25 / 50
Main story ¦ リシェル
25
しおりを挟む
「ありがとう」
純然たる喜びをそのままに紡いだ声は、しかし涙でぐっしょりと濡れ、嬉しがっているふうにはちっとも聞こえない。けれど、それでもルシウスにはちゃんと通じたようで、彼はそっと口元を綻ばせてゆっくりとひとつ瞬いた。
アルベルトも、両親も、そして私自身ですら祝うことはなかったというのに。悠然とした足取りで歩み寄ってくるルシウスの、微かに揺れる紫色のピアスを見つめながら、私は静かに微笑む。ちゃんと笑えている自信はなかったけれど。でも、彼にならしっかりと伝わってくれるような気がして。
「……貴方だけよ。“リシェル”の誕生日を祝ってくれたのは」
自嘲を含ませながらぽつりと呟き、すぐ傍で足をとめたルシウスの双眸を見上げる。私を見ていながら、その実、“私”を見ていない瞳。それにばかり慣れてしまったせいか、彼のアイスブルーに“リシェル”としての私がそのまま映り込んでいるのを見ると、どうしてもむず痒い気持ちになってしまう。
“リシェル”を今もなおこの世に繋ぎ止めていてくれるのは、アルベルトでも両親でも姉でも、そして私自身でもなく、いつだってルシウスだ。名前を呼び、記念日を祝い、“リシェル”そのものを見つめてくれる。純粋なほど、真っ直ぐに。
もしルシウスに出会っていなかったら。あの日、何気なく教会の裏手に回って、彼と出くわしていなかったら――。今の私は、いったいどうなっていたことだろう。
「ねえ、ルシウス」
穏やかな夜風が私たちの間をゆるやかなに吹き抜け、白いチューリップがさわさわとした小さな音を奏でながら気持ちよさそうにそよぐ。小さく揺れる白銀の髪の毛、月明かりを浴びてきらりと輝く細長いピアス。綿毛のような、或いは小さな光の粒のような何かが、風の通り道に小川を作りながら揺蕩っている。まるで天国へ続く道のように。儚くも、煌々と麗しく。
「どうして貴方は、私を“リシェル”でいさせようとするの?」
驚いたように、ルシウスの柳眉がひょいとあがる。それから彼は、ふいに足元のチューリップへ視線を落とし、言葉を探すように僅かな沈黙を置いた。伏せられた白い目元に、長く濃い睫毛の影が淡く滲んでいる。
「俺は」
ゆっくりと開かれた瞼の奥から、宝石のような瞳が姿を現す。その瞳をじっと見つめていると、吸い込まれてしまいそうだ、と思った。奥深いところまで。すうっと溶けて、全てを抱き締められるように、丸ごと呑み込まれてしまいそうだ、と。でも、それを怖いとは、少しも思わなかった。寧ろ心地よいと感じられることに、私は胸の内でひっそりと笑う。とても強い光を宿した瞳だ。どこまでも真っ直ぐで、清朗としていて。迷いというものを知らないような、力強い瞳。
「――“リシェル”のことを、諦める気なんてないから」
純然たる喜びをそのままに紡いだ声は、しかし涙でぐっしょりと濡れ、嬉しがっているふうにはちっとも聞こえない。けれど、それでもルシウスにはちゃんと通じたようで、彼はそっと口元を綻ばせてゆっくりとひとつ瞬いた。
アルベルトも、両親も、そして私自身ですら祝うことはなかったというのに。悠然とした足取りで歩み寄ってくるルシウスの、微かに揺れる紫色のピアスを見つめながら、私は静かに微笑む。ちゃんと笑えている自信はなかったけれど。でも、彼にならしっかりと伝わってくれるような気がして。
「……貴方だけよ。“リシェル”の誕生日を祝ってくれたのは」
自嘲を含ませながらぽつりと呟き、すぐ傍で足をとめたルシウスの双眸を見上げる。私を見ていながら、その実、“私”を見ていない瞳。それにばかり慣れてしまったせいか、彼のアイスブルーに“リシェル”としての私がそのまま映り込んでいるのを見ると、どうしてもむず痒い気持ちになってしまう。
“リシェル”を今もなおこの世に繋ぎ止めていてくれるのは、アルベルトでも両親でも姉でも、そして私自身でもなく、いつだってルシウスだ。名前を呼び、記念日を祝い、“リシェル”そのものを見つめてくれる。純粋なほど、真っ直ぐに。
もしルシウスに出会っていなかったら。あの日、何気なく教会の裏手に回って、彼と出くわしていなかったら――。今の私は、いったいどうなっていたことだろう。
「ねえ、ルシウス」
穏やかな夜風が私たちの間をゆるやかなに吹き抜け、白いチューリップがさわさわとした小さな音を奏でながら気持ちよさそうにそよぐ。小さく揺れる白銀の髪の毛、月明かりを浴びてきらりと輝く細長いピアス。綿毛のような、或いは小さな光の粒のような何かが、風の通り道に小川を作りながら揺蕩っている。まるで天国へ続く道のように。儚くも、煌々と麗しく。
「どうして貴方は、私を“リシェル”でいさせようとするの?」
驚いたように、ルシウスの柳眉がひょいとあがる。それから彼は、ふいに足元のチューリップへ視線を落とし、言葉を探すように僅かな沈黙を置いた。伏せられた白い目元に、長く濃い睫毛の影が淡く滲んでいる。
「俺は」
ゆっくりと開かれた瞼の奥から、宝石のような瞳が姿を現す。その瞳をじっと見つめていると、吸い込まれてしまいそうだ、と思った。奥深いところまで。すうっと溶けて、全てを抱き締められるように、丸ごと呑み込まれてしまいそうだ、と。でも、それを怖いとは、少しも思わなかった。寧ろ心地よいと感じられることに、私は胸の内でひっそりと笑う。とても強い光を宿した瞳だ。どこまでも真っ直ぐで、清朗としていて。迷いというものを知らないような、力強い瞳。
「――“リシェル”のことを、諦める気なんてないから」
178
あなたにおすすめの小説
氷の貴婦人
羊
恋愛
ソフィは幸せな結婚を目の前に控えていた。弾んでいた心を打ち砕かれたのは、結婚相手のアトレーと姉がベッドに居る姿を見た時だった。
呆然としたまま結婚式の日を迎え、その日から彼女の心は壊れていく。
