『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

文字の大きさ
31 / 99
第4章魔王様、ご飯で和解しませんか?

第7話 常設鍋は約束、香りは橋

しおりを挟む
 翌朝、王都の広場に臨時の台所が組まれた。丸い大鍋が三つ、火力石の台に載り、風よけの布には“湯気は同じ高さで”の印。見物に来た市の人、王都駐在の魔族の商人、議会の書記、そして——昨日の使節を見送ったばかりの私たち。

「いよいよ“常設鍋”の初日だな」  セイル王子が袖をまくる。

「はい。鍋は外交官、今日は市役も兼任です」

「旗は低く、湯気は胸の高さ」  ルークが復唱する。

「いただきますは、みんなで揃えて言う」  マリナが頷く。

 主の鍋は“骨付き柔煮”。副は“香葉の蒸し団子”。そして新しく——“橋の雑穀粥”。噛めば甘みが出て、立ち話でもこぼれない濃さに整えた。

「まずは火加減」  私は《火加減制御》を開き、三つの鍋の温度を見比べた。骨はゆらぎ、団子は湯気だけで膨らみ、粥は底が焦げない速度で息をする。

「王子、合図を」

「聞け、王都と境界の民よ。今日は口で争わない。——腹で話す」  笑いが起き、緊張がほどけた。私は合図の香を一度だけ焚く。甘さは薄く、安心は長く。

「始まりの椀、どうぞ」  和薬スープが配られ、最前列の老婆が一口すすって目を細めた。

「若い頃の朝みたいだよ」

「そのまま昼まで元気です」  隣の角のある行商が団子を割る。

「……塩が喧嘩を忘れさせる」

「外交量です」  私は笑い、粥の鍋をかき混ぜる。

 そこへ、風に乗って不穏な匂いが混じった。——鉄の息、柑根の残り香、そして布が擦れる小さな音。

「王子、右側の風下、幕の裏に一歩」  私は低く告げ、鎮静の香を足元に落とす。グラドが視線だけで頷き、護衛が自然に位置をずらす。

「問題ない。続けろ」

「はい」

 私は“橋の粥”をよそい、幕の裏にも同じ器を二つ持っていった。

「忙しいから手短に。——どうぞ」  幕の陰で男が驚いた顔をする。口元には布。彼は迷って、しかし一口すすった。湯気が眉間のしわをほどく。

「……腹が、落ちる」

「話は腹で。名前は後で。——器は置いて、手は見せて」  男はゆっくり布を下ろし、両手を見せた。指の節に油、爪に灰。旧棚の癖だ。私は頷き、器を受け取って戻る。追わない。今日は“鍋の約束”が先。

 昼近く、広場の空気はすっかり柔らかくなっていた。鍋の前に並ぶのは貴族も労働者も魔族の子も同じ列。旗は低く、湯気は胸の高さ。私は《鑑定眼》で流れを見る。——体力回復:小、精神安定:中、交渉意欲:上昇。よし、火は生きている。

「カスミアーナ殿」  白髪の副官シュラが、ひそやかに肩を寄せた。

「使いバライルより伝言。“明後日、魔都の大市で鍋を開け。魔王への献立、まず舌で見たい”」

「……招待状、ですね」

「警護はこちらで担う。条件は一つ。“焦げさせるな”」

「任せてください。焦げは残り、熱は分ける」  シュラは唇の端だけで笑い、群衆に溶けた。

 午後、私たちは“沈黙の間”を置いて甘露ぷりんを少量配った。ざわめきが一拍で静かになり、笑顔だけが湧く。王都の書記が目を丸くする。

「……言論の秩序に有効だ」

「議場に冷蔵庫が必要になります」  セイル王子が真顔で頷き、周囲がどっと笑う。

 片付けに入る頃、幕の裏の男が広場の端に立っていた。逃げない、こちらを見ている。私は器を二つ抱え、まっすぐ近づく。

「二杯目。今度は塩、少しだけ強く」

「……うまい」

「名前は」

「カーディン。記録官だ。——十か月前、外注の手を入れたのは俺だ」  彼は目を伏せ、深く頭を下げた。

「数字を守りたかった。倉を回したかった。早さに負けた」

「今日、腹で話せました。——だから、次の手順に入ります」  私は器を受け取り、短く告げた。

「明朝、調香庫。旧在庫の洗い出し。あなたの“手”で」

「……やる。責任の匂いは、鼻が覚えた」

 夕刻、常設鍋は“満腹と笑顔”で初日を締めた。旗を畳み、火を落とし、私は手帳に三行追加する。——鍋は約束。粥は橋。甘味は静寂。

 そこへ、黒い封の使いが駆け込んできた。角印、墨の香りは新しい。王子が封を切り、目を通すと、私に渡した。

「女神の匙の持ち主へ。魔都大市へ来い。暖かい香りで迎える。——魔王」

「……直筆」

「やることが一つ増えたな」  グラドが肩を回す。

「二つです。魔都の火加減と、王都の旧在庫。——でも順番は鍋が知ってる」  私は笑い、《段取り最適化》を開く。頭の中に二本の湯気が並び、やがて一本に絡み合っていく。

