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第4章魔王様、ご飯で和解しませんか?
第7話 常設鍋は約束、香りは橋
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翌朝、王都の広場に臨時の台所が組まれた。丸い大鍋が三つ、火力石の台に載り、風よけの布には“湯気は同じ高さで”の印。見物に来た市の人、王都駐在の魔族の商人、議会の書記、そして——昨日の使節を見送ったばかりの私たち。
「いよいよ“常設鍋”の初日だな」 セイル王子が袖をまくる。
「はい。鍋は外交官、今日は市役も兼任です」
「旗は低く、湯気は胸の高さ」 ルークが復唱する。
「いただきますは、みんなで揃えて言う」 マリナが頷く。
主の鍋は“骨付き柔煮”。副は“香葉の蒸し団子”。そして新しく——“橋の雑穀粥”。噛めば甘みが出て、立ち話でもこぼれない濃さに整えた。
「まずは火加減」 私は《火加減制御》を開き、三つの鍋の温度を見比べた。骨はゆらぎ、団子は湯気だけで膨らみ、粥は底が焦げない速度で息をする。
「王子、合図を」
「聞け、王都と境界の民よ。今日は口で争わない。——腹で話す」 笑いが起き、緊張がほどけた。私は合図の香を一度だけ焚く。甘さは薄く、安心は長く。
「始まりの椀、どうぞ」 和薬スープが配られ、最前列の老婆が一口すすって目を細めた。
「若い頃の朝みたいだよ」
「そのまま昼まで元気です」 隣の角のある行商が団子を割る。
「……塩が喧嘩を忘れさせる」
「外交量です」 私は笑い、粥の鍋をかき混ぜる。
そこへ、風に乗って不穏な匂いが混じった。——鉄の息、柑根の残り香、そして布が擦れる小さな音。
「王子、右側の風下、幕の裏に一歩」 私は低く告げ、鎮静の香を足元に落とす。グラドが視線だけで頷き、護衛が自然に位置をずらす。
「問題ない。続けろ」
「はい」
私は“橋の粥”をよそい、幕の裏にも同じ器を二つ持っていった。
「忙しいから手短に。——どうぞ」 幕の陰で男が驚いた顔をする。口元には布。彼は迷って、しかし一口すすった。湯気が眉間のしわをほどく。
「……腹が、落ちる」
「話は腹で。名前は後で。——器は置いて、手は見せて」 男はゆっくり布を下ろし、両手を見せた。指の節に油、爪に灰。旧棚の癖だ。私は頷き、器を受け取って戻る。追わない。今日は“鍋の約束”が先。
昼近く、広場の空気はすっかり柔らかくなっていた。鍋の前に並ぶのは貴族も労働者も魔族の子も同じ列。旗は低く、湯気は胸の高さ。私は《鑑定眼》で流れを見る。——体力回復:小、精神安定:中、交渉意欲:上昇。よし、火は生きている。
「カスミアーナ殿」 白髪の副官シュラが、ひそやかに肩を寄せた。
「使いバライルより伝言。“明後日、魔都の大市で鍋を開け。魔王への献立、まず舌で見たい”」
「……招待状、ですね」
「警護はこちらで担う。条件は一つ。“焦げさせるな”」
「任せてください。焦げは残り、熱は分ける」 シュラは唇の端だけで笑い、群衆に溶けた。
午後、私たちは“沈黙の間”を置いて甘露ぷりんを少量配った。ざわめきが一拍で静かになり、笑顔だけが湧く。王都の書記が目を丸くする。
「……言論の秩序に有効だ」
「議場に冷蔵庫が必要になります」 セイル王子が真顔で頷き、周囲がどっと笑う。
片付けに入る頃、幕の裏の男が広場の端に立っていた。逃げない、こちらを見ている。私は器を二つ抱え、まっすぐ近づく。
「二杯目。今度は塩、少しだけ強く」
「……うまい」
「名前は」
