政略結婚の相手は、御曹司の元カレでした〜冷たいはずの彼が甘過ぎて困ってます〜

蓮恭

文字の大きさ
40 / 46

40. 確かめ合う

しおりを挟む

 礼司さんは、私に向かって何かを伝えようとしていた。
 
 けれど、言葉を探すように視線を彷徨わせたまま、しばらく沈黙が続いた。

「俺は……」

 次にその口元が動いた瞬間、礼司さんのポケットの中にあるスマートフォンが着信を伝える。
 一瞬だけ険しい顔をした礼司さんは、私に「すまない」と目で謝るようにして、電話に出た。

「……ああ。見つけた。無事だ。……ああ、ありがとう。……俺たちはもう少しだけ話をしてから戻る」

 短く要点だけを伝えて電話を切ると、礼司さんはそっと私に向き直った。

「静香、聞いてくれ」

 もう一度、まっすぐに私を見つめる。

「続きを……話してもいいか?」

 頷くと、彼の手がゆっくりと私の頬に触れた。指先は、少しだけ震えていた。

「私は、逃げたりしません。でも……礼司さんも、もう逃げないでください」

 礼司さんは私を見つめたまま、一瞬だけ目を伏せた。そしてゆっくりと、展望台の柵に背を預けるようにして小さく息を吐いた。

「……俺はお前のことを守りたかった。だからこそ、籍を入れることができなかった。あの時の婚姻届は……まだ俺が持ってる」
「どういう……ことですか?」

 礼司さんが口にした言葉の意味を考えてみたけれど、やっぱりそれだけでは納得出来ない。

「……野々宮宗儀氏からの申し出だった。正式な婚姻ではなく、あくまでも一年間は『契約』という形で、静香の未来を預かってほしいと」

 名前を出された祖父の顔が胸の中に浮かぶ。私に対してはいつも穏やかで、でも時折見え隠れする厳しい眼差し。

「お祖父様と礼司さんは、以前から面識が?」

(二人が直接の知り合いだったなんて……そんなこと、聞いたこともなかった)

「静香と別れてすぐ、宗儀氏が俺の元を訪れた。『何故孫を泣かせた』と。『どんな理由で別れたんだ』と聞かれたんだ。俺だって……その時は理由なんて分からなかったが」

 ハッとする。そう言えば、私はあの頃とても落ち込んで、食事も喉を通らなくなって……祖父はとても心配して理由を尋ねてきた。
 私は決して正直なことを答えなかったけれど、祖父は何らかの手段で礼司さんのことを調べたんだと思い至る。

「ごめんなさい……私、そんな事何も知らなくて……」
「宗儀氏は、可愛い孫が辛そうにしているのを我慢出来なかったんだろう。でも結局、俺には何も出来なかった。宗儀氏からも、『今はそっとしておいてやってくれ』と言われていたんだ」

 何も知らなかった、礼司さんと祖父の繋がり。私だけが何も知らず、一人傷付いていたつもりになっていた。
 祖父も、礼司さんも心を痛めていたのに。

「宗儀氏が自分の余命を知ってから後に、俺の元を再び訪れた。『静香と夫婦になってくれ』と。一年間の契約結婚の話が出たのはその時だ」
「それじゃあ、遺言を書くよりも前に、祖父は礼司さんと会っていたんですね」
「ああ、ほんの数回……だが」

(知らなかった。お祖父様がそんな風に……私に隠して礼司さんと話をしていたなんて)

「一旦夫婦として過ごす機会を与えるが、静香の人生を縛る形にはしたくない、と。俺のような人間に、お前の未来を委ねるのが正しい選択かどうか、本人の意思がしっかり固まるまでは『形だけ』にしておきたい、と言われた」
「……それで、籍を入れずに?」

 私は思わず、問い返していた。礼司さんは、僅かにに首を縦に振った。

「最初はそれで納得したつもりだった。機会を与えられただけでも幸いだと。だけど、いざ静香を目の前にして、俺は今後も絶対にお前を手放せるわけがないと悟った」
「……じゃあ、どうして私にそのことを言ってくれなかったんですか……?」
「せめて一年、宗儀氏との約束は守りたかった。あの人の最期の願いだったからな。だけど本当は……それ以上に怖かったんだ」

 その言葉は、思いがけないほど苦しそうだった。

「本当のことを話したら、静香が離れていくんじゃないかって。契約のことも、籍のことも……全部、お前の知らないところで勝手に進めた。静香の意思も、未来も、俺が強引に手に入れようとしたと知ったら……」
「礼司さん……」
「お前を失った六年、俺は前を向くフリしかできなかった。再び一度は手元を飛び去ったお前を手に入れる機会が訪れた時、また振り払われるのが……怖かった」