「夜食、どうする?」  リサが問う。

「今日は“香りの地図”を描きたいから、軽く。——出汁巻きと薄いお粥を少し」

「ぷりんは?」

「明日の“沈黙の間”まで、おあずけ」

「えー!」  ルークとマリナが同時にむくれ、すぐ笑う。

 台所に戻ると、私は《ステータス》を開いた。
《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理23→24/鑑定7→8/嗅覚強化7→8/交渉7/段取り最適化7→8》
《特技:香り文作成/新称号:鍋の約束》

「上がってる。……でも、まだ足りない」

「十分以上だ」  王子が笑う。

「君がいる限り、王都の湯気は途切れない」

「私がいる限り、鍋は焦げません」

「心強い」

 薪を一つくべ、私は窓を半分だけ開けた。南東の風。明日の香りは、きっとよく回る。机に地図を広げ、香袋を並べ、私は小さくつぶやく。

「魔都の火加減、借りますよ。——焦がさず、熱だけ」

 片付けのあと、私は“香りの地図”を描いた。広場の風の癖、建物の角、旗の位置、鍋の並び。湯気の高さは丸、火力は線、塩梅は点で記す。地図の余白に、ぷりんの冷やし場の候補も二つ書いた。

「ぼくにも描ける?」

「描けるよ。旗の結び目の高さが、湯気の高さ」

「ほんとだ!」  ルークの線は少し曲がるが、勢いがある。私はその線に小さく“元気”と書き足した。

 夜更け、門番に差し入れを届けると、古い兵が笑った。

「常設鍋は人を寄せる。だが寄れば、噂も寄る。——耳にも鍋が要るぞ」

「耳の鍋?」

「熱くなりすぎたら、蓋を少しずらすんだ」

「覚えました」  私は耳を軽く押さえ、蓋を開け閉めする仕草をしてみせた。古い兵は肩を震わせた。

 部屋に戻ると、机の上に小さな包みがあった。差出人はラウモンド。中には丁寧に削られた木の匙と短い紙。
——旧棚の匂いを古道具扱いにするな。長持ちする香りは、知恵の保存だ。教本、書こう。
 私は匙を胸に当てた。温度が手に移り、胸の奥がじんわり温かくなる。

「カスミアーナ」  戸口でグラドが咳払いする。

「明朝の倉、手は足りているか」

「足りています。けれど、鼻はまだ少し欲しい」

「俺は鈍いぞ」

「鈍い鼻は、焦げの初手に強いんです」

「そうか」  副長は短く笑い、去っていった。

 眠る前、私は《無限収納》から古いレシピ帳を取り出した。地球で書いた“家庭の味”。ページの端がふわりと香る。女神に会った夜に抱いた約束——“料理で救う”。あの言葉は、今も湯気の真ん中で揺れている。

「明日は倉、明後日は魔都」  声に出して並べると、不思議と呼吸が整う。

「焦げさせない。——甘味は喧嘩を止める」  小さく唱え、灯りを落とした。外の風が窓辺で丸くなり、遠くの鐘が一つ鳴る。私は布団の中で、柄杓の柄を握る指をそっと緩めた。

 夢の端で、遠い台所の鐘が鳴る。——行こう、鍋の約束が待っている。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

異世界ほのぼの牧場生活〜女神の加護でスローライフ始めました〜』

チャチャ
ファンタジー
ブラック企業で心も体もすり減らしていた青年・悠翔(はると)。 日々の疲れを癒してくれていたのは、幼い頃から大好きだったゲーム『ほのぼの牧場ライフ』だけだった。 両親を早くに亡くし、年の離れた妹・ひなのを守りながら、限界寸前の生活を続けていたある日―― 「目を覚ますと、そこは……ゲームの中そっくりの世界だった!?」 女神様いわく、「疲れ果てたあなたに、癒しの世界を贈ります」とのこと。 目の前には、自分がかつて何百時間も遊んだ“あの牧場”が広がっていた。 作物を育て、動物たちと暮らし、時には村人の悩みを解決しながら、のんびりと過ごす毎日。 けれどもこの世界には、ゲームにはなかった“出会い”があった。 ――獣人の少女、恥ずかしがり屋の魔法使い、村の頼れるお姉さん。 誰かと心を通わせるたびに、はるとの日常は少しずつ色づいていく。 そして、残された妹・ひなのにも、ある“転機”が訪れようとしていた……。 ほっこり、のんびり、時々ドキドキ。 癒しと恋と成長の、異世界牧場スローライフ、始まります!