「カーディン。記録官だ。——十か月前、外注の手を入れたのは俺だ」 彼は目を伏せ、深く頭を下げた。
「数字を守りたかった。倉を回したかった。早さに負けた」
「今日、腹で話せました。——だから、次の手順に入ります」 私は器を受け取り、短く告げた。
「明朝、調香庫。旧在庫の洗い出し。あなたの“手”で」
「……やる。責任の匂いは、鼻が覚えた」
夕刻、常設鍋は“満腹と笑顔”で初日を締めた。旗を畳み、火を落とし、私は手帳に三行追加する。——鍋は約束。粥は橋。甘味は静寂。
そこへ、黒い封の使いが駆け込んできた。角印、墨の香りは新しい。王子が封を切り、目を通すと、私に渡した。
「女神の匙の持ち主へ。魔都大市へ来い。暖かい香りで迎える。——魔王」
「……直筆」
「やることが一つ増えたな」 グラドが肩を回す。
「二つです。魔都の火加減と、王都の旧在庫。——でも順番は鍋が知ってる」 私は笑い、《段取り最適化》を開く。頭の中に二本の湯気が並び、やがて一本に絡み合っていく。
「夜食、どうする?」 リサが問う。
「今日は“香りの地図”を描きたいから、軽く。——出汁巻きと薄いお粥を少し」
「ぷりんは?」
「明日の“沈黙の間”まで、おあずけ」
「えー!」 ルークとマリナが同時にむくれ、すぐ笑う。
台所に戻ると、私は《ステータス》を開いた。
《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理23→24/鑑定7→8/嗅覚強化7→8/交渉7/段取り最適化7→8》
《特技:香り文作成/新称号:鍋の約束》
「上がってる。……でも、まだ足りない」
「十分以上だ」 王子が笑う。
「君がいる限り、王都の湯気は途切れない」
「私がいる限り、鍋は焦げません」
「心強い」
薪を一つくべ、私は窓を半分だけ開けた。南東の風。明日の香りは、きっとよく回る。机に地図を広げ、香袋を並べ、私は小さくつぶやく。
「魔都の火加減、借りますよ。——焦がさず、熱だけ」
片付けのあと、私は“香りの地図”を描いた。広場の風の癖、建物の角、旗の位置、鍋の並び。湯気の高さは丸、火力は線、塩梅は点で記す。地図の余白に、ぷりんの冷やし場の候補も二つ書いた。
「ぼくにも描ける?」
「描けるよ。旗の結び目の高さが、湯気の高さ」
「ほんとだ!」 ルークの線は少し曲がるが、勢いがある。私はその線に小さく“元気”と書き足した。
夜更け、門番に差し入れを届けると、古い兵が笑った。
「常設鍋は人を寄せる。だが寄れば、噂も寄る。——耳にも鍋が要るぞ」
「耳の鍋?」
「熱くなりすぎたら、蓋を少しずらすんだ」
「覚えました」 私は耳を軽く押さえ、蓋を開け閉めする仕草をしてみせた。古い兵は肩を震わせた。
部屋に戻ると、机の上に小さな包みがあった。差出人はラウモンド。中には丁寧に削られた木の匙と短い紙。
——旧棚の匂いを古道具扱いにするな。長持ちする香りは、知恵の保存だ。教本、書こう。
私は匙を胸に当てた。温度が手に移り、胸の奥がじんわり温かくなる。
「カスミアーナ」 戸口でグラドが咳払いする。
「明朝の倉、手は足りているか」
「足りています。けれど、鼻はまだ少し欲しい」
「俺は鈍いぞ」
「鈍い鼻は、焦げの初手に強いんです」
「そうか」 副長は短く笑い、去っていった。
眠る前、私は《無限収納》から古いレシピ帳を取り出した。地球で書いた“家庭の味”。ページの端がふわりと香る。女神に会った夜に抱いた約束——“料理で救う”。あの言葉は、今も湯気の真ん中で揺れている。
「明日は倉、明後日は魔都」 声に出して並べると、不思議と呼吸が整う。