感情が麻痺してしまい、すべてがかすみ越しの出来事に思える。そして、あんなに好きだったアトレーを見ると吐き気をもよおすようになった。
毒の強めなお話で、大人向けテイストです。
貴方が選んだのは全てを捧げて貴方を愛した私ではありませんでした
ましゅぺちーの
恋愛
王国の名門公爵家の出身であるエレンは幼い頃から婚約者候補である第一王子殿下に全てを捧げて生きてきた。
彼を数々の悪意から守り、彼の敵を排除した。それも全ては愛する彼のため。
しかし、王太子となった彼が最終的には選んだのはエレンではない平民の女だった。
悲しみに暮れたエレンだったが、家族や幼馴染の公爵令息に支えられて元気を取り戻していく。
その一方エレンを捨てた王太子は着々と破滅への道を進んでいた・・・
結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました
ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。
ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。
王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。
そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。
「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。
家出を決行した結果
棗
恋愛
フィービーの婚約者ミゲルには大切な幼馴染がいる。病弱な幼馴染をいつも優先するミゲルや母が亡くなって以降溝が出来てしまった父と兄との関係にフィービーは疲れていた。
デートの約束をしてもいつも直前になって幼馴染を理由にキャンセルされ、幼馴染にしか感情を見せないミゲルを、フィービーを見ようとしない父や兄を捨てる決心をしたフィービーは侍女や執事の手を借りて家出を決行した。
自分を誰も知らない遠い場所へ行ったフィービーは、新しい人生の幕開けに期待に胸を躍らせた。
※なろうさんにも公開しています。
私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません
藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は
愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。
夫が愛人を持つことも、
その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。
けれど――
跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。
その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。
私は悟ったのだ。
この家では、息子を守れないと。
元々、実家との間には
「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。
ならば話は簡単だ。
役目を終えた私は、離縁を選ぶ。
息子と共に、この家を去るだけ。
後悔しているようですが――
もう、私の知るところではありません。
平民の方が好きと言われた私は、あなたを愛することをやめました
天宮有
恋愛
公爵令嬢の私ルーナは、婚約者ラドン王子に「お前より平民の方が好きだ」と言われてしまう。
平民を新しい婚約者にするため、ラドン王子は私から婚約破棄を言い渡して欲しいようだ。
家族もラドン王子の酷さから納得して、言うとおり私の方から婚約を破棄した。
愛することをやめた結果、ラドン王子は後悔することとなる。
幼馴染に夢中の夫を捨てた貴婦人は、王太子に熱愛される
Narian
恋愛
アイリスの夫ロイは、新婚の頃から金髪の愛らしい幼馴染・フローラに夢中で、妻には見向きもしなかった。
夫からは蔑ろにされ、夫の両親からは罵られ、フローラからは見下される日々。そしてアイリスは、ついに決意する。
「それほど幼馴染が大切なら、どうぞご自由に。私は出て行って差し上げます」
これは、虐げられた主人公が、過去を断ち切り幸せを掴む物語。
※19話完結。
毎日夜9時ごろに投稿予定です。朝に投稿することも。お気に入り登録していただけたら嬉しいです♪
働きませんわ。それでも王妃になります
鷹 綾
恋愛
「私は働きませんわ」
そう宣言して、王太子から婚約破棄された公爵令嬢エルフィーナ。
社交もしない。慈善もしない。政務にも口を出さない。
“怠け者令嬢”と陰で囁かれる彼女を、王太子アレクシスは「王妃に相応しくない」と切り捨てた。
――だが彼は知らなかった。
彼女が動かないからこそ、王家は自力で立つことを覚えたのだということを。
エルフィーナは何もしない。
ただ保証を更新せず、支援を継続せず、静かに席を外すだけ。
その結果――
王家は自らの足で立つことを強いられ、王太子は“誰の力にも頼らない王”へと変わっていく。
やがて外圧が王国を揺らしたとき、彼は気づく。
支配でも依存でもなく、並んで立てる存在が誰だったのかを。
「君と並びたい」
差し出されたのは、甘い救済ではない。
対等という選択。
それでも彼女の答えは変わらない。
「私は働きませんわ」
働かない。
支配しない。
けれど、逃げもしない。
これは――
働かないまま王妃になる、公爵令嬢の静かなざまあ恋愛譚。
優雅で、合理的で、そしてどこまでも強い。
“何もしない”という最強の選択が、王国を変えていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる