずに、初日はイメージだけで洋食のモーニングのような朝食を作って困惑させた。
二日目は礼司さんに合わせてコーヒーだけにしたものの、コーヒー豆を挽くなんてことをこれまで一度もした試しが無かった私は、やり方が分からなくて手間取ってしまったのだ。
そう、一人で何でもそつなくこなす礼司さんを前に、恥ずかしさと情けなさで私は何度も唇を噛んだ。
(今日こそ、何とか礼司さんの妻として相応しく振る舞いたい)
今後の朝食は「静香に合わせる」と言われたので、野々宮の家で食べていた和食の朝食献立にした。あまり重くならないように、栄養は気をつけて。
食事を終え、決まった時間に玄関に立つ礼司さんは、相変わらず完璧に整ったスーツ姿で「行ってくる」と一言。
それはまるで、どこかで聞いた『夫婦らしい会話』の型をなぞったような響きだ。
「いってらっしゃい」
そう答えると、思った以上に心がふわっと軽くなった。
その後リビングで一人、テーブルの上に残された食器を片付けながら気付く。
礼司さんのお皿には、一口も残っていなかった。それどころか焼き鮭の食べ方一つとっても、彼らしくとても綺麗だ。
(……ちゃんと、食べてくれたんだ)
それだけで、今日という日が少し愛おしくなる。
昼間は一通りの家事を済ませ、買い物に行ったりして過ごす。
礼司さんは仕事をしているのに、私だけ少しでもじっとしているのは何だか申し訳なくて、元々綺麗に保たれている家中をウロウロして、掃除する所を探した。
それでも、礼司さんの私室だけは許可を得ていないので足を踏み入れない。
やがて夜七時ごろ――帰って来た礼司さんは特に何も言わないけれど、空気がピリピリしているわけでもない。
私は一度だけ「お疲れ様でした」と声をかけた。礼司さんはほんの一拍だけ間を置いて「……ああ」と返す。
まるで、その一言で『今日もお互い、ここにいる』と確認し合っているような、そんな不思議な安心感を得た。
何となくテレビを点けたまま、私はソファの端に座り、彼は少し距離を空けた所に座って書類に目を通していた。
静かだけれど、悪くない沈黙だった。
やがて、睡魔に襲われた私の身体が何度か傾いてしまう。ハッとして姿勢を正すも、眠気に抗えずすぐにこっくりこっくりと船を漕いでいた。
目を開ける度、少しずつ、少しずつ礼司さんとの距離が縮まっている気がして、「あれ」と思う。
でも襲いくる睡魔には勝てず、深く考えられない。
そのうち礼司さんの肩に寄りかかって、ハッとしてはまたすぐ目を閉じてしまった。
次に気付いた時、膝の上には毛布がかかっていた。
(まずい……! 私、寝ちゃって……)
すっかり目を覚ました私は、思わず礼司さんが座っていた側の座面に視線を落とし、手を伸ばす。
「あ……」
少しだけ温かいままのソファーに、きゅっと胸が締め付けられた。
(……どうして、こんなに心が波打つんだろう)
ふと視線を上げると、私を置いて隣室へ向かおうとする礼司さんの背中が一瞬だけ立ち止まる。
「昼間、あまり無理をするな」
ほんの少し振り向くようにして短く返された声は、どこかいつもよりも低く、柔らかかった。
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