『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第5章地球と異世界、二つの台所と再会の味

第33話 街道の香り関所、十拍で通す

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 王都を出て半日、街道は麦色の風で満ちていた。
 荷車のきしむ音と、ルークの鼻歌が、ちょうど十拍で合う。

「カスミ、喉かわいた」

「十拍だけ我慢。——はい、一口ずつね」

 水袋を回し、私は女神の匙で風向きを確かめる。南南西。
 魔都の香りが、ほんの少し混じってきた。

 

「前方、関所です」
 カーディンが顎で示す。石積みの小さな門、旗は低い。
 掲げ札には『香り検め』とある。

「噂どおりだ。魔都は“匂いの偽装”を嫌う」
 麺屋が包丁柄を握り直した。

「大丈夫。——焦がさず、熱だけ見せよう」

 

 門前。角つきの衛士が鼻翼を動かし、短く告げる。

「香り袋を開け、十拍。並び順は『甘→塩→出汁』」

「はい。旗は低く、湯気は胸の高さで行きます」

 私は香袋を三つ置き、耳の鍋を小さく一打。
 衛士の肩が、ほんの指幅、下がった。

 

「一つ目、『甘』——“沈黙の間”のぷりん、香りだけ」

 袋の口を指先で開き、二口ぶんの香気を風に乗せる。
 衛士の目尻がほどける。

「……静かだ。次」

 

「二つ目、『塩』——角塩は蓋つき」

 私は蓋を半分だけずらし、十拍で戻す。
 衛士が頷く。

「湯気が跳ねない。良い塩だ。次」

 

「三つ目、『出汁』——“帰り道”一滴」

 香滴を匙で弾く。麦風に混じった瞬間、行列の足音が同じ歩幅になる。
 衛士が口角を上げた。

「通行可。——が、ひとつ問う」

「どうぞ」

「お前たち、焦げた噂にどう対処する?」

「耳の鍋で蓋をずらす。十拍、近づかない。
 それでも燃えるなら、甘味二口で沈める。
 焦げの元は後で洗う。順番は鍋が知ってる」

 衛士はしばらく黙り、やがて槍を地についた。

「——魔都式だ。通れ」

 

 門を抜けると、ルークが肩の力を抜いた。

「ぼく、緊張して息するの忘れてた」

「じゃあ今、十拍」

「いち、に、さん……ふーっ。生き返った」

 笑いが弾け、荷車も軽くなる。

 

 午後、街道脇の集落で小休止。
 広場の片隅に、旅人用の共用竈があった。貼り紙には『焚べる者は灰を寄せよ』。

「いい約束だね」

「王都にも貼ろう」
 私は《香り文作成》で簡単な案内札を書き、竈の脇に目盛り線をひいた。
 胸の高さに丸、腰の高さに点。

「ここで一杯だけ、十拍スープ」

「やった!」

 乾いた根菜と干し肉を刻み、湯を呼吸で温める。
 耳の鍋を一打、湯気が丸くなる。

「いただきます!」

 四人で同時に啜る。塩は軽く、出汁は長い。
 旅の体が、音を立てずに戻ってくる。

 

「——すみません、その、少しだけ分けてもらえますか」
 影になった柱の陰から、布で口元を覆った少女が顔を出した。
 瞳は紫。魔都の色だ。

「もちろん。一椀、十拍で冷ますから待ってね」

 私は小椀に盛り、膝を折って差し出す。

「ありがとう。……帰り道の匂いがする」

「知ってるの?」

「うん。魔都の市でも、時々漂う。喧嘩の前と後で、匂いが違うの」
 少女は小さく笑い、続けた。
「——明後日、大市の外れで“鍋比べ”があるよ。魔王さまが来る前の、舌慣らし」

 私たちは顔を見合わせる。

「出よう」
 カーディンが即答した。「数はそこで集められる」

「職も見せられるっす」
 麺屋が柄を叩く。

「ぼく、数える!」
 ルークはもう指を動かしている。

「決まり。焦がさず、熱だけ持っていこう」

 少女は椀を返し、布を上げる前に小さく囁いた。

「角の屋台に“黒印”が出たら、近づかないで。——焦げの噂が早いから」

「教えてくれてありがとう。十拍、覚えてね」

「覚える」

 

 日が傾く。
 私は《段取り最適化》を開き、明日の流れを並べる。

 ——午前:街道小鍋で舌合わせ。
 ——午後:大市下見、目盛り線の位置確認。
 ——夕方:鍋比べ準備、甘味二口は最後に。

 頭の中に二本の湯気が立ち、一本に絡む。

「ステータス確認」
 自分に小声で言う。

《旅鍋運用 7→8(関所通過)/交渉 9(維持)/補助:関所対応(甘→塩→出汁)》
《称号:街道の案内匙》

 悪くない。十拍あれば、足りる。

 

 焚き火の横、ルークが欠伸をした。

「ねむ……」

「ぷりんは?」

「明日の“沈黙の間”まで、おあずけ」

「えー……でも待つ。十拍の練習だもん」

 私は毛布を肩にかけ、空を仰ぐ。
 遠く、街の方角に複雑な香りの層が立ち上がっていた。
 塩と花と鉄と、ほんの少しの焦げ。

「行こう、魔都へ。
 鍋は約束、旗は低く、湯気は胸。
 ——焦がさず、熱だけ」

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