『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第5章地球と異世界、二つの台所と再会の味

第24話 小鍋場の「家庭」、焦がさずに驚きを

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 翌朝。魔都城の内庭に続く小さな台所——“小鍋場”に案内された。石の壁、低い煙出し、細い水路。火床は二つ、卓は一枚。つまり、派手な芸はできない。

「条件、三つ」
 黒衣の使いが指を立てる。

「一、火は強め厳禁。二、香は後から。三、十拍の静寂を破るな」

「了解。——家庭の味は、静かに始まります」

 私は耳の鍋をわずかに傾け、“トン”と合図。結衣が『鍋の約束・初級編』を壁に立てかけ、ページの図を指でなぞる。

「本日の献立、三つ」
 私は流れるように並べた。

「“ほろほろ根菜煮”(地球でいう肉じゃがの親戚)。“出汁巻きまがい”。“握り飯・塩のみ”」

「質素だな」
 使いが眉をひそめる。

「はい。質素は手数に置き換えます」

 火を入れる。
 ナミロ玉を透けるまで炒め、モゴイ芋を面取り、スィーレン根を太めに。バグロ獣の薄切りは湯通しして臭みを抜く。ここで“香ばし一滴”。鍋肌だけをすっと撫でる。

「塩は手前、甘みは後ろ」
 砂糖は使わない。ジャメ果のすりおろしを最後に少量。蓋をして、耳を澄ます。湯音が丸くなったら、いったん火を落とす。

「出汁巻き」
 卵は希少だ。だから薄く、薄く。三度巻いては息を置き、香りは立てない。結衣が十拍を刻む切り込み匙で“コツ、コツ”。

「握り飯」
 塩を指先に、湯気の高さにあわせて握る。角はつくらない。丸は安心の形。

 そこへ、腕組みした料理頭らしき魔族が現れた。片角を金具で留め、鼻が利きそうな顔。

「……家庭の味、とな。客に出す顔じゃない」

「家庭の味で、今日はお客を“家族”にします」

「口が達者だ」

「鍋が代弁します」

 蓋を外す。
 湯気は胸の高さ。香りは甘く、刺さらない。耳の鍋を“トン”。十拍の沈黙——小鍋場にいる全員が、自然と呼吸をそろえる。

「まず、汁気を少なめに」
 私が小椀をふたつ差し出すと、使いと料理頭が同時に受け取った。ひと口、ふた口。視線が落ち着き、肩の力が抜ける。

「……塩が先に来て、甘みが後から追う。喧嘩にならん」
 料理頭がぼそり。

「“家庭”は喧嘩をしない配合です」

「卵は?」
 使いが出汁巻きに目を落とす。

「端を味見してください。芯を残すと喧嘩の種になるので」

 かぷ、とひと口。
 使いの目の色が、わずかに柔らかくなる。

「——次、誰に出す?」

「“御前”の前に、城の台所の皆さんへ。家族の順番です」

 料理頭が口の端を上げた。

「言うじゃないか。……よし。お前の鍋、今日だけ貸す」

「貸し借り成立。焦がしは返しません」

 小鍋場の空気がかすかに笑った。

 鍋を温め直し、私は小さな“家庭の配り椀”を十、二十と重ねていく。塩のみの握り飯も二口サイズ。結衣が路地側へ“沈黙のぷりん”の案内札を伏せて運び、午後の一拍に備える。

 その時——

「遅れてすまない」

 低い声。
 扉口に、質素な旅装の男が立っていた。灰の外套、フードの影。顔は見えない。だが、匂いでわかった。昨日、幕の向こうにいた“呼気”だ。

 使いが一歩さがる。

「御前」

 私と結衣は同時に会釈し、耳の鍋を“トン”。

「本日は“家庭の日”。——歓迎します」

 男は外套を脱がないまま、椀を手に取る。
 ひと口。ふた口。十拍の静寂。
 そして、短く言った。

「懐かしい。だが知らぬ味だ」

「それが、私の“家庭”です」

「なるほど。——もう一つ、見せよ。“帰りを急ぐ者の飯”」

 帰りを急ぐ者。
 私は結衣を見た。結衣が小さく頷く。
 火床を替え、浅鍋を出す。残り汁に粉をひとつまみ、湯を足し、握り飯を落としてさっと崩す。刻んだ香葉を散らし、仕上げに“香ばし一滴”。

「“おに茶”の親戚、“帰り道飯”。噛まなくても力になるやつです」

 男は器を両手で持ち、ふうと一息。
 ひと口で、目を閉じた。

「——これだ。軍で、長く求め続けてきた“帰る理由”の一杯」

 料理頭が目を丸くする。使いの喉仏が上下した。

「よい。午後の大市は、この“帰り道飯”を合図にしろ。鐘の前、十拍の沈黙の後に配れ。……わしが合図を出す」

「承知しました」

 男は外套の袖から、小さな角印の封を取り出し、卓に置く。

「“家庭の味”の常設、魔都でも許す。条件は三つ。——焦がすな。旗を低く。湯気は胸の高さ」

「約束します」

「それともう一つ」

 男はわずかに口角を上げた。

「明後日、内庭で“家族の鍋”をしろ。家族を連れて来る。……わしも、だ」

 その言葉だけを残し、男は踵を返して去った。
 扉が閉まる。小鍋場に、驚きと笑いが同時に弾けた。

「御前が“家族の鍋”……!」
 使いが額を押さえる。

「鍋、増やす?」
 結衣が囁く。

「増やす。——でも、焦がさない数で」

 私は木杓子を胸に当て、耳の鍋を“トン”。

「午後の合図までに、帰り道飯の段取り、全部組み替えます。旗は低く、湯気は胸の高さ。十拍は世界共通」

 料理頭が大きく息を吐いた。

「……認める。家庭の味、城の味に入れてやる」

「ありがとうございます。家族が増えました」

 笑いながら、私は火を整えた。
 外では大市の鼓が鳴り始める。
 午後の十拍が来る前に、鍋はもう——帰り道の香りを覚え始めていた。

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