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4. 契約結婚の始まりの日
しおりを挟む婚姻届の提出は、私が直接立ち会ったわけではなかった。
手続きは礼司さんが一人で済ませてきてくれた。
私はただ、「提出してきた」と静かに告げられた言葉を信じて、指輪を薬指に通しただけだ。
(……これで、正式に夫婦、なんだよね)
そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥にはふわりとした実感のない空白が広がっていた。
その日の午後、タワーマンションの鍵が私に渡された。
都心の一等地にそびえる高層階の部屋は、礼司さんが所有する物件だと聞いている。
広過ぎるリビング、高級品だけれど無機質に整えられた家具、どこか生活感のない空間。
けれどその静けさが、今の私達の関係を妙に象徴しているようで、思わず苦笑が漏れそうになる。
「部屋は好きに使っていい。生活に必要な物は一通り揃えてあるはずだ。足りなければ遠慮なく言ってくれ」
そう言って彼は、荷物をほどく私に背を向けたままスーツの上着を脱ぎ、ハンガーにかけた。
その動作まで完璧に整っていて、私はまた一つ、二人の間に決して縮まらない距離を感じてしまう。
夕食は軽く外で済ませ、帰宅後は互いに口数も少ないまま、それぞれの部屋へ向かう。
(こんな風に、毎日息が詰まるような生活を送っていくのかしら)
そんなことを考えながら廊下ですれ違ったとき、礼司さんがふと私の手元に視線を落とす。そして静かに言った。
「……指輪、ちゃんと付けてるんだな」
「え?」
思いもよらない問いに、情けなくも短い声で問い返してしまう。しかも最悪なことに、今日一日の緊張から不意に出した声は掠れていた。
「あくまでも義務だと思っていたが……似合っている……思っていたよりも、ずっと」
そう言い残し、礼司さんは足早に自室へと消えて行く。
音もなく静かに閉じられたドアが彼らしいと思う反面、先ほどの言葉の意味を計りかねて、咄嗟に「ありがとう」と感謝の言葉を返せなかったことに後悔が滲む。
何も出来なかった私はただ、薬指のリングをそっと撫でた。
(似合っている、なんて……)
契約の為に必要な小道具、それがたまたま……思いのほか似合っている、しっくりきているというだけの言葉なのに。どうしてこんなに胸が高鳴ってしまうのだろう。
仮初めの夫婦としての生活はまだ始まったばかり。だけど私の心のどこかで、ずっと静かに燻り続けていた小さな種火が、ボッと音を立てて燃え上がったような気がしていた。
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