傲慢な伯爵は追い出した妻に愛を乞う

ノルジャン

文字の大きさ
48 / 55

17-3

しおりを挟む

 

 次の日の早朝、クリスティーナは帰っていった。

 ケビンは寝癖をつけたままのっそりとリビングに現れた。

 ふわぁ、と大きなあくびを隠そうともせずに、ケビンは上に大きく伸びた。
抱き抱えられていたセーラもつられてあくびをして、ねむそうに顔を動かしていた。
血は一滴たりとも繋がってはいないのに、本当の親子みたいに仕草がそっくりだ。

 顔も、似ても似つかないほどなのに、セーラのふとした表情がケビンに似ている時がある。
 寝癖の付け方まで似る必要はないのに。セーラの美しいブロンドの髪が飛び跳ねているのが目についた。

「クリスティーナさんは帰ってしまったのだね。ちゃんとあいさつくらいしておきたかったのだけど」

「雪がおさまってすぐに帰ってしまったわ。引き留めたのだけど……」

 ケビンが私の頬に触れる。手が温かい。子供みたいに体温が高いのね。でも心地が良くて、ずっと触れていたい。
私は彼の手に触れた。

「ジュリア……顔色が悪いよ。今日は休みにした方がいい」

「いえ、大丈夫。私はなんともないわ」

「倒れでもしたら大変だよ」

「心配しないで、私はなんともない」

 笑顔を作って、ケビンに笑いかけた。ケビンはひとつ大きなため息を吐いた。

「……頑固な今の君に何を言っても無駄なことはわかった。けど、具合が悪くなったらちゃんと言ってくれる?」

「ええ、もちろん」

「嘘はつかないで。元気なふりもダメだよ」
「そんなことしません」

「もし嘘をついたら……」

「ついたら……?」

「君を海外まで攫っていくよ。そして有名大学の教授の補佐にする」

「ふふ、なによそれ」

 冗談じゃなく、攫っていってくれればいいのに。

 幸せな家庭。望んでいた暖かな家庭。

 私の大事なセーラを大事にしてくれる人がいて、私も幸せにしてくれる。私の先生になる夢だって、思い出させてくれた。笑顔が絶えない、私が思い描いていた理想そのものだ。

 こんな素敵な人、私にもはもったいないくらい。

 けれど、なぜ私はこんなに幸せの中にいるのに、思い出すのはいつもあの人の寂しそうな背中なのか。
幸せになればなるほど、あの人のことが頭から離れない。

 私は忘れないといけない。

 ケビンを支えていくと決めたのだから。




「ケビン、私あなたについていくわ」





 ケビンの動きが一瞬とまり、やっと言葉の意味に気づいたとたんに、ぱぁっと表情が花が咲いたように明るくなった。
でもまた心配顔になって、早口になって私を問いただす。

「ほ、本当に?」

「ええ、いっしょに行きたい」

「いいんだね? 僕と一緒にきてくれるんだね?」

「本当よ。あなたと過ごしたいの」

「嘘じゃないよね?」

 嘘なんかじゃない、そう言おうとしてふと彼の先ほどの言葉を思い出した。


「……嘘と言ったら、今すぐ海外へ私たちを連れ去ってくれる?」

「……!」

 ケビンはまんまるく目を見開いて、すぐにへにゃりと目元が優しく緩んだ。

「まったく、君にはかなわないなぁ」

 私はセーラを抱き抱えるケビンに抱きついた。2人の体温を感じながら、脳裏にちらついて離れない彼を消し去るようにして目を瞑った。


 一週間が過ぎ、外に積もっていた雪は完全に溶け切っていた。

 朝から大学の学務課へ足を運ぶ。

「ジュリアさん、本当に辞めてしまうんですね……」

 学務課のフランクさんが悲しそうな目をしていた。犬耳が垂れ下がって、くーんと泣きそうになっているのが見えてくるようだった。

 退職のための書類を提出しにきたのだったが、提出書類を一緒に確認するうちにフランクさんはだんだんと落ち込んでいった。

 せっかく仲良くなった大学の職員の人たちと離れるのは私も寂しい。
 特にフランクさんにはお世話になった。予算関係のことで相談に乗ってもらったり、ケビンの講義の調整なんかも手伝ってもらったりした。

