『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第4章魔王様、ご飯で和解しませんか?

第1話「魔物襲来!? 王都の晩餐会、まさかの中断!」

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煌びやかなシャンデリアが光を散らし、長いテーブルには山のような料理が並んでいた。
 香草を添えたロースト肉、黄金色に輝くパイ、そして私が作った特製のスパイスシチューも、堂々と中央を飾っている。

 王都での晩餐会――。
 ここまで準備してきた日々を思えば、この光景だけで胸がいっぱいになる。

「カスミアーナ殿、こちらの料理、絶品ですぞ!」
 口髭の立派な貴族が、シチューを匙で豪快にすくいながら笑う。
「おかわりもあるぞ!」と厨房仲間が声を上げ、会場は笑いと香りで満たされていた。

(よかった……。これなら、王都の人たちにも“食の力”が届くはず)

 ちょうどその時だった。
 ――バンッ!
 会場の扉が勢いよく開き、鎧姿の兵士が息を切らせて飛び込んできた。

「報告! 王都郊外に“黒角の巨獣”が出現! 農地を蹂躙し、こちらに向かって進行中とのこと!」

 場の空気が一瞬で凍りつく。
 皿を持つ手を止める者、ざわめきながら互いに顔を見合わせる者――。

 セイル王子はすぐに立ち上がり、冷静な声で命じた。
「討伐隊を編成する。第一隊は先行、第二隊は防衛線を張れ!」

 会場の華やかな雰囲気は一瞬で消え、緊迫感だけが残った。

✳✳✳

 私は立ち上がったセイル王子の背中を見つめながら、胸の奥でぐっと何かが熱くなるのを感じた。
 このまま見送るなんて、できるはずがない。

「王子、私も行きます!」

 思わず声が大きくなって、会場中の視線が一斉にこちらへ集まった。
 貴族たちが驚いた顔をする中、セイル王子は苦笑を浮かべる。

「……カスミアーナ殿、戦場は料理場ではない」

「わかってます。でも、みんなが戦うなら、私は“食”で支えます。
 怪我をした人にすぐ食べられるものを用意できるし、力が出る料理も作れる。
 私の仕事は、剣じゃなくても人を守れるんです!」

 言い切った瞬間、厨房仲間のエリクやリサが「私も行きます!」と声を上げた。
 会場の端では、農民出身の給仕たちも拳を握って頷いている。

「……わかった。ならば補給部隊として同行してくれ。君たちの食事があれば、兵も士気を保てる」

 セイル王子はそう言って、私の肩を軽く叩いた。
 それだけで、不安よりもやる気が一気に勝った。

(よし、戦場キッチンの開幕だ!)

✳✳✳

 許可が出た瞬間、私たちは厨房へ全力ダッシュした。晩餐会の余韻なんて、鍋の底にこびりついたソースと一緒に後回しだ。

「エリク、非常用の鍋と羽釜、持てる?」 「任せてください! あ、でも羽釜は重——うおっ、とっと……!」 「リサ、乾物庫から豆と押し麦、干し野菜、スープの素をできるだけ。塩は小袋分け。砂糖は半分でいい」 「了解! あ、スパイスは“やさしめブレンド”でいいですか?」 「うん、緊急時だから刺激は控えめ。香りで落ち着くやつを」

 私は無限収納(時間停止)の口をぱかっと開く。まるで底なしの井戸。放り込んだ食材は劣化しないし、鍋もスッと入る。便利だけど、取り出す順番を間違えると、鍋がどーんと出てくるのが欠点だ。

「順番マーカー、つけとこ……。鍋→釜→食材→食器→薬湯の束……よし」 「カスミアーナさん、携帯かまどと炭、積みました!」 「助かる! あと、応急食。“握らないおにぎり”も準備しよう」 「握らない……?」 「焼いた薄せんべい状のごはんに塩を刷いて、重ねて包むの。衛生的で崩れにくい、戦場向け」

 鑑定眼を起動して、食材の状態を片っ端からチェックする。《保存良好》《水分過多》《発酵開始(良)》……OK、使えるものから優先。塩蔵肉は湯引きして臭み抜き、干し野菜は戻し水をスープに回す。無駄は一滴も出さない。