 礼司さんの声が震える。

「軽蔑されるのが怖かった。あの時の俺にはもう、なりふり構わず静香と一緒に過ごす方法だったけど、お前の気持ちは分からなかったから。でも……たとえ拒絶されても、手放す勇気なんてなかった」

 胸が、きゅうっと締めつけられる。

(そうだったんだ……)

 私はそっと、彼の手に触れた。あたたかくて、でもどこか怯えるように揺れていた手を、包み込むように握り返す。

「私は……そんな風に思われてたなんて、知らなかった。お祖父様のことも、礼司さんの気持ちも……こんなにも深く、私を想ってくれていたなんて」
「ごめん」

 礼司さんの低い声が、夜風にかき消されそうになる。
 私は首を横に振った。

「でも……言ってくれて、よかった。あなたの口から聞きたかったから」

 ふと、彼の瞳が揺れた。

「静香……」
「私は、礼司さんといたいって、心から思っています。契約じゃなくて、形だけでもなくて、ちゃんとあなたの『妻』でいたいって……ずっと、思ってました」

 礼司さんの手が、ぐっと強く私の手を握る。

「きっかけは礼司さんとお祖父様が与えてくれた。ほれがなかったら、私は一歩が踏み出せなかった。きっと今もあなたのことを想っては、後悔する日々を過ごしていたと思います」
「静香……」
「軽蔑なんてするわけがないじゃないですか。私は……そうまでして、私のことを欲しいと思ってくれたあなたが……あなたのことが、本当に愛おしいと思っています」

 礼司さんはガバリと私を抱き締めた。強く、強く。そして私の耳元で、かすれた声で『静香……』と、何度も名前を呼ぶ礼司さんがいた。

 抱擁の力強さと、彼らしくない弱さが、何よりの答えだった。

(私は……ちゃんと愛されている。もう迷わない。この声が、私の居場所だと教えてくれるから)

 礼司さんの腕の中で、私はそっと目を閉じた。あたたかい。――私を呼ぶ声も、その震える手も、全部が優しかった。

 しばらくそうしていたあと、礼司さんが名残惜しそうに、けれど穏やかな声で言った。

「帰ろう……如月の奴、心配してる」

 私は小さく頷いた。けれどその足が動き出す前に、少しだけ勇気を出した。

 ――そっと、彼の手を取る。

 驚いたように礼司さんが私を見る。けれど、拒まない。むしろ、私の手を包むように優しく握り返してくれる。

 あの時は、観光中に並んで歩くことさえ躊躇っていた。けれど今は違う。今は、ちゃんと隣に並べる。

(もう迷わない。私は、礼司さんの妻だから)

 月明かりが照らす山道を、二人で並んで歩く。手を繋いだまま、少しも離れずに。

 しばらくして如月さんの実家に戻ると、玄関の灯りが煌々と点いていた。中に入ると、リビングのソファーで座っていた如月さんが私達に気付き、一瞬泣きそうな顔をした後にすぐ立ち上がった。

 そして、いきなり――床に膝をついた。

「静香さんっ! 本当に……申し訳ありませんでしたっ!」

 驚いて目を見開く。ふわふわとセットされていた髪を乱し、頭を深々と下げている如月さんの姿は、普段の軽薄さの欠片もない。

「まさか診察室の会話を聞いてるとは思わなくて……ていうか、オレが不用意に話したのがいけないんだけど! ほんと、マジで……」

 絨毯に額を擦り付けるようにして、如月さんは何度も謝り続ける。やや大袈裟に見えるその行動でさえ、如月さんらしいと言えばらしい。
 彼なりの真剣な謝罪なのだろうと、素直に受け止められた。
 
 私は礼司さんと一瞬目を合わせ、頷き合ってから跪いた。

「あの、顔を上げてください。そんなに謝らないでください」

 派手なシャツの肩に手を当て、そう言うと、如月しんはそろりと顔を上げる。どこか情けないような、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。

「怒ってない……の?」
「ふふっ、むしろ……感謝しています」

 その言葉に、彼はぽかんと口を開けた。

(この人……憎めないな。礼司さんが大切に思うの、よく分かる)

