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20. 渇望と慈愛
しおりを挟むこめかみ、頬に落とされた唇のぬくもりが、じわじわと胸の奥まで広がっていく。
(すごく優しい触れ方……)
「静香……好きだ。ずっと……お前のことだけを想ってた。別れてからも、ずっと」
礼司さんは私の返事を求めない。ひとしずく、またひとしずく――音も立てずに、静かに夜を潤す雨のように、私に想いを囁く。
「振られたくせに縋るなんて、みっともない男だと思われてもいい。大人げない男だって、笑ってくれていい。だけど静香の存在はずっと俺の中で、消えないどころか、日に日に深く刻まれていった。他の誰かで埋めるなんて、出来なかった」
これは礼司さんの心の底からの叫びだと、痛いほど伝わってくる。いつもは誰よりも冷静で、理知的な人。その彼が、私の為に全てを曝け出してくれている。
「礼司さん……っ」
胸がいっぱいで、鼻の奥がツンと痛くて、考えるより先に礼司さんの胸にしがみついていた。
彼の少し早めの鼓動が頬へ直に感じられ、私の目からは涙が一筋溢れた。
「俺にはずっと、静香しかいないんだ」
礼司さんの囁きは、夜の静寂に溶けて、私の肌を伝い、心の奥まで沁みていく。
長い指が私の頬を撫で、そっと涙を拭ってくれた。私の不安や罪悪感すらも全て拭ってしまうように。
それが彼の――私に対する深い慈愛の証だった。
「私も……これからずっと礼司さんと生きていきたい」
まるで祝福のように降り注ぐ想いの雨を、私は静かに受け入れた。
「キス……してくれますか?」
そっと目を閉じる。礼司さんが私の顎を指で持ち上げ、ゆっくりと顔を近付けてくるのを肌で感じた。
「ん……」
今回は初めから私の唇を喰むようにして、繰り返されるキス。やがて吐息を奪われるかのような、激しいものに変化した。
礼司さんの舌が私の舌を絡めとる。耳に届く濡れた水音に気恥ずかしさを感じつつ、じわじわと湧き上がるのは、どうしようもないほど甘くて切ない幸福だった。
「……っ、はぁ……礼司さん、もっと……深く、触れ合いたい」
不思議だった。これまではキスをしたってこんな風にお腹の奥がキュウッと切なくなる感覚はなかったのに。
今は……恥ずかしさを上回る渇望に負けてしまった。
(私……礼司さんが……欲しい)
「静香、無理しなくても……」
「無理なんかしてないです。私……あなたに……抱いて欲しいの」
真っ直ぐに礼司さんの目を見て告げた私に、彼は一瞬目を見開き、息を呑んだ。
ほんの少し、苦しそうに眉間に皺を寄せて。
「……分かった」
私を強く引き寄せ耳元で囁く。互いの距離は近い。触れればすぐにでも溶け合いそうな、そんな近さ。
だけど、彼は焦らなかった。
すっと立ち上がり、絨毯の上に座り込んだままの私の方へ手を伸ばす。
「こんな場所じゃ駄目だ」
そう言って手を繋いだ私達は、寝室の方へと向かった。息を呑む間も惜しいほどに、胸の奥が熱く疼く。
歩き慣れた廊下を進んでいる時、初めて礼司さんの寝室のドアを潜る時、私はとうとう二人が新しい関係へ踏み出すのだという期待で、また泣いてしまいそうになる。
礼司さんの寝室はサンダルウッドの良い香りがした。神聖で、神秘的なその香りが、私達二人を甘く包み込む。
「静香……座って」
端に二人が座ると、ギシ、と僅かに軋んだダブルベッドは、礼司さんらしいネイビーのシーツが掛けられている。
「あ……」
礼司さんが、静かに自分の眼鏡を外した。彼が私の前で眼鏡を外すのは、とても珍しい。驚いて、思わず息を呑んだ。
「もう、隠す必要はないから」
テーブルの上にそっと眼鏡を置く仕草。そして何も隔てるものがなくなった目で、まっすぐに私を見つめる。
「え……?」
その視線は、怖いくらい真剣で、優しくて、どこまでも深かった。
「俺の本音を、静香に隠す必要はなくなったから」
そう言って礼司さんは私の頬に指先を這わせると、宝物に触れるみたいに優しく撫でていく。
肩、腕、手首――まるで一枚一枚、私の心の殻を剥がすみたいに、静かに。
「静香」
低く、少し掠れた声で名前を呼ばれただけで、胸の奥がじんと震える。
「……怖くないか?」
まるで祈るように、彼は聞いた。私は首を振った。大学時代には進めなかったこの先に、これから進もうとしている。
「怖くないです……あなたとなら」
答える声が勝手に震えた。けれどそれは恐れではなく、ただただ彼をこんなにも好きだと感じて、喜びに打ち震えたのだ。
微笑んだ私に、ふっと礼司さんの目元も綻んだ。
「一つずつ、静香の綺麗なところ、これから全部確かめさせて」
「……はい」
次の瞬間、彼は私をベッドに押し倒した。二人の身体が、静かに重なる。
「静香……静香……」
ゆっくりと唇を押し開かれ、舌先が触れ合う。ぬるりと舌を絡められた瞬間、意識が甘く溶けていく。
「ん……ぁ」
抱きしめる腕の力が強くなった。ぎゅっと腰を引き寄せられ、ふたりの間に隙間がなくなる。
その時、礼司さんの硬く滾った熱が、私の太腿に触れた。思わず私は身体を硬くしてしまう。
(すごく、熱い……)
礼司さんはそれ以上を急がなかった。
背中を優しく撫でる手、髪を梳く指。
熱を持て余しているはずなのに、私を壊さないように、ただひたすらそっと、優しく触れてくれる。
「震えてる指も、赤くなった耳も……全部可愛い」
声が、再び耳元に落ちた。甘く、切なく、どうしようもないほど愛しい響き。
私は震える手で、そっと礼司さんの胸元に触れた。布越しに伝わる、熱い鼓動。
どくん、どくん、と早鐘のように打っている。
「……私、礼司さんに触れたいです」
そっと、彼の耳元に囁く。礼司さんの体が、驚いてビクンと跳ねた。
首筋に手を滑らせる。私とは違う、硬くて直線的な身体のつくり。
「……静香」
名前を呼ばれた瞬間、ぎゅっと抱きしめられる。 頬を押し当てた胸から伝わるのは、荒く、必死な鼓動。
そして額を私の肩に預けたまま、礼司さんは掠れる声で囁く。
「……俺も、もうずっと……お前に触れたくて堪らなかった」
涙が溢れそうになる。私はそっと彼の首に腕を回し、自分から身体を預けた。
礼司さんの唇が再び深く、深く、私を飲み込む。
ぬくもりと熱情のすべてを、ゆっくりと、溶かし合うようにして。
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