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第三章
第六十七話 真実
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大聖堂を抜けると、
真っ白な神官衣の裾が静かに揺れた。
私たちはその背に続き、奥院へと向かう。
――王族ですら足を踏み入れることのない場所。
空気が変わる。
祈りと香の匂いが濃くなり、足音だけが響く。
(……緊張する)
「こちらです」
神官は質素な扉の前で立ち止まり、深く頭を下げた。
「案内、ありがとう」
エリアスが礼を言い、扉を押し開く。
その瞬間、ふわりと温かな光があふれ出し、
夕餉の香りがほのかに漂った。
*
質素な部屋だった。
飾り気はなく、奥には小さな祭壇と神像がひとつ。
その手前に、木製の簡素な長テーブル。
湯気を立てる皿が並び、香ばしい匂いが静かに満ちている。
壁際には三人ほどの女性神官が控え、
白衣の裾がわずかに揺れ、蝋燭の光が横顔を照らした。
背後で扉が閉まる。
案内役の神官が静かに室内へ入り、深く一礼する。
そして――長テーブルの奥に座す、一人の女性。
静謐を纏い、まるで光そのもののように穏やかな微笑。
――大司祭、ルシェリア・アルセイン。
銀の髪に、銀の瞳。
白磁のような肌は染み一つなく、伸びた背筋は、百歳とも言われる齢を感じさせない。
「ようこそ。皆さまをお待ちしておりました」
その声は驚くほど柔らかく、それでいて心の奥にまっすぐ届く響きを持っていた。
エリアスが一歩前へ出て、胸に手を当てる。
「お招きいただき、ありがとうございます」
その声に続き、姉も静かに会釈し、私も慌ててそれに倣った。
温かな光がテーブルを照らし、
中央の聖杯の影が、ゆらりと揺れる。
*
神官が椅子を引き、姉の隣の席を示す。
私は静かに頷き、裾を整えて腰を下ろした。
「どうぞ、楽になさって」
ルシェリアの声は、まるで祈りのように穏やかだ。
テーブルには湯気を立てるスープと果実の皿。
けれど――不思議と“食卓”というより、“儀式の一部”のように見える。
エリアスとバルドも席に着き、場に静寂が満ちた。
神官たちは壁際に控え、誰一人として無駄に動かない。
その空気の中で――
姉がルシェリアに向かい、静かに頭を下げた。
「お招き、感謝いたします。大司祭様」
大司祭は目を細め、柔らかな微笑を返す。
「あなたがたの歩みを、神もまた見守っておられます。
まずは……これまでの旅路、本当にお疲れさまでした。
アリシア、エリアス――そして皆さんも」
ゆらり、と蝋燭の火が揺らめく。
「……今宵はねぎらいを兼ねて、ささやかなお食事をご用意しました。
まずは頂きましょう」
その言葉に合わせ、全員が胸の前で静かに手を組む。
短い祈りの言葉が、炎を揺らしてそっと響いた。
「――どうぞ、召し上がれ」
*
静寂の中で、
銀の食器が小さく触れ合う音だけが響いていた。
誰も言葉を発さない。
スープをすくう音と、パンをちぎる音。
それだけが、穏やかな呼吸とともに続いていく。
根菜のスープは淡い香りで、舌にやさしい温もりを残す。
焼きたてのパンは外は香ばしく、中はふんわりとしていて――
決して豪華ではないけれど、不思議と心をほぐしてくれる味だった。
蝋燭の炎がわずかに揺れ、
金の縁を持つ皿の上に、淡い光を落とす。
やがて食器の音が静まり、
神官たちが無言のまま皿を下げていった。
代わりに置かれた白湯の湯気が、静かに立ち上る。
そのとき――大司祭は静かに口を開いた。
「アリシア、そして皆さんに……礼を言わなくてはなりません」
姉がわずかに身じろぐ。
蝋燭のゆらめく光を見つめていた私は、はっと顔を上げた。
向かいのエリアスは姿勢を正し、バルドは机の上で両拳を静かに握っている。
フィーネも耳を伏せ、まるで祈るように目を閉じていた。
大司祭はゆっくりと私たち全員を見回し、静かに言葉を続ける。
「――ザハルトを、人として眠りにつかせてくださったこと。
この通りです」
大司祭は深々と頭を下げた。
私は息を呑む。
(――なんで……大司祭様が?)
