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不審に眉をひそめてランドルフがケビンに尋ねた。当然の質問だ。見知らぬ男性からそんなことを言われる筋合いは本来ないのだから。
「僕は……彼女の、同僚です」
「君はここで働いているのか」
ランドルフが少し驚いたが納得したように私の方に顔を向けた。
「ええ、トンプソン教授の……ケビンの補佐をしてるの。昔通っていた学校でお世話になった先生だったのよ」
私は何を説明をしているんだろう。こんな言い訳のようにケビンとの関係を説明するなんて。
「それに同居してるの。彼と」
ランドルフへの気持ちがないことを自分にも証明したかったのか、私はそんなことを早口で口走っていた。
「同居……」
まずいコーヒーでも口にしてしまったかのようにランドルフの眉根と口に皺がよった。ぎゅっと閉ざされた唇が開かれ、フッ、と意地悪く片方の口角が上がった。
「はは、もう他の男のところに転がり込んでいるのか。信じられないほどの尻軽だな君は」
かつて愛しい者をみるセクシーな目元は、いまは強くて痛いほどの眼光で私を睨みつける。憎っくき相手を見ているようだ。
私は我を忘れそうになった。襲ってきたのは悲しみだ。あばずれと言われたあの嵐の夜のことを思い出し、一気に心が重たく沈んでいく。這い上がってこられないほど深いところまで。
お腹の子は、セーラは無事に産まれたというのに、あの時の喪失感を思い出して両腕でお腹をかばった。
「いつからだ? 俺の元を出ていってすぐか? もうそいつとは寝たのか?」
「なっ……!」
わなわなと体が震えるだけで言葉にできないほどの怒りが込み上げてくる。
この感情を思いつくままに言葉にして声を上げたいのに、感情が昂りすぎて何も言い返せない。
「やめてください。いきなり現れてなんなんですかあなたは!」
ケビンがさっと私を背に庇って前に出てくる。
「お前には聞いていない」
恐ろしいほどの低い声。大きな声を出しているわけでは決してないのに、その声はどまででも届いてしまいそうだと思った。聞いた相手を骨の髄まで震わせてしまうほどの力があった。
「どけ」
ケビンの肩がビクリと震え一歩だけ下がった。
けれど、その下がってしまった足にぐっと力を込めて踏ん張った。私のことを少しでも隠そうと、片手で私の体を庇う。私はぎゅっとケビンの服の袖を握った。
「どきません」
ケビンとランドルフはしばらく睨み合っていた。時間的には数秒ほどかも知れなかったが、体感的にはとても長い時間に感じられた。
ランドルフはチッ、と舌打ちをして顔を逸らした。
彼の意識がこちらから外れると、ピリピリと肌にくる重苦しい空気が少しだけ軽くなった。
「今日のところは帰る」
このままではらちがあかないと思ったのか、珍しくランドルフが引いていった。
早く行ってしまえばいい。もう来ないで欲しい。顔も見たくないし、声も聞きたくない。
「君が元気そうでよかった」
ランドルフの顔なんて見なければよかった。歪められた表情は、今まで見たこともないほどに苦しそうに見えてしまう。私を本当に心配していたように聞こえる。彼の懐かしい声が私の心をくすぐるように撫でて行った。
私は彼の声を断ち切るように言い切った。
「早く出ていってちょうだい」
負けたくない、逃げたくないと思って、彼から目をそらさなかった。すると、次はどうやったら目をそらせばいいのかわからない。不本意にも見つめ合う形になった。
彼の目元は細められて鋭さはなくなっていた。瞳の奥は悲しそうな孤独が映り、ゆっくりとそらされた。
彼を愛していた時のことを思い出してしまいそうで心が乱れる。
私はもう前を向いて、あなたを忘れて生きていこうと思っていたのに、どうして来るのよ。
これ以上あなたに心をかき乱されたくなんかないのに。
「今日のところは帰るよ」
肩を落としたランドルフの背中が小さく見えた。ドアの外へと消えていき、彼は去っていった。
「今の人が、例の彼だね? 君の……セーラの父親か」
「ええ……そうよ」
私は手で掴んでいた二の腕の爪に力がはいった。
「大丈夫だよ」
ケビンがそっと私の手に指を絡めて、私を抱きしめてくれた。
「何も心配はいらないさ」
遠慮がちな腕は、いつもなら彼らしいと思うのに、今だけは強引にでも私を奪うように抱きとどめていて欲しかった。
◇
ランドルフは次の日も大学まで来た。
ケビンが大学の講義で席を外しているときに彼はやってくる。
「俺たちが愛し合った日々を思い出してくれ」
「もうやめて」
「戻ってきてくれジュリア」
「戻らない。私たちが今さら上手くいくわけないわ」
何度そう言っても諦めてくれない。
「もし、子どもが生きていたら違っていたのかな」
唐突に彼から私たちの子どもの話が出てきた。
「俺たちの子どもがもし生きていたらと、そう願わずにはいられないんだ」
苦しそうに窓の外を見る。
私は子どものことを彼には言っていないことの罪悪感にさいなまれた。
けれど言ってしまったらどうなるかわからない。
あの嵐の日のように怒り狂うかもしれない、今度こそ俺を騙したのかと。
そして私の元から子どもを連れ去ってしまうかも。いいえ、きっとそうなるわ。絶対に子供のことはバレてはいけない。
子どもと離れたくない。
可愛い我が子、セーラと離れて暮らすことなんて考えられない。
伯爵家を継ぐはずだった弟のアガトンが修道院に入ってしまったとランドルフは言っていた。もう跡継ぎはランドルフだけだ。そして子どもが彼の子であるとバレたら、連れ去っていってしまう可能性もある。
そんなこと絶対に阻止しなければ。
「あの子のことは思い出したくないの……。もう帰って」
ランドルフに背を向けてケビンのデスクを片付け始めた。
「ジュリア」
手を掴まれて彼の方を振りいてしまった。ランドルフは今まで見たこともない表情を浮かべている。
そんな顔で私を見つめないで……!