 彼の軽さも、真剣さも、どちらも嘘じゃない。だからこそ、きっと礼司さんは昔から、彼と友人でいられたのだろう。

「如月さんのおかげで……私は礼司さんとちゃんと向き合えました。だから……ありがとうございます」

 言いながら、自然と微笑んでいた。

「……マジで天使かよ……」とぼそりと漏らした如月さんに、礼司さんが溜め息をついたのは言うまでもない。
 

 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました

鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。 けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。 そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。 シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。 困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。 夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。 そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。 ※他投稿サイトにも掲載中

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜

椿かもめ
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。 【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】 ☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆ ※ベリーズカフェでも掲載中 ※推敲、校正前のものです。ご注意下さい

【本編完結】付き合ってもいないのに、幼なじみの佐藤がプロポーズしてきた

ぽぽよ
恋愛
「俺らさ、結婚しない?」 三十二歳、独身同士。 幼なじみの佐藤が、たこ焼きパーティの最中に突然言い出した。 付き合ってもないのに。 夢見てた甘いプロポーズじゃないけれど、佐藤となら居心地いいし、給料もあるし、嫁姑問題もないし、性格も知ってる。 断る理由が、ない。 こうして、交際0日で結婚することが決まった。 「とりあえず同棲すっか」 軽いノリで決まってゆく未来。 ゆるっとだらっと流れていく物語。 ※本編は全7話。 ※本編完結後、ゆるいSS投稿予定。 ※サイドストーリー(切なめ)投稿予定。

腹黒外科医に唆された件~恋人(仮)のはずが迫られています~

有木珠乃
恋愛
両親を亡くし、二人だけの姉妹になった一ノ瀬栞と琴美。 ある日、栞は轢き逃げ事故に遭い、姉の琴美が務める病院に入院することになる。 そこで初めて知る、琴美の婚約者の存在。 彼らの逢引きを確保するために利用される栞と外科医の岡。 「二人で自由にならないか?」を囁かれて……。

愛情に気づかない鈍感な私

はなおくら
恋愛
幼少の頃、まだ5歳にも満たない私たちは政略結婚という形で夫婦になった。初めて顔を合わせた時、嬉し恥ずかしながら笑い合い、私たちは友達になった。大きくなるにつれて、夫婦が友人同士というのにも違和感を覚えた私は、成人を迎えるその日離婚をするつもりでいた。だけど、彼は私の考えを聞いた瞬間豹変した。

【完結】あなた専属になります―借金OLは副社長の「専属」にされた―

七転び八起き
恋愛
『借金を返済する為に働いていたラウンジに現れたのは、勤務先の副社長だった。 彼から出された取引、それは『専属』になる事だった。』 実家の借金返済のため、昼は会社員、夜はラウンジ嬢として働く優美。 ある夜、一人でグラスを傾ける謎めいた男性客に指名される。 口数は少ないけれど、なぜか心に残る人だった。 「また来る」 そう言い残して去った彼。 しかし翌日、会社に現れたのは、なんと店に来た彼で、勤務先の副社長の河内だった。 「俺専属の嬢になって欲しい」 ラウンジで働いている事を秘密にする代わりに出された取引。 突然の取引提案に戸惑う優美。 しかし借金に追われる現状では、断る選択肢はなかった。 恋愛経験ゼロの優美と、完璧に見えて不器用な副社長。 立場も境遇も違う二人が紡ぐラブストーリー。

【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~

葉影
恋愛
高校の頃、誰よりも大切だった人。 「さ、最近はあんまり好きじゃないから…!」――あの言葉が、最後になった。 小島久遠は、新たな職場で、元カレとまさかの再会を果たす。 若くしてプロジェクトチームを任される彼は、 かつて自分だけに愛を囁いてくれていたことが信じられないほど、 遠く、眩しい存在になっていた。 優しかったあの声は、もう久遠の名前を呼んでくれない。 もう一度“はじめまして”からやり直せたら――そんなこと、願ってはいけないのに。 それでも—— 8年越しのすれ違いは、再会から静かに動き出す。 これは、終わった恋を「もう一度はじめる」までの物語。

閉じ込められた未亡人は、当主となった義息と契約する。

黒蜜きな粉
恋愛
借金の肩代わりとして後妻に入った私は、 妻と呼ばれながら屋敷の離れで「いないもの」として暮らしていた。 ある雪の日、夫が事故死したと告げられる。 だが、葬儀に出ることすら許されず、私は部屋に閉じ込められた。 新たに当主となった継子は言う。 外へ出れば君は利用され奪われる、と。 それが保護であり、同時に支配なのだと理解したとき、 私はその庇護を条件付きの契約に変えることを選ぶ。 短いお話です。 ※第19回恋愛小説大賞にエントリーしております。

処理中です...