 大学理事の方針や学務課のあれこれで愚痴を言い合ったりしてきた。

「フランクさんと離れるのは私も悲しいです」

「でもあの有名な大学に行けるだなんて、素晴らしいことですからね。遠くに行ってしまうのは悲しいけれど、とてもいい機会ですもん。向こうでも明るく元気なジュリアさんでいてくださいね」

「ふふ、もちろんです」


 笑い合ってさよならが言えてよかった。

 ここに来てよかった。
 1人で子どもを育てるなんて無謀なことをしたのは間違いだった。だって今色んな人の助けを借りて、セーラを育てている。私だけじゃ到底やっていけなかった。

 でもあの時ランドルフの元を離れたのは間違いじゃなかった。
素敵な人たちとの出会いが、私にそう思わせてくれた。

「そうだ、お伝えし忘れるところでした」

 わたわたとフランクさんが書類をあさり、「あった」と目当ての書類を取り出して私には渡してきた。

「これは?」

「実は、今期の研究費なんですが、予算の方に変更があるので、確認のための書類です。実は、今期の研究費はほとんどがトンプソン教授個人あての寄付金で賄っていたんです。個人あてなので、移動される際にはその寄付金はトンプソン教授にお渡しする形になります」

「こ、こんなに……?」

 莫大な額が寄付されていたらしい。私は記載してあった額を見て驚いた。

 支援金は今までも企業からや個人事業主からもあったが、それは会社の利益を見込んでのことだった。
完全に見返りを求めない高額な寄付金がされたのは初めてのことだ。

「寄付金って誰から?」

「それは、匿名でということで寄付いただきまして…… 僕も詳しくはわからなくて……」

 困って頭をかきながら説明するフランクさん。


「あ、でも寄付金の手紙と小切手を持ってきたのはとてもきっちりとした年配のかたでしたよ。すごく洗練された感じで、どこかのお貴族様のところで働いている方ですかねぇ」

「そう」

 こんなお金を持っているのは貴族様だろうな。

「前に雪がものすごく降った時があったじゃないですか。あの日の翌日だったかなぁ。朝早くからずっと学務課の窓口が開くのをまっていらっしゃったみたいで、足元も雪でぐっしょり濡れてしまって寒そうで、ちょっと顔色が悪そうでしたけど」

「……クリスティーナ」

「お知り合いでしたか? そういえばジュリアさんのことを聞かれましたね」

 クリスティーナに間違いない。

 だったら、この寄付金は彼からのものだ。何を思ってこんな大金を寄越してきたのだろう。
 最後の選別のつもりで寄付したのか。私がお金を受け取るはずがないから、わざわざ大学の研究費としてケビン宛に寄付してまで。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください

無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――

【完結】裏切られたあなたにもう二度と恋はしない

たろ
恋愛
優しい王子様。あなたに恋をした。 あなたに相応しくあろうと努力をした。 あなたの婚約者に選ばれてわたしは幸せでした。 なのにあなたは美しい聖女様に恋をした。 そして聖女様はわたしを嵌めた。 わたしは地下牢に入れられて殿下の命令で騎士達に犯されて死んでしまう。 大好きだったお父様にも見捨てられ、愛する殿下にも嫌われ酷い仕打ちを受けて身と心もボロボロになり死んでいった。 その時の記憶を忘れてわたしは生まれ変わった。 知らずにわたしはまた王子様に恋をする。

大人になったオフェーリア。

ぽんぽこ狸
恋愛
 婚約者のジラルドのそばには王女であるベアトリーチェがおり、彼女は慈愛に満ちた表情で下腹部を撫でている。  生まれてくる子供の為にも婚約解消をとオフェーリアは言われるが、納得がいかない。  けれどもそれどころではないだろう、こうなってしまった以上は、婚約解消はやむなしだ。  それ以上に重要なことは、ジラルドの実家であるレピード公爵家とオフェーリアの実家はたくさんの共同事業を行っていて、今それがおじゃんになれば、オフェーリアには補えないほどの損失を生むことになる。  その点についてすぐに確認すると、そういう所がジラルドに見離される原因になったのだとベアトリーチェは怒鳴りだしてオフェーリアに掴みかかってきた。 その尋常では無い様子に泣き寝入りすることになったオフェーリアだったが、父と母が設定したお見合いで彼女の騎士をしていたヴァレントと出会い、とある復讐の方法を思いついたのだった。

【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く

紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?