追放された公爵令息、神竜と共に辺境スローライフを満喫する〜無敵領主のまったり改革記〜

たまごころ
ファンタジー
無実の罪で辺境に追放された公爵令息アレン。 だが、その地では神竜アルディネアが眠っていた。 契約によって最強の力を得た彼は、戦いよりも「穏やかな暮らし」を選ぶ。 農地改革、温泉開発、魔導具づくり──次々と繁栄する辺境領。 そして、かつて彼を貶めた貴族たちが、その繁栄にひれ伏す時が来る。 戦わずとも勝つ、まったりざまぁ無双ファンタジー!

異世界転生したので森の中で静かに暮らしたい

ボナペティ鈴木
ファンタジー
異世界に転生することになったが勇者や賢者、チート能力なんて必要ない。 強靭な肉体さえあれば生きていくことができるはず。 ただただ森の中で静かに暮らしていきたい。

異世界配信始めました~無自覚最強の村人、バズって勇者にされる~

たまごころ
ファンタジー
転生したら特にチートもなく、村人としてのんびり暮らす予定だった俺。 ある日、精霊カメラ「ルミナスちゃん」で日常を配信したら──なぜか全世界が大騒ぎ。 魔王を倒しても“偶然”、国家を救っても“たまたま”、なのに再生数だけは爆伸び!? 勇者にも神にもスカウトされるけど、俺はただの村人です。ほんとに。 異世界×無自覚最強×実況配信。 チートすぎる村人の“配信バズライフ”、スタート。

公爵家次男はちょっと変わりモノ? ~ここは乙女ゲームの世界だから、デブなら婚約破棄されると思っていました~

松原 透
ファンタジー
異世界に転生した俺は、婚約破棄をされるため誰も成し得なかったデブに進化する。 なぜそんな事になったのか……目が覚めると、ローバン公爵家次男のアレスという少年の姿に変わっていた。 生まれ変わったことで、異世界を満喫していた俺は冒険者に憧れる。訓練中に、魔獣に襲われていたミーアを助けることになったが……。 しかし俺は、失敗をしてしまう。責任を取らされる形で、ミーアを婚約者として迎え入れることになった。その婚約者に奇妙な違和感を感じていた。 二人である場所へと行ったことで、この異世界が乙女ゲームだったことを理解した。 婚約破棄されるためのデブとなり、陰ながらミーアを守るため奮闘する日々が始まる……はずだった。 カクヨム様 小説家になろう様でも掲載してます。

転生令嬢の食いしん坊万罪!

ねこたま本店
ファンタジー
   訳も分からないまま命を落とし、訳の分からない神様の手によって、別の世界の公爵令嬢・プリムローズとして転生した、美味しい物好きな元ヤンアラサー女は、自分に無関心なバカ父が後妻に迎えた、典型的なシンデレラ系継母と、我が儘で性格の悪い妹にイビられたり、事故物件王太子の中継ぎ婚約者にされたりつつも、しぶとく図太く生きていた。  そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。  プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。  しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。  プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。  これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。  こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。  今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。 ※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。 ※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。

『ひまりのスローライフ便り 〜異世界でもふもふに囲まれて〜』

チャチャ
ファンタジー
孤児院育ちの23歳女子・葛西ひまりは、ある日、不思議な本に導かれて異世界へ。 そこでは、アレルギー体質がウソのように治り、もふもふたちとふれあえる夢の生活が待っていた! 畑と料理、ちょっと不思議な魔法とあったかい人々——のんびりスローな新しい毎日が、今始まる。

転生の水神様ーー使える魔法は水属性のみだが最強ですーー

芍薬甘草湯
ファンタジー
水道局職員が異世界に転生、水神様の加護を受けて活躍する異世界転生テンプレ的なストーリーです。    42歳のパッとしない水道局職員が死亡したのち水神様から加護を約束される。   下級貴族の三男ネロ=ヴァッサーに転生し12歳の祝福の儀で水神様に再会する。  約束通り祝福をもらったが使えるのは水属性魔法のみ。  それでもネロは水魔法を工夫しながら活躍していく。  一話当たりは短いです。  通勤通学の合間などにどうぞ。  あまり深く考えずに、気楽に読んでいただければ幸いです。 完結しました。

処理中です...