「焦げさせない。——甘味は喧嘩を止める」 小さく唱え、灯りを落とした。外の風が窓辺で丸くなり、遠くの鐘が一つ鳴る。私は布団の中で、柄杓の柄を握る指をそっと緩めた。
夢の端で、遠い台所の鐘が鳴る。——行こう、鍋の約束が待っている。
「いよいよ“常設鍋”の初日だな」 セイル王子が袖をまくる。
「はい。鍋は外交官、今日は市役も兼任です」
「旗は低く、湯気は胸の高さ」 ルークが復唱する。
「いただきますは、みんなで揃えて言う」 マリナが頷く。
主の鍋は“骨付き柔煮”。副は“香葉の蒸し団子”。そして新しく——“橋の雑穀粥”。噛めば甘みが出て、立ち話でもこぼれない濃さに整えた。
「まずは火加減」 私は《火加減制御》を開き、三つの鍋の温度を見比べた。骨はゆらぎ、団子は湯気だけで膨らみ、粥は底が焦げない速度で息をする。
「王子、合図を」
「聞け、王都と境界の民よ。今日は口で争わない。——腹で話す」 笑いが起き、緊張がほどけた。私は合図の香を一度だけ焚く。甘さは薄く、安心は長く。
「始まりの椀、どうぞ」 和薬スープが配られ、最前列の老婆が一口すすって目を細めた。
「若い頃の朝みたいだよ」
「そのまま昼まで元気です」 隣の角のある行商が団子を割る。
「……塩が喧嘩を忘れさせる」
「外交量です」 私は笑い、粥の鍋をかき混ぜる。
そこへ、風に乗って不穏な匂いが混じった。——鉄の息、柑根の残り香、そして布が擦れる小さな音。
「王子、右側の風下、幕の裏に一歩」 私は低く告げ、鎮静の香を足元に落とす。グラドが視線だけで頷き、護衛が自然に位置をずらす。
「問題ない。続けろ」
「はい」
私は“橋の粥”をよそい、幕の裏にも同じ器を二つ持っていった。
「忙しいから手短に。——どうぞ」 幕の陰で男が驚いた顔をする。口元には布。彼は迷って、しかし一口すすった。湯気が眉間のしわをほどく。
「……腹が、落ちる」
「話は腹で。名前は後で。——器は置いて、手は見せて」 男はゆっくり布を下ろし、両手を見せた。指の節に油、爪に灰。旧棚の癖だ。私は頷き、器を受け取って戻る。追わない。今日は“鍋の約束”が先。
昼近く、広場の空気はすっかり柔らかくなっていた。鍋の前に並ぶのは貴族も労働者も魔族の子も同じ列。旗は低く、湯気は胸の高さ。私は《鑑定眼》で流れを見る。——体力回復:小、精神安定:中、交渉意欲:上昇。よし、火は生きている。
「カスミアーナ殿」 白髪の副官シュラが、ひそやかに肩を寄せた。
「使いバライルより伝言。“明後日、魔都の大市で鍋を開け。魔王への献立、まず舌で見たい”」
「……招待状、ですね」
「警護はこちらで担う。条件は一つ。“焦げさせるな”」
「任せてください。焦げは残り、熱は分ける」 シュラは唇の端だけで笑い、群衆に溶けた。
午後、私たちは“沈黙の間”を置いて甘露ぷりんを少量配った。ざわめきが一拍で静かになり、笑顔だけが湧く。王都の書記が目を丸くする。
「……言論の秩序に有効だ」
「議場に冷蔵庫が必要になります」 セイル王子が真顔で頷き、周囲がどっと笑う。
片付けに入る頃、幕の裏の男が広場の端に立っていた。逃げない、こちらを見ている。私は器を二つ抱え、まっすぐ近づく。
「二杯目。今度は塩、少しだけ強く」
「……うまい」
「名前は」
「カーディン。記録官だ。——十か月前、外注の手を入れたのは俺だ」 彼は目を伏せ、深く頭を下げた。
「数字を守りたかった。倉を回したかった。早さに負けた」
「今日、腹で話せました。——だから、次の手順に入ります」 私は器を受け取り、短く告げた。
「明朝、調香庫。旧在庫の洗い出し。あなたの“手”で」
「……やる。責任の匂いは、鼻が覚えた」