「護衛の人員はこちらで付ける。準備はいいか?」  入口からセイル王子の声。もう軍装に着替えている。切り替えの早さ、さすが王族。

「はい、出られます!」 「よし、出発だ」

 私、エリク、リサ、それに臨時メンバーとして野戦経験のある給仕長ガルベラさんまで合流。王都門前にはすでに補給用の小型馬車が二台待機していた。ひとつは水樽と薪、もうひとつは私たちの“台所一式”。

 夜の城門は、警鐘のリズムで開く。門番隊長が私たちを見つけて叫んだ。 「補給隊! 通せ、優先だ!」 「ありがとうございます、帰りに温かいの持ってきますね!」 「生きて帰ってきたら三杯もらう!」

 馬車が石畳を離れ、土の道に入る。月は薄雲に隠れたり現れたり、街灯はここまで届かない。代わりに、騎士たちの杖先が淡い光で道筋を示す。

 荷台で私は、揺れる箱の中身を押さえながら呼吸を整えた。心臓はバクバク。怖くないと言ったら嘘になる。それでも——

(私にできることがある)

 腰のツールポーチを指で確かめる。小包丁、温度石、香袋、火打ち、圧縮布、薬草粉末。忘れ物なし。大丈夫。やれる。

「カスミアーナさん、これ……」  リサが小瓶を差し出す。中は半透明の琥珀色。 「“甘露塩”。疲労回復の微量ミネラル混合。水に一つまみで、兵士がしゃきっとします」 「最高! 補給水に溶かそう。さすがリサ」 「えへへ」

 馬車が大きく跳ね、私たちは同時に手すりを掴んだ。前方から、低い地鳴りがゆっくり届く。最初は気のせいかと思うほど遠く、次第に確かな震動へ。

 ガルベラさんが顔を上げる。 「……踏み荒らされた土の匂いが混じったね。近いよ」 「王子、隊列を詰めますか?」 「いや、間延びしたほうが危険だ。第二隊との間隔はそのまま——補給隊は我の直後。いいな?」 「了解!」

 私は荷台の隅で、火を使わずに作れる準備に切り替える。戻し済みの豆と押し麦を、香袋と一緒に厚手の皮嚢へ。馬の揺れで混ざり、香りが移る。到着してすぐ湯を注げば、五分で“立つ”スープになる。

「エリク、握らないおにぎり、もう一段いける?」 「いけます! 塩刷いて、重ねて、包んで、紐で留める!」 「指差し呼称ありがとう、完璧!」

 やがて、王都の灯りが背に遠のき、畑地帯の暗がりが広がる。折れた柵、潰れた畝、まだ新しい爪痕の黒影が月に照らされる。

「到着——前方、被害地帯。全員、警戒!」

 セイル王子の声が風に乗って全員に届く。同時に、夜を切り裂くような獣の低鳴が一度。空気が震え、馬が鼻を鳴らした。

 私は喉を鳴らして、ごくりと唾を飲み込む。 (大丈夫。怖いのは、みんな同じ。私の役目は、火と匂いで“帰れる場所”を作ること)

 馬車が止まる。私は跳ね降りて、合図を出した。 「火はまだ起こさない。まずは水と甘露塩! それから——“香りの標(しるべ)”!」

 香袋を三つ、風上へ。穏やかなハーブの香りが夜気に広がる。兵の呼吸が少し整うのがわかった。

 次の瞬間、畑の向こうの闇で、月光が黒いものの輪郭をなぞった。大きい。角。肩が岩みたいに盛り上がっている。

 “黒角の巨獣”。

 遠い雷みたいな足音が、こちらへ一歩、また一歩。

「——来る」

 私は背中の無限収納に手を差し入れ、最上段の鍋ではなく、あらかじめ温めておいた香り高い出汁嚢をそっと取り出した。湯に浸せば、戦わずに済むかもしれない一杯につながる。

 戦いと炊き出しは、もう始まっている。
 次に火を入れるのは、鍋か、勇気か。どちらにせよ、手は止めない。

✳✳✳

 畑地帯は、まるで巨大な鍬で一気に耕し直したみたいに、無残だった。
 潰れた畝、折れた柵、転がる水桶。土の匂いに、根が切れたばかりの青臭さが混じる。

「風は北西……香りはこっちへ流れるね。補給隊、風下に回って」
「はい!」

 私は甘露塩入りの水嚢を配りながら、足跡をしゃがんで鑑定する。踏み跡は深い――ひづめじゃない、四趾。一歩が広い。体重は、ざっくり荷馬車三台ぶん。

 地鳴りが一度、二度。
 揺れる月明かりの中、畑の向こうの黒が、ぬるりと立ち上がった。

 ――黒角の巨獣。

 背中は岩山みたいに盛り上がり、肩から胸にかけては甲殻。額から伸びる二本の角は墨のように黒く、根元に蔦が絡みついている。けれど――

(……引きずってる。右前脚)

