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◇
次の日の早朝、クリスティーナは帰っていった。
ケビンは寝癖をつけたままのっそりとリビングに現れた。
ふわぁ、と大きなあくびを隠そうともせずに、ケビンは上に大きく伸びた。
抱き抱えられていたセーラもつられてあくびをして、ねむそうに顔を動かしていた。
血は一滴たりとも繋がってはいないのに、本当の親子みたいに仕草がそっくりだ。
顔も、似ても似つかないほどなのに、セーラのふとした表情がケビンに似ている時がある。
寝癖の付け方まで似る必要はないのに。セーラの美しいブロンドの髪が飛び跳ねているのが目についた。
「クリスティーナさんは帰ってしまったのだね。ちゃんとあいさつくらいしておきたかったのだけど」
「雪がおさまってすぐに帰ってしまったわ。引き留めたのだけど……」
ケビンが私の頬に触れる。手が温かい。子供みたいに体温が高いのね。でも心地が良くて、ずっと触れていたい。
私は彼の手に触れた。
「ジュリア……顔色が悪いよ。今日は休みにした方がいい」
「いえ、大丈夫。私はなんともないわ」
「倒れでもしたら大変だよ」
「心配しないで、私はなんともない」
笑顔を作って、ケビンに笑いかけた。ケビンはひとつ大きなため息を吐いた。
「……頑固な今の君に何を言っても無駄なことはわかった。けど、具合が悪くなったらちゃんと言ってくれる?」
「ええ、もちろん」
「嘘はつかないで。元気なふりもダメだよ」
「そんなことしません」
「もし嘘をついたら……」
「ついたら……?」
「君を海外まで攫っていくよ。そして有名大学の教授の補佐にする」
「ふふ、なによそれ」
冗談じゃなく、攫っていってくれればいいのに。
幸せな家庭。望んでいた暖かな家庭。
私の大事なセーラを大事にしてくれる人がいて、私も幸せにしてくれる。私の先生になる夢だって、思い出させてくれた。笑顔が絶えない、私が思い描いていた理想そのものだ。
こんな素敵な人、私にもはもったいないくらい。
けれど、なぜ私はこんなに幸せの中にいるのに、思い出すのはいつもあの人の寂しそうな背中なのか。
幸せになればなるほど、あの人のことが頭から離れない。
私は忘れないといけない。
ケビンを支えていくと決めたのだから。
「ケビン、私あなたについていくわ」
ケビンの動きが一瞬とまり、やっと言葉の意味に気づいたとたんに、ぱぁっと表情が花が咲いたように明るくなった。
でもまた心配顔になって、早口になって私を問いただす。
「ほ、本当に?」
「ええ、いっしょに行きたい」
「いいんだね? 僕と一緒にきてくれるんだね?」
「本当よ。あなたと過ごしたいの」
「嘘じゃないよね?」
嘘なんかじゃない、そう言おうとしてふと彼の先ほどの言葉を思い出した。
「……嘘と言ったら、今すぐ海外へ私たちを連れ去ってくれる?」
「……!」
ケビンはまんまるく目を見開いて、すぐにへにゃりと目元が優しく緩んだ。
「まったく、君にはかなわないなぁ」
私はセーラを抱き抱えるケビンに抱きついた。2人の体温を感じながら、脳裏にちらついて離れない彼を消し去るようにして目を瞑った。
一週間が過ぎ、外に積もっていた雪は完全に溶け切っていた。
朝から大学の学務課へ足を運ぶ。
「ジュリアさん、本当に辞めてしまうんですね……」
学務課のフランクさんが悲しそうな目をしていた。犬耳が垂れ下がって、くーんと泣きそうになっているのが見えてくるようだった。
退職のための書類を提出しにきたのだったが、提出書類を一緒に確認するうちにフランクさんはだんだんと落ち込んでいった。
せっかく仲良くなった大学の職員の人たちと離れるのは私も寂しい。
特にフランクさんにはお世話になった。予算関係のことで相談に乗ってもらったり、ケビンの講義の調整なんかも手伝ってもらったりした。
大学理事の方針や学務課のあれこれで愚痴を言い合ったりしてきた。
「フランクさんと離れるのは私も悲しいです」
「でもあの有名な大学に行けるだなんて、素晴らしいことですからね。遠くに行ってしまうのは悲しいけれど、とてもいい機会ですもん。向こうでも明るく元気なジュリアさんでいてくださいね」
「ふふ、もちろんです」
笑い合ってさよならが言えてよかった。
ここに来てよかった。
