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58話『カフェと、色のない気配』
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月曜の朝。麻衣はいつものようにカフェの制服に着替え、ひなのを保育園に送り出してから、お店へと向かった。
カフェ「ひより」は、小さな駅前にある居心地の良い店。常連さんも多く、朝は新聞を読むおじいさん、昼は近くの会社員、午後はママたちの憩いの場になる。
「おはようございます~」
いつものように扉を開けると、店主の稲垣さんが笑顔で出迎えてくれる。
「おう、田仲さん。今日もよろしくね」
出勤してすぐは、テーブルの拭き掃除と、カウンターの準備。コーヒー豆の香りが漂い、麻衣は自然と深呼吸してしまう。
(やっぱり、ここ落ち着くなぁ)
その日、カフェはお昼すぎまでゆったりとした空気に包まれていた。麻衣も店内を見回しながら、注文をとったり、笑顔で水を出したりしていた。
けれど――ふとした瞬間。
(あれ……?)
店の奥のカウンター席。そこに座っていた一人の男性客に目を留めたとき、麻衣は小さく眉をひそめた。
(“色”が、ない……?)
通常、人の周囲には淡い色が見える。最近ではそれを「ちょっとした気持ちの気配」として、麻衣は無意識に受け取るようになっていた。
けれど、その男性――黒縁メガネにスーツ姿、40代くらい――の周囲には、まるで“空白”のような、色のない気配があった。
(……何か、悩んでる?)
声をかけるべきか、少し迷ったが、とりあえずメニューを持って近づく。
「こんにちは。お決まりですか?」
「……あ、まだ少しだけ」
男性の声は低く、どこか疲れていた。
「ゆっくりで大丈夫ですよ。おすすめは今日のブレンドです。少し甘い香りで、気分がほっとしますよ」
そう言うと、彼はかすかに笑って、「じゃあ、それを」と注文してくれた。
コーヒーを出して席に戻ると、稲垣さんがぽつりとつぶやいた。
「……あのお客さん、前にも来たことがあるんだ。けっこう前だけどね」
「そうなんですね」
「うん。前は、奥さんと一緒だったよ。あのときは、すごく楽しそうだった」
麻衣はハッとした。
(もしかして、なにか大きなことがあったのかも……)
でも、踏み込みすぎるのも違う。麻衣は、そっとテーブルに小さなカードを添えた。店の片隅で販売している、手描きの「ことばカード」。ちょっとした応援メッセージが書かれていて、常連客に密かな人気だ。
今日のカードには、こう書かれていた。
「“がんばらなくても、休んでもいい”――あなたのペースで。」
男性は会計のとき、それをそっと財布に入れた。
「ありがとうございました」
とだけ言って、足早にカフェを後にした。
その日の閉店後。
「田仲さん、あのカード、いい選び方したね」
稲垣さんが笑いながら声をかけてくれた。
「いえ、なんとなく……あの人、なんだか“疲れてる色”っていうか、“無”みたいな感じだったから」
「へぇ、無って……不思議な表現だね」
麻衣は、にこっと笑って誤魔化した。
(でも、“無”っていうのは、きっと“何も感じられない”くらい、しんどいってことなのかも)
麻衣には、人の悩みを解決する力はない。けれど、ほんの少しだけ「気づく」ことができる。
それだけでも、誰かの足元を照らす小さな灯りになれるなら。
その夜、麻衣は日記アプリにこう記した。
「スキルって、便利じゃなくていい。ただ、誰かの一日が、ちょっとやわらかくなったらそれでいい」
小さな気づきが、またひとつ麻衣をあたたかくしていた。
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カフェ「ひより」は、小さな駅前にある居心地の良い店。常連さんも多く、朝は新聞を読むおじいさん、昼は近くの会社員、午後はママたちの憩いの場になる。
「おはようございます~」
いつものように扉を開けると、店主の稲垣さんが笑顔で出迎えてくれる。
「おう、田仲さん。今日もよろしくね」
出勤してすぐは、テーブルの拭き掃除と、カウンターの準備。コーヒー豆の香りが漂い、麻衣は自然と深呼吸してしまう。
(やっぱり、ここ落ち着くなぁ)
その日、カフェはお昼すぎまでゆったりとした空気に包まれていた。麻衣も店内を見回しながら、注文をとったり、笑顔で水を出したりしていた。
けれど――ふとした瞬間。
(あれ……?)
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(“色”が、ない……?)
通常、人の周囲には淡い色が見える。最近ではそれを「ちょっとした気持ちの気配」として、麻衣は無意識に受け取るようになっていた。
けれど、その男性――黒縁メガネにスーツ姿、40代くらい――の周囲には、まるで“空白”のような、色のない気配があった。
(……何か、悩んでる?)
声をかけるべきか、少し迷ったが、とりあえずメニューを持って近づく。
「こんにちは。お決まりですか?」
「……あ、まだ少しだけ」
男性の声は低く、どこか疲れていた。
「ゆっくりで大丈夫ですよ。おすすめは今日のブレンドです。少し甘い香りで、気分がほっとしますよ」
そう言うと、彼はかすかに笑って、「じゃあ、それを」と注文してくれた。
コーヒーを出して席に戻ると、稲垣さんがぽつりとつぶやいた。
「……あのお客さん、前にも来たことがあるんだ。けっこう前だけどね」
「そうなんですね」
「うん。前は、奥さんと一緒だったよ。あのときは、すごく楽しそうだった」
麻衣はハッとした。
(もしかして、なにか大きなことがあったのかも……)
でも、踏み込みすぎるのも違う。麻衣は、そっとテーブルに小さなカードを添えた。店の片隅で販売している、手描きの「ことばカード」。ちょっとした応援メッセージが書かれていて、常連客に密かな人気だ。
今日のカードには、こう書かれていた。
「“がんばらなくても、休んでもいい”――あなたのペースで。」
男性は会計のとき、それをそっと財布に入れた。
「ありがとうございました」
とだけ言って、足早にカフェを後にした。
その日の閉店後。
「田仲さん、あのカード、いい選び方したね」
稲垣さんが笑いながら声をかけてくれた。
「いえ、なんとなく……あの人、なんだか“疲れてる色”っていうか、“無”みたいな感じだったから」
「へぇ、無って……不思議な表現だね」
麻衣は、にこっと笑って誤魔化した。
(でも、“無”っていうのは、きっと“何も感じられない”くらい、しんどいってことなのかも)
麻衣には、人の悩みを解決する力はない。けれど、ほんの少しだけ「気づく」ことができる。
それだけでも、誰かの足元を照らす小さな灯りになれるなら。
その夜、麻衣は日記アプリにこう記した。
「スキルって、便利じゃなくていい。ただ、誰かの一日が、ちょっとやわらかくなったらそれでいい」
小さな気づきが、またひとつ麻衣をあたたかくしていた。
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