銀の髪が流れ、蝋燭の光を受けてやわらかく揺れた。
姉は胸の前で両手を組み、唇を引き結ぶ。
その横顔を見つめながら、私は言葉を失った。
胸の奥で心臓がとくんと鳴り、指先が冷たくなる。
彼女は顔を上げ、穏やかな声で語り始めた。
「かつての“英雄戦争”の勇者パーティ――
勇者レオニス・ヴァレンティア。
盾の騎士セドリック・アルノール。
エルフの王子イリオン・エルネスティ。
わたくし、聖女ルシェリア・アルセイン。
そして、わたくしの弟――白魔導士ザハルト・アルセイン」
エリアスの眉がかすかに動いた。
姉の指先が震え、私は思わずその裾を握りしめる。
(……っ! あのザハルトの最後の言葉、“姉さん”って……)
胸の奥がぎゅっと痛む。
「わたくしたちは騎士家の子として生まれ、
わたしたち姉弟とレオニスは幼いころからの友でした。
弟は身体が弱く、よく体調を崩していました。
けれど、わたしたちはまるで本当の兄弟のように過ごし、いつも一緒でした。
弟の体調が良いときは皆で野を駆け回り、悪いときは寝室で静かに書を読み……
よく笑い、よく遊んだものです」
大司祭は遠い目をしながら、ゆっくりと語った。
その静かな言葉に、姉が小さく息をのむ音がかすかに聞こえた。
「そして――セドリックは、わたくしの婚約者でした」
バルドは拳を握ったまま、静かに視線を落とした。
「……魔王討伐は困難を極めました。
王国軍はとうに瓦解し、わたくしたちはたった五人で魔王城を目指したのです。
そして決戦のとき。セドリックはわたくしを庇い、イリオンも倒れ……
弟の支援とレオニスの聖剣、そしてわたくしの祈りによって、魔王を封印しました」
蝋燭の炎が小さく揺れ、光と影がルシェリアの頬をなぞる。
その光を映すように、アリシアの瞳にも静かな揺らぎが生まれ、
フィーネは目を伏せ、そっと胸に手を添えた。
「けれど、レオニスの受けた傷は深く……
わたくしと弟の魔力は、とうに尽きていました。
奇跡は――起こらなかったのです」
大司祭の瞳が、ほんの一瞬、痛みに曇る。
「そして――レオニスのいまわの際の言葉――」
私も、皆も息を呑んだ。
その音ほども聞こえるほどの静寂――。
そして――百年もの長き間、
大司祭――古の聖女の胸の内に秘められていた“真実”が、
いま、静かに語られようとしていた。
真っ白な神官衣の裾が静かに揺れた。
私たちはその背に続き、奥院へと向かう。
――王族ですら足を踏み入れることのない場所。
空気が変わる。
祈りと香の匂いが濃くなり、足音だけが響く。
(……緊張する)
「こちらです」
神官は質素な扉の前で立ち止まり、深く頭を下げた。
「案内、ありがとう」
エリアスが礼を言い、扉を押し開く。
その瞬間、ふわりと温かな光があふれ出し、
夕餉の香りがほのかに漂った。
*
質素な部屋だった。
飾り気はなく、奥には小さな祭壇と神像がひとつ。
その手前に、木製の簡素な長テーブル。
湯気を立てる皿が並び、香ばしい匂いが静かに満ちている。
壁際には三人ほどの女性神官が控え、
白衣の裾がわずかに揺れ、蝋燭の光が横顔を照らした。
背後で扉が閉まる。
案内役の神官が静かに室内へ入り、深く一礼する。
そして――長テーブルの奥に座す、一人の女性。
静謐を纏い、まるで光そのもののように穏やかな微笑。
――大司祭、ルシェリア・アルセイン。
銀の髪に、銀の瞳。
白磁のような肌は染み一つなく、伸びた背筋は、百歳とも言われる齢を感じさせない。
「ようこそ。皆さまをお待ちしておりました」
その声は驚くほど柔らかく、それでいて心の奥にまっすぐ届く響きを持っていた。
エリアスが一歩前へ出て、胸に手を当てる。
「お招きいただき、ありがとうございます」
その声に続き、姉も静かに会釈し、私も慌ててそれに倣った。
温かな光がテーブルを照らし、
中央の聖杯の影が、ゆらりと揺れる。
*
神官が椅子を引き、姉の隣の席を示す。
私は静かに頷き、裾を整えて腰を下ろした。
「どうぞ、楽になさって」
ルシェリアの声は、まるで祈りのように穏やかだ。
テーブルには湯気を立てるスープと果実の皿。
けれど――不思議と“食卓”というより、“儀式の一部”のように見える。
エリアスとバルドも席に着き、場に静寂が満ちた。
神官たちは壁際に控え、誰一人として無駄に動かない。
その空気の中で――