お飾り王妃だって幸せを望んでも構わないでしょう?

基本二度寝
恋愛
王太子だったベアディスは結婚し即位した。 彼の妻となった王妃サリーシアは今日もため息を吐いている。 仕事は有能でも、ベアディスとサリーシアは性格が合わないのだ。 王は今日も愛妾のもとへ通う。 妃はそれは構わないと思っている。 元々学園時代に、今の愛妾である男爵令嬢リリネーゼと結ばれたいがために王はサリーシアに婚約破棄を突きつけた。 しかし、実際サリーシアが居なくなれば教育もままなっていないリリネーゼが彼女同様の公務が行えるはずもなく。 廃嫡を回避するために、ベアディスは恥知らずにもサリーシアにお飾り妃となれと命じた。 王家の臣下にしかなかった公爵家がそれを拒むこともできず、サリーシアはお飾り王妃となった。 しかし、彼女は自身が幸せになる事を諦めたわけではない。 虎視眈々と、離縁を計画していたのであった。 ※初っ端から乳弄られてます

能力持ちの若き夫人は、冷遇夫から去る

基本二度寝
恋愛
「婚姻は王命だ。私に愛されようなんて思うな」 若き宰相次官のボルスターは、薄い夜着を纏って寝台に腰掛けている今日妻になったばかりのクエッカに向かって言い放った。 実力でその立場までのし上がったボルスターには敵が多かった。 一目惚れをしたクエッカに想いを伝えたかったが、政敵から彼女がボルスターの弱点になる事を悟られるわけには行かない。 巻き込みたくない気持ちとそれでも一緒にいたいという欲望が鬩ぎ合っていた。 ボルスターは国王陛下に願い、その令嬢との婚姻を王命という形にしてもらうことで、彼女との婚姻はあくまで命令で、本意ではないという態度を取ることで、ボルスターはめでたく彼女を手中に収めた。 けれど。 「旦那様。お久しぶりです。離縁してください」 結婚から半年後に、ボルスターは離縁を突きつけられたのだった。 ※復縁、元サヤ無しです。 ※時系列と視点がコロコロゴロゴロ変わるのでタイトル入れました ※えろありです ※ボルスター主人公のつもりが、端役になってます(どうしてだ) ※タイトル変更→旧題:黒い結婚

愛さないと言うけれど、婚家の跡継ぎは産みます

基本二度寝
恋愛
「君と結婚はするよ。愛することは無理だけどね」 婚約者はミレーユに恋人の存在を告げた。 愛する女は彼女だけとのことらしい。 相手から、侯爵家から望まれた婚約だった。 真面目で誠実な侯爵当主が、息子の嫁にミレーユを是非にと望んだ。 だから、娘を溺愛する父も認めた婚約だった。 「父も知っている。寧ろ好きにしろって言われたからね。でも、ミレーユとの婚姻だけは好きにはできなかった。どうせなら愛する女を妻に持ちたかったのに」 彼はミレーユを愛していない。愛する気もない。 しかし、結婚はするという。 結婚さえすれば、これまで通り好きに生きていいと言われているらしい。 あの侯爵がこんなに息子に甘かったなんて。

【完結】 その身が焼き切れるほどの嫉妬をあなたにあげる

紬あおい
恋愛
婚約を解消されたのは、私ではなく、あなたの方。 嫉妬の苦しみをあなたも味わうといい。私のことはご心配なく。 私は幸せになります。 公開初日は二時間毎に更新 その後は六時間毎に更新 よろしくお願い申し上げます。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 設定は独自の世界観です。 ゆるゆるで、おかしいのも意図的だったり、単に文章力や知識不足に因るものです。 お好みに合わない場合は、そっとブラウザバックをお願い致します。m(_ _)m

処理中です...