1人で子どもを育てるなんて無謀なことをしたのは間違いだった。だって今色んな人の助けを借りて、セーラを育てている。私だけじゃ到底やっていけなかった。
でもあの時ランドルフの元を離れたのは間違いじゃなかった。
素敵な人たちとの出会いが、私にそう思わせてくれた。
「そうだ、お伝えし忘れるところでした」
わたわたとフランクさんが書類をあさり、「あった」と目当ての書類を取り出して私には渡してきた。
「これは?」
「実は、今期の研究費なんですが、予算の方に変更があるので、確認のための書類です。実は、今期の研究費はほとんどがトンプソン教授個人あての寄付金で賄っていたんです。個人あてなので、移動される際にはその寄付金はトンプソン教授にお渡しする形になります」
「こ、こんなに……?」
莫大な額が寄付されていたらしい。私は記載してあった額を見て驚いた。
支援金は今までも企業からや個人事業主からもあったが、それは会社の利益を見込んでのことだった。
完全に見返りを求めない高額な寄付金がされたのは初めてのことだ。
「寄付金って誰から?」
「それは、匿名でということで寄付いただきまして…… 僕も詳しくはわからなくて……」
困って頭をかきながら説明するフランクさん。
「あ、でも寄付金の手紙と小切手を持ってきたのはとてもきっちりとした年配のかたでしたよ。すごく洗練された感じで、どこかのお貴族様のところで働いている方ですかねぇ」
「そう」
こんなお金を持っているのは貴族様だろうな。
「前に雪がものすごく降った時があったじゃないですか。あの日の翌日だったかなぁ。朝早くからずっと学務課の窓口が開くのをまっていらっしゃったみたいで、足元も雪でぐっしょり濡れてしまって寒そうで、ちょっと顔色が悪そうでしたけど」
「……クリスティーナ」
「お知り合いでしたか? そういえばジュリアさんのことを聞かれましたね」
クリスティーナに間違いない。
だったら、この寄付金は彼からのものだ。何を思ってこんな大金を寄越してきたのだろう。
最後の選別のつもりで寄付したのか。私がお金を受け取るはずがないから、わざわざ大学の研究費としてケビン宛に寄付してまで。
次の日の早朝、クリスティーナは帰っていった。
ケビンは寝癖をつけたままのっそりとリビングに現れた。
ふわぁ、と大きなあくびを隠そうともせずに、ケビンは上に大きく伸びた。
抱き抱えられていたセーラもつられてあくびをして、ねむそうに顔を動かしていた。
血は一滴たりとも繋がってはいないのに、本当の親子みたいに仕草がそっくりだ。
顔も、似ても似つかないほどなのに、セーラのふとした表情がケビンに似ている時がある。
寝癖の付け方まで似る必要はないのに。セーラの美しいブロンドの髪が飛び跳ねているのが目についた。
「クリスティーナさんは帰ってしまったのだね。ちゃんとあいさつくらいしておきたかったのだけど」
「雪がおさまってすぐに帰ってしまったわ。引き留めたのだけど……」
ケビンが私の頬に触れる。手が温かい。子供みたいに体温が高いのね。でも心地が良くて、ずっと触れていたい。
私は彼の手に触れた。
「ジュリア……顔色が悪いよ。今日は休みにした方がいい」
「いえ、大丈夫。私はなんともないわ」
「倒れでもしたら大変だよ」
「心配しないで、私はなんともない」
笑顔を作って、ケビンに笑いかけた。ケビンはひとつ大きなため息を吐いた。
「……頑固な今の君に何を言っても無駄なことはわかった。けど、具合が悪くなったらちゃんと言ってくれる?」
「ええ、もちろん」
「嘘はつかないで。元気なふりもダメだよ」
「そんなことしません」
「もし嘘をついたら……」
「ついたら……?」
「君を海外まで攫っていくよ。そして有名大学の教授の補佐にする」
「ふふ、なによそれ」
冗談じゃなく、攫っていってくれればいいのに。
幸せな家庭。望んでいた暖かな家庭。
私の大事なセーラを大事にしてくれる人がいて、私も幸せにしてくれる。私の先生になる夢だって、思い出させてくれた。笑顔が絶えない、私が思い描いていた理想そのものだ。
こんな素敵な人、私にもはもったいないくらい。
けれど、なぜ私はこんなに幸せの中にいるのに、思い出すのはいつもあの人の寂しそうな背中なのか。
幸せになればなるほど、あの人のことが頭から離れない。
私は忘れないといけない。