姉がルシェリアに向かい、静かに頭を下げた。
「お招き、感謝いたします。大司祭様」
大司祭は目を細め、柔らかな微笑を返す。
「あなたがたの歩みを、神もまた見守っておられます。
まずは……これまでの旅路、本当にお疲れさまでした。
アリシア、エリアス――そして皆さんも」
ゆらり、と蝋燭の火が揺らめく。
「……今宵はねぎらいを兼ねて、ささやかなお食事をご用意しました。
まずは頂きましょう」
その言葉に合わせ、全員が胸の前で静かに手を組む。
短い祈りの言葉が、炎を揺らしてそっと響いた。
「――どうぞ、召し上がれ」
*
静寂の中で、
銀の食器が小さく触れ合う音だけが響いていた。
誰も言葉を発さない。
スープをすくう音と、パンをちぎる音。
それだけが、穏やかな呼吸とともに続いていく。
根菜のスープは淡い香りで、舌にやさしい温もりを残す。
焼きたてのパンは外は香ばしく、中はふんわりとしていて――
決して豪華ではないけれど、不思議と心をほぐしてくれる味だった。
蝋燭の炎がわずかに揺れ、
金の縁を持つ皿の上に、淡い光を落とす。
やがて食器の音が静まり、
神官たちが無言のまま皿を下げていった。
代わりに置かれた白湯の湯気が、静かに立ち上る。
そのとき――大司祭は静かに口を開いた。
「アリシア、そして皆さんに……礼を言わなくてはなりません」
姉がわずかに身じろぐ。
蝋燭のゆらめく光を見つめていた私は、はっと顔を上げた。
向かいのエリアスは姿勢を正し、バルドは机の上で両拳を静かに握っている。
フィーネも耳を伏せ、まるで祈るように目を閉じていた。
大司祭はゆっくりと私たち全員を見回し、静かに言葉を続ける。
「――ザハルトを、人として眠りにつかせてくださったこと。
この通りです」
大司祭は深々と頭を下げた。
私は息を呑む。
(――なんで……大司祭様が?)
銀の髪が流れ、蝋燭の光を受けてやわらかく揺れた。
姉は胸の前で両手を組み、唇を引き結ぶ。
その横顔を見つめながら、私は言葉を失った。
胸の奥で心臓がとくんと鳴り、指先が冷たくなる。
彼女は顔を上げ、穏やかな声で語り始めた。
「かつての“英雄戦争”の勇者パーティ――
勇者レオニス・ヴァレンティア。
盾の騎士セドリック・アルノール。
エルフの王子イリオン・エルネスティ。
わたくし、聖女ルシェリア・アルセイン。
そして、わたくしの弟――白魔導士ザハルト・アルセイン」
エリアスの眉がかすかに動いた。
姉の指先が震え、私は思わずその裾を握りしめる。
(……っ! あのザハルトの最後の言葉、“姉さん”って……)
胸の奥がぎゅっと痛む。
「わたくしたちは騎士家の子として生まれ、
わたしたち姉弟とレオニスは幼いころからの友でした。
弟は身体が弱く、よく体調を崩していました。
けれど、わたしたちはまるで本当の兄弟のように過ごし、いつも一緒でした。
弟の体調が良いときは皆で野を駆け回り、悪いときは寝室で静かに書を読み……
よく笑い、よく遊んだものです」
大司祭は遠い目をしながら、ゆっくりと語った。
その静かな言葉に、姉が小さく息をのむ音がかすかに聞こえた。
「そして――セドリックは、わたくしの婚約者でした」
バルドは拳を握ったまま、静かに視線を落とした。
「……魔王討伐は困難を極めました。
王国軍はとうに瓦解し、わたくしたちはたった五人で魔王城を目指したのです。
そして決戦のとき。セドリックはわたくしを庇い、イリオンも倒れ……
弟の支援とレオニスの聖剣、そしてわたくしの祈りによって、魔王を封印しました」
蝋燭の炎が小さく揺れ、光と影がルシェリアの頬をなぞる。
その光を映すように、アリシアの瞳にも静かな揺らぎが生まれ、
フィーネは目を伏せ、そっと胸に手を添えた。
「けれど、レオニスの受けた傷は深く……
わたくしと弟の魔力は、とうに尽きていました。
奇跡は――起こらなかったのです」
大司祭の瞳が、ほんの一瞬、痛みに曇る。
「そして――レオニスのいまわの際の言葉――」
私も、皆も息を呑んだ。
その音ほども聞こえるほどの静寂――。
そして――百年もの長き間、
大司祭――古の聖女の胸の内に秘められていた“真実”が、
いま、静かに語られようとしていた。
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