 私は反射的に《鑑定眼》を開く。視界の隅に淡い文字が浮かんだ。

> 名称:黒角獣(オルドブル)
体力:37% 精神:22%
状態:飢餓/脱水/外傷(右前脚・深部打撲)
敵対度:警戒(中)→食餌反応(弱)
備考:強い香り・温かい液体に反応して鎮静化傾向



(やっぱり……“戦いたい”んじゃなくて“食べたい”側だ)

「第一列、槍を上げ――」
「王子、待って! 風がよくない。香りで止められる!」

 セイル王子がこちらを一瞥し、すぐに合図を変える。
「第一列“構え止め”。投射は許可待ち。補給隊、彼女の指示に従え!」

 私は温度石で温めておいた皮嚢に、さきほどの出汁嚢を沈める。ナミロ玉の皮、干し茸、干し小魚粉、少量の甘露塩。火を使わず、湯気だけで殴るレシピ。

「リサ、湯を注いで。エリク、風上十歩先、低い位置で振って香りを漂わせる!」
「了解!」
「うわ、もう匂い来る……お腹空く……!」

 ふわりと、あたたかい旨みの匂いが夜に溶けた。
 その瞬間、巨獣の耳がぴくりと動く。鼻先が持ち上がり、空気を嗅ぐ仕草。蹄――じゃない、分厚い足が、ひとつ、こちらへ。

 ざ……ざ……。
 土が鳴るたび、槍の穂先が神経質に揺れた。ひとり、若い兵が恐怖で槍を上げそうになる。

「下ろせ!」
 王子の短い叱咤が飛ぶ。
 私は兵の前に半歩出て、笑う――震えてない風を装って。

「大丈夫。“ご予約なしのお客様”が匂いにつられて来てるだけ」

「そんなフロア係みたいな台詞を戦場で言うな……!」と小声でレオン副長。うん、私もそう思う。

 巨獣は二十歩、十五歩――近い。
 角の根元に、古い矢羽根の残骸。右前脚をかばうように着地するたび、わずかに顔が歪む。目は琥珀色で、怒りよりも渇きが濃い。

 私は無限収納に手を差し込み、つぎの“香りの標”を取り出した。今度は干し果実を少量潰して、出汁に甘みを足す。飢えた体に“食べられる匂い”を、もう一押し。

「エリク、ゆっくり一歩ずつ後退。こちらが追わないことを見せるの」
「う、うん……!」

 風が少しだけ回った。香りが巨獣の真正面にまっすぐ届く。
 巨獣の喉がごくりと鳴り、硬い舌で鼻先を一度舐める。
 そして、地面に膝をついた。威嚇の踏み鳴らしじゃない。重さを逃がす、傷の痛みをごまかす座り方。

(いける)

 私は皮嚢の口を広げ、湯気だけを風に乗せながら、そっと地面に置く。武器には見えない“置き方”。
 騎士たちの鎧が一斉に軋んだ。
 巨獣が、首を――下げる。

 黒い角が月光をはね返し、影が私の足もとまで伸びてきた。
 呼吸の熱さが、指先に触れる距離。

「――さあ、“一杯目”だよ」

 私は囁いた。
 巨獣の大きな鼻面が、湯気の上で止まり、静かに吸い込む音がする。

 夜風に、出汁と土と、ちいさな希望の匂いが混じった。
 槍はまだ下がったまま。矢もつがえたまま。誰も動かない。

 次の瞬間、巨獣の舌が、そっと湯気を舐め取った。
 戦闘と炊き出しの境界が、やわらかく溶けはじめる。

✳✳✳

 巨獣の舌が湯気をひと掬いした瞬間、全員の肩が同時に上下した。
 緊張はまだ消えない。だけど、空気の“とげ”が一本、するりと抜けた感覚。

「……王子、敵対行動なし。どうします?」
「投射、保留。補給隊、続行」

 短いやりとりの間に、私は二杯目の準備へ移る。香りだけじゃ足りない。**“飲める形”**を作って、飲み方を学習してもらう。

「リサ、押し麦パック、少量ね。エリク、干し果実は親指の先ほど。甘すぎると喉に張り付く」
「了解!」
「はいっ!」

 皮嚢をもう一つ地面に置き、私は両手を開いて見せる。武器も敵意もない“給仕”の所作。
 巨獣は私の動きを目で追い、鼻先で皮嚢をコツと押す。とぷん、と汁が揺れ、湯気が鼻面をくすぐった。

