亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃

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Main story ¦ リシェル

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 もう一度、名前を呼んでほしい――。思わず口にしかけた言葉を慌てて呑み込み、右手をきつく握り締めて、縋り付きたくなる欲求を無理矢理抑え込む。そんな私の心情など、彼は分かるはずもないのに。ルシウスは、全てを見透かしているみたいに微笑んで、形の良い唇をゆっくりと開いた。

「どんなに望んでも、過去へは戻れない。変えることも出来ない。俺たち魔法師でさえ、それは叶えられないんだ」

 どれほど偉大な魔法師であっても、出来ることと出来ないこと、そして“してはならないこと”があるのは、知っている。魔法師になってまだ間もない頃にも、大魔法師に任ぜられた時にも、そして、オリヴィアの病を治してほしいとアルベルトが必死に懇願していた時にも、ルシウスは一貫してそう口にしていたから。魔法はあくまで魔法であって、神の御業ではないのだ。それが現実であり、その現実を一番歯噛みしているのは、きっとルシウスだったのだろうと思う。縋り付くアルベルトを見下ろす彼のかんばせは、何かを強く堪えるように、苦々しく歪んでいたから。特異な才能を持つが故に、もしかしたら彼は私たち以上に深く胸を抉られていたのかもしれない。現実の前では無力であり、抗うことなど出来ないと、誰より一番分かっていたから。

「だから、前を向くしかない。前を向いて、未来へただ歩いていくしかないんだ。どんなことがあろうとも」

 そんな彼の、厳しくも誠実な、真心そのもののような言葉だからこそ、飾らず差し出されたそれに、心の奥がふるりと揺れた。見つめ合った瞳は、本当に、どこまでもどこまでもやさしくて、まるで抱き締められているような、そんな安らぎが全身を包み込む。
 アルベルトと、私と、両親と、ルシウスと。私たちの歪な関係の中で、最も“今”を生きているのは、きっとルシウスだけだ。そんな彼の告げる“現実”は冷たくもあるけれど、でもそれは、冷酷であると同時に、最上級のやさしさでもある気がした。

「未来へ歩いていく中で、君はまた間違った道を選ぶかもしれない。もちろん俺は止めるさ。そんなのは止めておけ、って。……でも、もしそれでも君が間違った道へゆくと言うのなら、俺はそんな君に、どこまでもついていくつもりだ。誰よりも一番近いところで、君を見守り続ける」

 もうそれ以上は言わないで、と、言いかけた唇の隙間から、濡れた吐息だけがこぼれ落ちる。もう何も言わないで。それ以上やさしくしないで。そうされてしまったら、彼に縋り付いて、甘えたくなってしまうから。ひとりで立っていられなくなってしまうから。そう伝えたいのに。そう伝えて、耳を塞ぎ、彼の言葉を拒んでしまいたいのに――。言葉も声も、喉の奥で張りついたまま動かず、代わりに漏れたのは、頬を滑り落ちる大粒の涙だった。
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