「私に触らないでっ!」
私は掴まれた腕を振り払った。
深く傷ついたように振り払われた手をかばい、ぎゅっと手のひらを握り込んだ。
傷つけられたのは私の方なのに、どうしてあなたがそんな顔をするのよ。そんな資格、あなたにはないのに。
まるで、私の方が悪いことをしているかのように責められている気分になってくる。
「気安く触れてすまなかった」
弱々しい声を発しているのは、本当に彼なのだろうか。
私はまた彼に背を向けた。彼に掴まれたせいで、頬が熱くなっていた。
彼に会うたびに彼に惹かれ、情熱を思い出す。愛し合った日々を思い出しては苦しくなった。
体に籠った熱は疼きだして、強い体に身を委ねてしまいたくなる。
ちらりと、後ろのランドルフを盗み見ると、彼の顔はまだやつれていて、眠れていないのか顔色も悪いし格好だってなんだがくだびれて、スーツのネクタイも曲がっている。
直してあげたくなって彼のネクタイに手が伸びそうになった。
その時、赤ちゃんの泣き声が廊下から響いてきた。
セーラの泣き声だ。
その声に伸ばそうとしていた手を引っ込めた。
――だめよ。私にはセーラがいる。娘を守らないと。
「僕は……彼女の、同僚です」
「君はここで働いているのか」
ランドルフが少し驚いたが納得したように私の方に顔を向けた。
「ええ、トンプソン教授の……ケビンの補佐をしてるの。昔通っていた学校でお世話になった先生だったのよ」
私は何を説明をしているんだろう。こんな言い訳のようにケビンとの関係を説明するなんて。
「それに同居してるの。彼と」
ランドルフへの気持ちがないことを自分にも証明したかったのか、私はそんなことを早口で口走っていた。
「同居……」
まずいコーヒーでも口にしてしまったかのようにランドルフの眉根と口に皺がよった。ぎゅっと閉ざされた唇が開かれ、フッ、と意地悪く片方の口角が上がった。
「はは、もう他の男のところに転がり込んでいるのか。信じられないほどの尻軽だな君は」
かつて愛しい者をみるセクシーな目元は、いまは強くて痛いほどの眼光で私を睨みつける。憎っくき相手を見ているようだ。
私は我を忘れそうになった。襲ってきたのは悲しみだ。あばずれと言われたあの嵐の夜のことを思い出し、一気に心が重たく沈んでいく。這い上がってこられないほど深いところまで。
お腹の子は、セーラは無事に産まれたというのに、あの時の喪失感を思い出して両腕でお腹をかばった。
「いつからだ? 俺の元を出ていってすぐか? もうそいつとは寝たのか?」
「なっ……!」
わなわなと体が震えるだけで言葉にできないほどの怒りが込み上げてくる。
この感情を思いつくままに言葉にして声を上げたいのに、感情が昂りすぎて何も言い返せない。
「やめてください。いきなり現れてなんなんですかあなたは!」
ケビンがさっと私を背に庇って前に出てくる。
「お前には聞いていない」
恐ろしいほどの低い声。大きな声を出しているわけでは決してないのに、その声はどまででも届いてしまいそうだと思った。聞いた相手を骨の髄まで震わせてしまうほどの力があった。
「どけ」
ケビンの肩がビクリと震え一歩だけ下がった。
けれど、その下がってしまった足にぐっと力を込めて踏ん張った。私のことを少しでも隠そうと、片手で私の体を庇う。私はぎゅっとケビンの服の袖を握った。
「どきません」
ケビンとランドルフはしばらく睨み合っていた。時間的には数秒ほどかも知れなかったが、体感的にはとても長い時間に感じられた。
ランドルフはチッ、と舌打ちをして顔を逸らした。
彼の意識がこちらから外れると、ピリピリと肌にくる重苦しい空気が少しだけ軽くなった。
「今日のところは帰る」
このままではらちがあかないと思ったのか、珍しくランドルフが引いていった。
早く行ってしまえばいい。もう来ないで欲しい。顔も見たくないし、声も聞きたくない。
「君が元気そうでよかった」
ランドルフの顔なんて見なければよかった。歪められた表情は、今まで見たこともないほどに苦しそうに見えてしまう。私を本当に心配していたように聞こえる。彼の懐かしい声が私の心をくすぐるように撫でて行った。