「そう、上手。熱いから、ゆっくりね」

 巨獣は舌を深く差し入れず、湯気ごと啜るように少しずつ。喉の上下が落ち着いたテンポに変わっていく。
 《鑑定眼》をのぞくと、文字が穏やかに更新された。

> 体力:37→41% 脱水:軽減
敵対度:警戒(低)→無害反応(弱)
備考:温飲摂取を学習/痛覚反応継続(右前脚)



(よし、飲み方わかった。次は“効く味”を)

 私は無限収納から薬湯束を取り出す。痛みと炎症を鎮める香草(カメリア葉)、疲労回復の微量鉱塩、胃を温める生姜根を糸でまとめたもの。湯にくぐらせると、穏やかな青い香りに生姜の温もりが重なる。

「カスミアーナ殿、近づきすぎだ!」
 レオン副長の声。分かる、でも今は引けない。

「大丈夫。**“魔食効果付与”**を乗せます」

 私は掌を鍋口にかざし、呼吸を整える。体内の“料理研究家の経験値”を、火加減のように落とし込む感覚。
 脳裏にひとつの文字が光った。

> 《魔食効果付与:痛覚緩和(小)+安堵(微)》
対象:摂食者(単)/持続:短



「——いただきます、どうぞ」

 合図みたいに、巨獣がまた一口。次の瞬間、強張っていた肩の盛り上がりがわずかにゆるむ。右前脚の荷重が半拍だけ軽くなった。

「……効いてる」
 私は自分の声が落ち着いているのに驚いた。膝は少し震えてるのに、手は迷わない。

「第一列、楯はそのまま。槍はさらに下げろ。誰も動くな」
 セイル王子も、待つ選択を続ける。

 巨獣は三杯目、四杯目とゆっくり口に運び、やがて鼻息に温度が戻った。吐く息が白い霧ではなく、湯気と混じって透明になる。体の芯まで温まった証拠だ。

「今だ、右脚を見る。王子、十歩だけ接近して確認させて」
「護衛二名、同行。最小限でいけ」

 私は皮嚢を新しいのと交換しつつ、巨獣の右前脚の外側に回る。光の杖を低く向け、眩しさで刺激しないよう角度を調整。
 毛の間に乾いた黒泥。腫れ。古い打撲に加えて、柵板のささくれが刺さっている。

「抜くよ。痛いけど、一瞬」

 私は圧縮布で温め、消毒粉を振る。呼吸を合わせて——抜く。
 巨獣の喉が低く鳴る。けど、跳ねない。すぐに薬草ペーストを塗り、布で軽く固定。

「いい子。もうちょっとだけ、がんばって」

 背中で鎧がわずかに鳴る。護衛の二人が息を止めた気配が伝わってくる。
 私は最後の一杯に薄めの甘味を足し、皮嚢の口を巨獣の前へ差し出す。

「カスミアーナさん! 兵が数名、足に来てます!」
 エリクの声。振り返ると、緊張と冷えで青い顔の新兵たち。手が震えて槍がガタつくの、危ない。

「はい、“握らないおにぎり”配って! 甘露塩水も。——兵は兵、獣は獣。同時に温めるよ」

 リサとガルベラさんが走り、包みを配る。塩気と米の甘み、薄い出汁の香りが列に沿って広がって、若い肩の上下が落ち着く。

「王子、敵対度、無害反応のまま。撤収の導線、作っていい?」
「やれ」

 私は風下に香りの標をさらに三つ置き、巨獣から森への緩い道を匂いで示す。
 巨獣は皮嚢を最後まで舐め、鼻先を地面に一度押し付けた。感謝の仕草——と、信じたい。

「——帰ろっか」

 囁くと、巨獣は重い体を持ち上げ、右脚に無理をかけないよう斜めに歩き始める。槍の列を見ない。私たちも見送るだけ。誰も追わない。

 やがて、黒い背中は畑の影に溶け、角の先が月を切って——消えた。

 静寂。夜風。遅れて安堵のため息が、波みたいに広がる。

「……戦闘、なしで終わった、のか」
 レオン副長の声は、驚きと、少しの笑い。

 私はようやく足の震えを認めて、ぺたんと座り込んだ。手の中には、ぬるくなった温度石。

(よかった。間に合った)