夕刻、常設鍋は“満腹と笑顔”で初日を締めた。旗を畳み、火を落とし、私は手帳に三行追加する。——鍋は約束。粥は橋。甘味は静寂。
そこへ、黒い封の使いが駆け込んできた。角印、墨の香りは新しい。王子が封を切り、目を通すと、私に渡した。
「女神の匙の持ち主へ。魔都大市へ来い。暖かい香りで迎える。——魔王」
「……直筆」
「やることが一つ増えたな」 グラドが肩を回す。
「二つです。魔都の火加減と、王都の旧在庫。——でも順番は鍋が知ってる」 私は笑い、《段取り最適化》を開く。頭の中に二本の湯気が並び、やがて一本に絡み合っていく。
「夜食、どうする?」 リサが問う。
「今日は“香りの地図”を描きたいから、軽く。——出汁巻きと薄いお粥を少し」
「ぷりんは?」
「明日の“沈黙の間”まで、おあずけ」
「えー!」 ルークとマリナが同時にむくれ、すぐ笑う。
台所に戻ると、私は《ステータス》を開いた。
《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理23→24/鑑定7→8/嗅覚強化7→8/交渉7/段取り最適化7→8》
《特技:香り文作成/新称号:鍋の約束》
「上がってる。……でも、まだ足りない」
「十分以上だ」 王子が笑う。
「君がいる限り、王都の湯気は途切れない」
「私がいる限り、鍋は焦げません」
「心強い」
薪を一つくべ、私は窓を半分だけ開けた。南東の風。明日の香りは、きっとよく回る。机に地図を広げ、香袋を並べ、私は小さくつぶやく。
「魔都の火加減、借りますよ。——焦がさず、熱だけ」
片付けのあと、私は“香りの地図”を描いた。広場の風の癖、建物の角、旗の位置、鍋の並び。湯気の高さは丸、火力は線、塩梅は点で記す。地図の余白に、ぷりんの冷やし場の候補も二つ書いた。
「ぼくにも描ける?」
「描けるよ。旗の結び目の高さが、湯気の高さ」
「ほんとだ!」 ルークの線は少し曲がるが、勢いがある。私はその線に小さく“元気”と書き足した。
夜更け、門番に差し入れを届けると、古い兵が笑った。
「常設鍋は人を寄せる。だが寄れば、噂も寄る。——耳にも鍋が要るぞ」
「耳の鍋?」
「熱くなりすぎたら、蓋を少しずらすんだ」
「覚えました」 私は耳を軽く押さえ、蓋を開け閉めする仕草をしてみせた。古い兵は肩を震わせた。
部屋に戻ると、机の上に小さな包みがあった。差出人はラウモンド。中には丁寧に削られた木の匙と短い紙。
——旧棚の匂いを古道具扱いにするな。長持ちする香りは、知恵の保存だ。教本、書こう。
私は匙を胸に当てた。温度が手に移り、胸の奥がじんわり温かくなる。
「カスミアーナ」 戸口でグラドが咳払いする。
「明朝の倉、手は足りているか」
「足りています。けれど、鼻はまだ少し欲しい」
「俺は鈍いぞ」
「鈍い鼻は、焦げの初手に強いんです」
「そうか」 副長は短く笑い、去っていった。
眠る前、私は《無限収納》から古いレシピ帳を取り出した。地球で書いた“家庭の味”。ページの端がふわりと香る。女神に会った夜に抱いた約束——“料理で救う”。あの言葉は、今も湯気の真ん中で揺れている。
「明日は倉、明後日は魔都」 声に出して並べると、不思議と呼吸が整う。
「焦げさせない。——甘味は喧嘩を止める」 小さく唱え、灯りを落とした。外の風が窓辺で丸くなり、遠くの鐘が一つ鳴る。私は布団の中で、柄杓の柄を握る指をそっと緩めた。
夢の端で、遠い台所の鐘が鳴る。——行こう、鍋の約束が待っている。
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