『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第4章魔王様、ご飯で和解しませんか?

第3話 鍋は外交官、台所は作戦室

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 城へ戻ると、私はそのまま台所へ入った。火は消えているが、空気にはまだスパイスと薬草の名残が漂っている。今夜は二本立て――宴へ持参する献立決めと、消香玉の出所を嗅ぎ当てる小さな捜査だ。

「戻った。報告は書記に回した。台所はどうだい」  セイル王子が戸口に立つ。

「開店準備、整ってます。まずは“落ち着く一杯”どうぞ」

 私は薄い出汁をよそい、王子に差し出した。ナミロ玉と干し茸に甘露塩をひとつまみ。王子は湯気をひと息吸い、肩の力を抜く。

「言葉が出やすくなる。会議の舌だな」

「“会議温度”です。熱すぎず、ぬるすぎず」

 大鍋の前でガルベラさんが蓋を軽く弾く。

「本題だ。向こうは薬湯、こっちは出汁。真ん中の皿を決めよう」

「候補は三つです」

 私は板に書く。  ――和薬スープ/香葉の蒸し団子/豆と野菜の二層煮。辛味は使わず、香り主体。乳製品は無し、代わりにナッツミルク。

「その前に、匂いを見てくれ」

 王子が小瓶を二つ置く。刻印油と、回収した消香玉の殻だ。私は布に一滴落とし、鼻先で確かめる。

「……配合の“手”が二つ。新しい筆と、十年前の筆。古い方は軍需局の旧規格ですね」

「やはり“二つの手”が動いているか」  副長グラドの声が低くなる。

「まずは、体を整える椀から」

 私はナミロ玉をゆっくり溶かし、干し茸の戻し汁を合わせた。

「どうぞ。会談の口慣らしです」

「うむ」  王子が一口。グラドが二口。リサとエリクも続く。

「喉がすっと通る。長話に耐える味だ」 「薬湯の苦味ともケンカしませんね」

「次は“香葉の蒸し団子”」

 刻んだ香葉をもち麦粉と合わせ、ナッツミルクでまとめる。蒸籠に入れると、ふくらむ音が心地よく響いた。ソースは薄い出汁に香味油を一滴。

「香りは走らせて、舌は走らせません」

「……静かに嬉しくなる。声が荒れにくい甘さだ」 「兵に出すなら塩を少し増やすか。今日は外交仕様で」

「三つ目、“二層煮”」

 下層で豆を崩し、上層に根菜を並べて煮含める。層を崩さずに盛るのは少し緊張する。

「見た目が“上は食べやすく、下は支える”。合意の練習です」

「比喩が台所で完結してくれるの、助かるよ」  王子が笑う。

 味見が一巡したところで、私は《鑑定眼》を開いた。  ――体力68/精神79/調理集中度:高/魔食効果:安定。  まだ回せる。

「第一候補は?」 「蒸し団子を主菜に。“始まりの椀”は和薬スープ。締めに二層煮を少量」 「異議なし」

 リサが帳簿を抱えて戻る。

「調香庫の在庫ログ、三年分持ってきました。出入り印は綺麗ですが、十か月前から番号札の書体が混ざってます」

「一致します」  私は殻の焦げを嗅ぐ。灰の奥で甘い柑根が微かに光った。新しい手より、旧規格の癖が濃い。

「場所を嗅ぎます。調香庫へ」

 夜の廊下は冷たい。扉の前で深呼吸し、《香路図》を展開。鼻から脳裏へ、細い光の線が走る。

「右二列目、下段。板の隙間です」

 薄板を外すと古い木箱。封蝋の上に新しい紙。ガルベラさんが糊を切り、箱を開ける。灰色の粉袋。角に、見覚えのある旧印。

「軍需局の旧印だな」  グラドの目が細くなる。

「今は押さえるだけ。台所で匂いを照合しましょう」

 帰り道、王子が小さく笑った。

「剣の代わりに柄杓を持ち、証拠は鼻で掴む。――君は、我が国らしくない」 「台所は国境を選びません。“うまい”は中立です」 「いい言葉だ」

 台所に灯が戻る。私は鍋の火を弱め、もう一度だけ湯を温めた。皆で“握らないおにぎり”を分け、体ぽかぽか茶をすすぐ。肩が落ち、呼吸が揃う。

「返書も整えます」

 私は文案を広げ、文官の定型に台所語をそっと差し込む。