 《鑑定眼》の隅で、最後の行が光る。

> 備考:味覚学習・帰巣反応(弱)
記録:安全領域に“食の記憶”を紐づけ



 セイル王子が歩み寄り、手を差し出す。
「見事だ、カスミアーナ。君の鍋は、今夜この王都で一番強かった」

「鍋は武器ですから」
 つい、いつもの軽口が出る。王子が声を出して笑った。兵たちの笑いが連鎖する。

「——撤収。負傷者は補給隊で温かいものを摂ってから帰城する。記録係、**“討伐:非武力収束(食介入)”**と記せ」

 私は頷き、立ち上がる。火を起こす番だ。
 戦いは終わったけれど、台所戦線はこれから夜食タイムに突入するのだ。

✳✳✳

 黒い背中が闇に溶けていったあと、張り詰めていた空気が一気にゆるんだ。
 でも——ここからが補給隊の本番だ。

「火、起こします!」「水嚢、こっち!」「握らないおにぎり、追加いきます!」

 ぱちぱちと焚き火が走り、鍋底が温度石とともに温まっていく。私は“立つスープ”に刻み野菜を足し、塩気を微調整。甘露塩をひとつまみ、香りづけにナミロ葉を。湯気が夜に花を咲かせた。

「はい、新兵くん、まずは温かいの一口だけ。飲んだら深呼吸」
「……あ、あったか……落ち着きます……」
「えらい。次、二口目はゆっくり噛むみたいに飲むの」

 列はすぐに短くなり、頬に色が戻る。エリクは“握らないおにぎり”を三段重ねで器用に包み、リサは薬湯を薄めて“体ぽかぽか茶”に。ガルベラさんは器回収と洗い場を一人で回し、まさに台所戦線の鬼軍曹だ。

「王子、こちら士気、だいぶ回復してます」
「見ればわかる。——カスミアーナ、礼を言うのは勝利後というのが我が家のしきたりだが、今言う。助かった」

「じゃあ、勝利後にもう一回、言ってもらいますね」
「欲張りだな」
「おかわり自由ですから」

 笑いが焚き火の上で弾ける。緊張で縮こまっていた肩が、ひとつずつ下がっていくのが見えた。

 私は記録用の板に“現地レシピ”を書き起こす。
 ——黒角対応:香りの標三点→温出汁(甘露塩・干し茸・干し小魚粉)→押し麦+少果実→薬湯束(鎮痛・胃温)→退路誘導(風下)
 誰がやっても同じ結果が出せるように、段取りを残しておくのが私の流儀。

「レオン副長、見回りどうです?」
「足跡は森へ一直線。追撃の必要なし。……しかし“食わせて帰す”討伐記録は前代未聞だぞ」
「討伐じゃなくて“送迎プラン:夕食付き”で」

「名付けのセンスが軽い!」と一同につっこまれ、焚き火の周りがまた和む。

 ひと息ついたところで、《鑑定眼》を自分に向ける。
 体力:62%/精神:68%/料理集中度:高
 ——まだ動ける。よし、夜食第二波。

「薄めカレー、いきます!」
 鍋の端でスパイス袋をごく少量。昨日の“王都版”より刺激を落とし、代わりに香味油をひとしずく。戦のあとは、胃の機嫌最優先だ。

「カレー……だと……」「さっき戦場だったのに……」
「戦場“だから”だよ。心に灯りがいるでしょ?」

 兵たちの目がきらりと光る。スプーンが当たる音、ほう、と漏れる息。
 さっきまで震えていた手が、今は器をがっちりつかんでいる。生きる力は、ちゃんと腹から上がってくるのだ。

「カスミアーナ殿」
 セイル王子が真顔に戻り、小さく声を落とす。
「巨獣の来訪、偶然にしては出来すぎている。農地直進、王都目前での停止、そして……君の ‘香り’ にまっすぐ反応した」

