亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃

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Side story ¦ ルシウス

09

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 亡き妻の身代わりとしてアルベルトのもとに嫁いだ彼女は、そう時間を要することもなく、食事の仕方や、お茶の飲み方や、微笑み方、首の傾げ方といった細かな仕草のひとつひとつに至るまで、完璧に“オリヴィア”を演じきるようになった。同化していた、とも言うのかもしれない。「オリヴィア」と呼ばれることに慣れてしまったせいか、「リシェル」と呼んでも気付かない時さえあるほど。身につけているもの――嘗てオリヴィアが着ていたドレス――のせいで、俺ですら思わずぞくりとしてしまうほど、彼女は完璧なまでに“オリヴィア”そのものとなっていた。瞳の色と泣きぼくろの違いをそのままにしていなければ、俺の目からも“リシェル”はいなくなっていたかもしれない。

 それでも、そんな彼女であろうとも、俺は絶対に護り抜こうと思っていた――はず、だった。どんな手を使ってでも。周りにどう思われようとも。
 けれど俺は結局、彼女を救うことが出来なかった。護ることは出来なかった。“オリヴィア”として生活してゆく中で、彼女は日に日に生気を失ってゆくばかりで、心はすっかり傷だらけになってしまっていたのだから。取り返しのつかないところまで。壊れていった、と言った方が正しいのかもしれない。狂うというよりも、壊れた。正常な精神も、やさしく純粋だった心も、何もかもが粉々に。

 ひどくやつれ、痛ましいほど壊れてしまった彼女を前に、俺は自分の過ちを認めざるを得なかった。リシェルが大事なら。彼女を護りたいのなら。たとえ友情に罅が入ろうとも、“オリヴィア”になることをやめさせるべきだったのだ。絶対にそうさせてはいけなかったのだ。そして――あの時に、俺は無理矢理にでも彼女を攫うべきだった。侯爵家から、伯爵家から、アルベルトから、そしてオリヴィアの亡霊から。たとえリシェルが嫌がろうと、泣き叫ぼうと、関係なく。そんなものはまるで無視して。あの時強引に、俺は彼女を攫うべきだったのだ。

 そう、だから――

「……彼女を、連れ出してくれないか」

 アルベルトの発した言葉を呑み込むより先に、俺は激しい衝動に突き動かされるまま、彼の胸倉を掴んで床に押し倒していた。久しぶりに訪れた彼の執務室の、臙脂の絨毯の敷き詰められた床に。理解と感情は後から追いついてきたものの、そうなればそうなるほど、身体中が沸騰しているみたいに熱くなり、胸倉をきつく握り締める手が震えた。歯を立てた唇の合間から、荒々しい吐息がこぼれる。馬乗りになった俺の下で、アルベルトは怯えるでも怒るでもなく、ただ悲しそうに微笑んでいた。

「お前、全部分かってっ……!」

 このままこいつを殴れれば、どんなにいいだろう。殴りたくてたまらなかった。哀れに歪んだ顔を、殴って、殴って――。
 こいつは全部知っていたのだ。恐らくは初めから。戻ってきたオリヴィアが“オリヴィア”ではないことを。その人物が彼女の双子の妹であるリシェルであることを。この男は知っていたのだ。知っていて、それを受け入れていた。“狂った夫”を演じながら。
 そんな男を殴らずにいられるわけがない。殴らずにどうしろというのだろう。けれど、身の内を暴れ回る憤怒を、俺は舌打ちを吐き捨てるだけに留めて、必死に抑え込んだ。拳を振り下ろしたところでどうにもならないと、頭の片隅の、微かに残った冷静な部分では、そう分かっていたから。
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