ケビンを支えていくと決めたのだから。
「ケビン、私あなたについていくわ」
ケビンの動きが一瞬とまり、やっと言葉の意味に気づいたとたんに、ぱぁっと表情が花が咲いたように明るくなった。
でもまた心配顔になって、早口になって私を問いただす。
「ほ、本当に?」
「ええ、いっしょに行きたい」
「いいんだね? 僕と一緒にきてくれるんだね?」
「本当よ。あなたと過ごしたいの」
「嘘じゃないよね?」
嘘なんかじゃない、そう言おうとしてふと彼の先ほどの言葉を思い出した。
「……嘘と言ったら、今すぐ海外へ私たちを連れ去ってくれる?」
「……!」
ケビンはまんまるく目を見開いて、すぐにへにゃりと目元が優しく緩んだ。
「まったく、君にはかなわないなぁ」
私はセーラを抱き抱えるケビンに抱きついた。2人の体温を感じながら、脳裏にちらついて離れない彼を消し去るようにして目を瞑った。
一週間が過ぎ、外に積もっていた雪は完全に溶け切っていた。
朝から大学の学務課へ足を運ぶ。
「ジュリアさん、本当に辞めてしまうんですね……」
学務課のフランクさんが悲しそうな目をしていた。犬耳が垂れ下がって、くーんと泣きそうになっているのが見えてくるようだった。
退職のための書類を提出しにきたのだったが、提出書類を一緒に確認するうちにフランクさんはだんだんと落ち込んでいった。
せっかく仲良くなった大学の職員の人たちと離れるのは私も寂しい。
特にフランクさんにはお世話になった。予算関係のことで相談に乗ってもらったり、ケビンの講義の調整なんかも手伝ってもらったりした。
大学理事の方針や学務課のあれこれで愚痴を言い合ったりしてきた。
「フランクさんと離れるのは私も悲しいです」
「でもあの有名な大学に行けるだなんて、素晴らしいことですからね。遠くに行ってしまうのは悲しいけれど、とてもいい機会ですもん。向こうでも明るく元気なジュリアさんでいてくださいね」
「ふふ、もちろんです」
笑い合ってさよならが言えてよかった。
ここに来てよかった。
1人で子どもを育てるなんて無謀なことをしたのは間違いだった。だって今色んな人の助けを借りて、セーラを育てている。私だけじゃ到底やっていけなかった。
でもあの時ランドルフの元を離れたのは間違いじゃなかった。
素敵な人たちとの出会いが、私にそう思わせてくれた。
「そうだ、お伝えし忘れるところでした」
わたわたとフランクさんが書類をあさり、「あった」と目当ての書類を取り出して私には渡してきた。
「これは?」
「実は、今期の研究費なんですが、予算の方に変更があるので、確認のための書類です。実は、今期の研究費はほとんどがトンプソン教授個人あての寄付金で賄っていたんです。個人あてなので、移動される際にはその寄付金はトンプソン教授にお渡しする形になります」
「こ、こんなに……?」
莫大な額が寄付されていたらしい。私は記載してあった額を見て驚いた。
支援金は今までも企業からや個人事業主からもあったが、それは会社の利益を見込んでのことだった。
完全に見返りを求めない高額な寄付金がされたのは初めてのことだ。
「寄付金って誰から?」
「それは、匿名でということで寄付いただきまして…… 僕も詳しくはわからなくて……」
困って頭をかきながら説明するフランクさん。
「あ、でも寄付金の手紙と小切手を持ってきたのはとてもきっちりとした年配のかたでしたよ。すごく洗練された感じで、どこかのお貴族様のところで働いている方ですかねぇ」
「そう」
こんなお金を持っているのは貴族様だろうな。
「前に雪がものすごく降った時があったじゃないですか。あの日の翌日だったかなぁ。朝早くからずっと学務課の窓口が開くのをまっていらっしゃったみたいで、足元も雪でぐっしょり濡れてしまって寒そうで、ちょっと顔色が悪そうでしたけど」
「……クリスティーナ」
「お知り合いでしたか? そういえばジュリアさんのことを聞かれましたね」
クリスティーナに間違いない。
だったら、この寄付金は彼からのものだ。何を思ってこんな大金を寄越してきたのだろう。
最後の選別のつもりで寄付したのか。私がお金を受け取るはずがないから、わざわざ大学の研究費としてケビン宛に寄付してまで。
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