「うん。飢えと傷だけじゃない“理由”、ありそうですね」

 王子は頷き、遠くの森を一瞥した。風向きがひとつ変わる。火の粉が小さく跳ね、夜は少しだけ濃くなった。

「帰城したら、被害の補償と農地の復旧段取りを。補給隊は休養を回したのち、報告書を作成……それと、“香りの標”を正式装備に申請しよう」

「やった、王都正式採用……! じゃ、名前は“安心ハーブパック”で」
「だから名付けが軽い」

 また笑い。けれど、笑いの底に、全員同じ予感がある。
 ——今夜は序章にすぎない。

 鍋底をさらい、最後の一杯を自分の器に移す。ほどよい温度。疲れた体に、やさしい辛みと甘みが広がった。

(来るなら来い。私たちには鍋がある)

 台所戦線の夜は、更けていく。
 そして、森の向こうから吹く風が、うっすらと金属の匂いを運んできた。

(……鉄? いや、刻印の油……?)

 私は顔を上げる。次の“謎”が、もうすぐこちらに届く。

✳✳✳✳

 撤収の準備を進めていると、見張りについていた新兵が駆けてきた。
「王子! 畑の端の茨に、黒い……これ、何かが引っかかってました!」

 手渡されたのは、親指ほどの黒い樹脂片に、細い革紐がちぎれてくっついたもの。鼻を近づけると、さっき風の中で感じた金属と油の匂いが濃い。

「“刻印油”の匂いだね」
 私は《鑑定眼》を開く。

> 品名:樹脂封蝋(軍務用)
由来:魔王領・辺境警護局
意味:搬送・護送識別用タグ/刻印:東境紋



(やっぱり……“ただの通りすがり”じゃない)

 私は膝に板を置き、さっき間近で見た角の根元の焼き模様をスケッチする。黒曜の輪に三本の稲妻、輪の外に小さな点が四つ。

「レオン副長、この紋、心当たり?」
「……ある。魔王領の東境紋だ。境界の出入りを正規に認めた個体につける目印——本来は人里に近づかない約定の印だが……」

「約定つきの個体が、王都の畑に来た?」
 セイル王子が眉を寄せる。
「偶発の迷い込みでは整合しない。誰かが“通した”か、“誘った”か、あるいは約定そのものが変化したか」

 風が森から吹き、焚き火の煙が少し揺れた。私は樹脂片を布に包み、革紐と一緒に丁寧に袋へしまう。

「記録物、保全。——それと、もう一つ」
 私は自分のメモ板を見せた。
 “非武力収束(食介入):巨獣、温出汁と薬湯で鎮静/退路誘導成功/右前脚応急処置済。”

「……正式記録に残す。史上初だ、胃袋で撤退させた討伐は」
 王子は苦笑し、それから真顔に戻る。
「明朝、対魔王領連絡班を招集。接触の糸口を探る。——カスミアーナ、君にも同席を頼みたい」

「もちろん。ごはんで話せるなら、やってみたいです」

 その時、森の方角から、ひゅ、と風を裂く音。護衛が即座に楯を上げ——地面に黒羽の矢が突き立った。矢羽根に結ばれた細い筒。
 レオン副長が慎重に回収し、王子へ手渡す。封蝋は……さっきと同じ黒い紋。

 王子が封を切り、短い文を読み上げた。

> 『境界にて不測の逸走、陳謝す。
養護に預かった恩、受領した。
可能ならば**“食”を携え、話し合いの席を**。
——東境管理官』



 焚き火の周りがざわめく。
 私は思わず、王子と顔を見合わせた。

「……“ご飯で和解しませんか?”って、向こうから言ってるようなものですね」
「こちらも同じ言葉を用意していたところだ」

 王子は矢筒の文を丁寧に巻き直し、腰の鞘口を軽く叩いた。
「帰城する。夜明けに方針を決める。補給隊は交代で休め。カスミアーナ、君は献立と交渉の二本立て、頼めるか?」

「任せてください。胃袋外交、開店準備します」

 兵たちから小さな笑いがこぼれる。
 私は鍋の火を落とし、空になった皮嚢を洗いながら、胸の奥の高鳴りを確かめた。

(魔王領と食卓を囲む日が来るなんて——でも、きっとできる)

 夜空には星。森には、さっきの巨獣の重い足跡。
 そして私の前には、まだ温かい鍋がひとつ。

 次は、席を整えて、皿を並べる番だ。



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