私は彼の声を断ち切るように言い切った。
「早く出ていってちょうだい」
負けたくない、逃げたくないと思って、彼から目をそらさなかった。すると、次はどうやったら目をそらせばいいのかわからない。不本意にも見つめ合う形になった。
彼の目元は細められて鋭さはなくなっていた。瞳の奥は悲しそうな孤独が映り、ゆっくりとそらされた。
彼を愛していた時のことを思い出してしまいそうで心が乱れる。
私はもう前を向いて、あなたを忘れて生きていこうと思っていたのに、どうして来るのよ。
これ以上あなたに心をかき乱されたくなんかないのに。
「今日のところは帰るよ」
肩を落としたランドルフの背中が小さく見えた。ドアの外へと消えていき、彼は去っていった。
「今の人が、例の彼だね? 君の……セーラの父親か」
「ええ……そうよ」
私は手で掴んでいた二の腕の爪に力がはいった。
「大丈夫だよ」
ケビンがそっと私の手に指を絡めて、私を抱きしめてくれた。
「何も心配はいらないさ」
遠慮がちな腕は、いつもなら彼らしいと思うのに、今だけは強引にでも私を奪うように抱きとどめていて欲しかった。
◇
ランドルフは次の日も大学まで来た。
ケビンが大学の講義で席を外しているときに彼はやってくる。
「俺たちが愛し合った日々を思い出してくれ」
「もうやめて」
「戻ってきてくれジュリア」
「戻らない。私たちが今さら上手くいくわけないわ」
何度そう言っても諦めてくれない。
「もし、子どもが生きていたら違っていたのかな」
唐突に彼から私たちの子どもの話が出てきた。
「俺たちの子どもがもし生きていたらと、そう願わずにはいられないんだ」
苦しそうに窓の外を見る。
私は子どものことを彼には言っていないことの罪悪感にさいなまれた。
けれど言ってしまったらどうなるかわからない。
あの嵐の日のように怒り狂うかもしれない、今度こそ俺を騙したのかと。
そして私の元から子どもを連れ去ってしまうかも。いいえ、きっとそうなるわ。絶対に子供のことはバレてはいけない。
子どもと離れたくない。
可愛い我が子、セーラと離れて暮らすことなんて考えられない。
伯爵家を継ぐはずだった弟のアガトンが修道院に入ってしまったとランドルフは言っていた。もう跡継ぎはランドルフだけだ。そして子どもが彼の子であるとバレたら、連れ去っていってしまう可能性もある。
そんなこと絶対に阻止しなければ。
「あの子のことは思い出したくないの……。もう帰って」
ランドルフに背を向けてケビンのデスクを片付け始めた。
「ジュリア」
手を掴まれて彼の方を振りいてしまった。ランドルフは今まで見たこともない表情を浮かべている。
そんな顔で私を見つめないで……!
「私に触らないでっ!」
私は掴まれた腕を振り払った。
深く傷ついたように振り払われた手をかばい、ぎゅっと手のひらを握り込んだ。
傷つけられたのは私の方なのに、どうしてあなたがそんな顔をするのよ。そんな資格、あなたにはないのに。
まるで、私の方が悪いことをしているかのように責められている気分になってくる。
「気安く触れてすまなかった」
弱々しい声を発しているのは、本当に彼なのだろうか。
私はまた彼に背を向けた。彼に掴まれたせいで、頬が熱くなっていた。
彼に会うたびに彼に惹かれ、情熱を思い出す。愛し合った日々を思い出しては苦しくなった。
体に籠った熱は疼きだして、強い体に身を委ねてしまいたくなる。
ちらりと、後ろのランドルフを盗み見ると、彼の顔はまだやつれていて、眠れていないのか顔色も悪いし格好だってなんだがくだびれて、スーツのネクタイも曲がっている。
直してあげたくなって彼のネクタイに手が伸びそうになった。
その時、赤ちゃんの泣き声が廊下から響いてきた。
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その声に伸ばそうとしていた手を引っ込めた。
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