「『両国、まず湯加減を合わせ、次に香りを重ね、最後に塩梅を問う』」 「外交文に“塩梅”は出るのか?」 「出します。角が立ちません」 「剣より丸い、か」

 火を落とす前に、私は手帳を開いた。  ――空腹で争わない。満腹で油断しない。湯気で嘘は隠せない。  最後にもう一行。  ――美味は武器、でもまず盾。

「ところで、君の“ステータス”を」  王子が椀を置く。

「はい。開きます」

 脳裏に透明な板が浮かぶ。 《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家/加護:女神の匙》 《主要:調理8/鑑定7/収納8/魔食付与7》 《補助:嗅覚強化7/火加減制御7/段取り最適化7/香路図6/衛生管理7》 《体力68/精神79/幸運6/交渉5→6(胃袋外交)》

「“交渉”が上がってる」 「“噛む速度を合わせる”の練習、効いてます」

 そのとき、戸口から小さな影が二つ。

「ただいま! 手伝いに来たよ!」 「今日はおやつある?」

「えらい。今夜はおやつ無し。代わりに、試作の団子を一口だけ」

 ルークとマリナが団子を半分こにして、嬉しそうに噛む。

「ふわふわ。喧嘩しない味」 「合格」

 私は香袋を三種――鎮静・安心・合図――作り直し、袋口を二重に縛って札を統一した。標識は言語。誰が見ても同じ意味になるように。

「明日の段取り、最終確認です」 「王都発は午前。道中配布は一度。境界で“香り標”一度目――挨拶。着席後に和薬スープ。主菜は蒸し団子。締めに二層煮。撤収時に“香り標”三度目」 「消香の再妨害には?」 「無煙標を地表近くに三点。甘露塩は薄配合。水は温度石で三段」 「よし」

「それと、王子。宴の挨拶、一文だけ台所語で」 「具体的には?」 「『湯気を同じ高さで吸いましょう』」 「……短くて良い。争いようがない」

 窓を閉め、火の名残を手で払う。台所の匂いは、油と木と出汁。安心して眠れる匂いだ。

「おやすみ、鍋」 「おやすみ」

 誰かが返事をした気がした。きっと気のせい。でも、そう思えるくらい、今日の台所はよく働いた。明日は宴。鍋は外交官、台所は作戦室。私は柄杓を持って、もう一度“境界”へ向かう。

 私は窓を少し開け、香袋を三種焚いて風の癖を確かめた。床を這う香り、窓へ抜ける香り、天井で渦を巻く香り。《香路図》の上で弱点が細い線になって浮かぶ。

「外風は南東。境界では右手へ抜けます。香り標は低く、合図は胸の高さで」 「了解。護衛は風下に」 「水は日陰、団子は蓋布二重。乾き防止です」

 副長グラドが頷く。

「調香庫は今夜から見張りを増やす。封蝋は新規格のみ」 「匂い札も新調します。誰が触っても同じ意味に」

 ガルベラさんが訊ねた。

「器は?」 「主菜は深椀に二個。縁に香葉を擦り、最初の一息で和ませます」 「万一、火が落ちたら?」 「石温の保温箱で湯気を守ります」

 私は小さな紙片に“胃袋外交の合図”を書いて配った。

「一、湯気の高さを合わせる。二、噛む速度を相手に合わせる。三、塩の話題で場を丸く。四、最後の一口は同時に」 「四は覚えやすい」 「“次”の席を約束する合図です」

 王子が挨拶の練習をする。

「『湯気を同じ高さで吸いましょう』」 「伝わります」

 私は粉袋の匂いを嗅ぎ直した。甘い柑根に、わずかな鉄臭。古い配合へ新しい油を重ねた跡。

「犯人は古い規格を知り、新しい現場にも届く手……名指しは宴の後で」 「鍋を先に」

 ルークが手を挙げる。

「ぼく、香り標の旗持ちやる!」 「任せます。走らないこと」 「うん!」

 マリナがエプロンをつまむ。

「わたし、“いただきます”を言う係」 「最高の役目です」

 私は祈りの皿を置いた。女神の匙に、失敗しない火加減を。焦がさず、冷ましすぎず、誰の心も取りこぼさない匙加減を。匙は一瞬光り、闇に溶けた。

「よし。明日は鍋を外交官に、台所を作戦室にする」  必ず、うまいで橋をかける。約束だ。――――
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