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9 アガトンの嘘 ランドルフ視点
しおりを挟むジュリアは階段から落ちてから1週間ほど療養し、動いてもいいとの医者の許可を得てすぐに荷物をまとめていた。俺に声をかけることはなく、淡々と出ていく支度をしていた。
見送りの際には使用人全員が勢ぞろいしているかと思ったほど多くの者たちが外に集まっているのが見えた。俺は執務室の窓から憎々しげにそれを見ていた。
「旦那様、本当に行ってしまいますよ」
「どこへでも行ってしまえばいい」
「ここで意地をはっていたら、後で後悔します」
「後悔など、望むところだ」
は、と冷たく笑い飛ばした。
その後もしつこくクリスティーナが何度も俺に確かめてくるが、俺は決してジュリアを引き止めようとはしなかった。
クリスティーナは俺が執務室から出ないと知って、ジュリアを見送りに部屋を出ていった。
ジュリアは一度だけ俺のいる執務室の窓口さへと顔を上げた。目が一瞬だけ合うをそして口を少しだけ開けたと思ったが、またぎゅっと唇を噛み締めるように閉じ、馬車に乗り込んで行った。
ジュリアは俺に一言も声をかけず、行き先も告げずに馬車は動き出す。
ーーなんと忌々しい女なんだ。
弟と浮気なんて許されざる行為だ。やはり、俺ではなく伯爵夫人としての地位に目が眩み、弟に乗り換えようとしたのだ。ジュリアも所詮、金にしか興味がない他の女と同じだった。
俺に中に渦巻く憎悪の気持ちは増え続けていく。底なしの沼に感情はたまっていった。
だけど心の奥底ではどうしても嫌いになれない。彼女を憎めない。彼女なんか忘れてしまおうとするのに、忘れようと強く思えば思うほど思い出してしまう。
彼女の柔らかい体、唇、熱い体温、そして俺を優しく包み込んでくれる笑顔。俺の全てを受け入れてくれるような包容力が彼女にはあった。
今まで出会ってきたどの女性とも彼女は違っていた。
俺は彼女といれば、安らぎを感じ、心から笑うことができた。彼女の前だったら本当の自分を出せた気がした。家族の愛というものがわかった気がした。
今では伯爵家当主の座にいるが、元は庶子として生まれ、産んでくれた実母はすぐに亡くなった。俺はただの平民だった母の兄の家で育った。そこでは、飼っていた馬の世話係として引き取られただけだった。
その後、父親である伯爵に引き取られたが、弟が成人するまでの代わりとして連れてこられたのだとすぐに気づいた。年が離れた弟はまだ赤ん坊であった。だが父の、正当な後継者である弟を見る目と、俺を呼ぶ声があからさまに違っていたからだ。
家族の愛というものが何なのか、少しも理解できないでいた俺は、思春期を迎え、父の亡き後を中継ぎとして伯爵家を継いでも結婚や子孫を残すということになんら興味は湧かなかった。貴族らしく夜遊びや火遊びはもちろんしていたが。
だが彼女に出会ってから、女性関係は綺麗に清算した。遊ぶことはすっぱりと止めて、一途にも彼女だけに愛を注いだ。
それだけ俺は本気だった。あんなに遊び呆けて、愛なんかに少しも興味がなかったこの俺が。彼女だけしか見ていなかったのに、ジュリアは金と地位に目が眩んだのだ。煌びやかな世界を見て彼女は変わってしまった。
彼女から、俺の子を妊娠していると伝えられた時は最初は戸惑ったが、これから生まれてくる2人の愛の結晶と思えば期待に胸が高まっていった。俺たち2人の子どもが生まれてくるのを心待ちにしていた。
――それなのに!どうして裏切ったのだ、ジュリア!
「くそっ……どうしてだ……」
彼女のいない日々は空虚だった。ぽっかりと何か大事な物が抜け落ちてしまったような感覚がいつもあった。
何かが足りなくて、常にイライラとして屋敷の空気は今まで以上に悪くなり、俺も使用人たちに怒りをぶつけた。使用人は辞めていくが、元々移り変わりの激しい職業だ。気にならなかった。
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