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Side story ¦ ルシウス
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訊きたいことはたくさんあった。山のように。けれど、口を開けば、それらとはまるで関係のない暴言ばかりが勢いよく飛び出してきそうで、噛み締めた唇をなかなか開けない。こんなにも感情が爆発するのはいったいいつぶりだろう、と思った。他人事のように、ぼんやりと。魔術師、特に魔塔の頂に立つような位の奴らには、自制心の強さが求められるというのに。こんなんでは魔法師失格だ、と、微かに潤んだ琥珀色の瞳を睨み付けたまま、胸の内で自嘲をこぼす。
アルベルトは無抵抗だ。たとえ殴られようが、罵られようが、彼はきっとその全てを静かに受け入れるのだろう。見下ろす瞳には、そうと察せられるような暗い翳りが、深く滲んでいた。赦されようとしているわけでも、救われようとしているわけでもない。色んな感情が擦り切れた後の残穢のような諦念――それが今の彼に、もっともふさわしい表現であるような気がした。
気づけば、ひどく長い沈黙が落ちていた。実際には数秒、或いはせいぜい数分ほどだったのかもしれない。けれどその静けさは、まるで数時間にも及ぶかのように、途方もなく重く、長く感じられた。
「……何故拒まなかった」
それを破る為に漸く絞り出した声は、喉の奥で所々引っかかったせいでひどく掠れ、自分でも驚くほど弱々しかった。アルベルトの諦念が移ったのか、それとも、涙を堪えるような寂しげな微笑みを見つめ続けているせいか。身体を突き破らんばかりの激情は次第に萎んでゆき、代わりに、ひんやりと乾いた何かが背筋を這い上ってくる。開け放たれた窓から流れ込む真昼の風が頬を撫で、アルベルトの乱れた前髪を微かに揺らす。
「拒めなかったんだ」
ひっそりと呟かれたそれは、まるで独り言のようだった。或いは、ここにはいない誰かに向けて囁いてでもいるみたいな。
「頭では違うと分かっていたさ。……けれど、あれほどまでに……オリヴィアそのままの姿を見せられて……拒めるわけないだろう?」
そう言って力なく自嘲するアルベルトに、俺は言葉を失くし、苦々しく眉根を寄せる。言いようのない感情が、胸の内で燻っている。暗くどろりとした、決して快いものではない感情が。
いくら瓜二つの姿形をした双子とはいえ、俺たちにとって、ふたりの見分けなど容易いことだ。瞳の色や、左目下の泣きぼくろを確かめなくとも、雰囲気やちょっとした仕草の違いで、簡単に判別が出来る。それだけ長い時間を共に過ごしてきたのだ。幼いころから、ずっと。
そしてその歳月の中で、俺もアルベルトも、それぞれの大切な存在を、ひたむきに見つめ続けてきた。真っ直ぐに。一途に。そっくりでありそっくりではない、ただひとりの愛する女を。
もう長くそんなふうだったのだ。どれほど巧妙に偽ろうと、どれほど完璧に演じようと、アルベルトが本当に正気を失ってでもいない限り、“オリヴィア”がオリヴィアでないことに気づけぬはずがない。
何より、彼女はもうこの世にはいないのだ。天に還った者が生き返るなど、そんな奇跡は、決して起こりはしない。ふたりを見分けるなどという、そういう問題ではないのだ。
アルベルトは無抵抗だ。たとえ殴られようが、罵られようが、彼はきっとその全てを静かに受け入れるのだろう。見下ろす瞳には、そうと察せられるような暗い翳りが、深く滲んでいた。赦されようとしているわけでも、救われようとしているわけでもない。色んな感情が擦り切れた後の残穢のような諦念――それが今の彼に、もっともふさわしい表現であるような気がした。
気づけば、ひどく長い沈黙が落ちていた。実際には数秒、或いはせいぜい数分ほどだったのかもしれない。けれどその静けさは、まるで数時間にも及ぶかのように、途方もなく重く、長く感じられた。
「……何故拒まなかった」
それを破る為に漸く絞り出した声は、喉の奥で所々引っかかったせいでひどく掠れ、自分でも驚くほど弱々しかった。アルベルトの諦念が移ったのか、それとも、涙を堪えるような寂しげな微笑みを見つめ続けているせいか。身体を突き破らんばかりの激情は次第に萎んでゆき、代わりに、ひんやりと乾いた何かが背筋を這い上ってくる。開け放たれた窓から流れ込む真昼の風が頬を撫で、アルベルトの乱れた前髪を微かに揺らす。
「拒めなかったんだ」
ひっそりと呟かれたそれは、まるで独り言のようだった。或いは、ここにはいない誰かに向けて囁いてでもいるみたいな。
「頭では違うと分かっていたさ。……けれど、あれほどまでに……オリヴィアそのままの姿を見せられて……拒めるわけないだろう?」
そう言って力なく自嘲するアルベルトに、俺は言葉を失くし、苦々しく眉根を寄せる。言いようのない感情が、胸の内で燻っている。暗くどろりとした、決して快いものではない感情が。
いくら瓜二つの姿形をした双子とはいえ、俺たちにとって、ふたりの見分けなど容易いことだ。瞳の色や、左目下の泣きぼくろを確かめなくとも、雰囲気やちょっとした仕草の違いで、簡単に判別が出来る。それだけ長い時間を共に過ごしてきたのだ。幼いころから、ずっと。
そしてその歳月の中で、俺もアルベルトも、それぞれの大切な存在を、ひたむきに見つめ続けてきた。真っ直ぐに。一途に。そっくりでありそっくりではない、ただひとりの愛する女を。
もう長くそんなふうだったのだ。どれほど巧妙に偽ろうと、どれほど完璧に演じようと、アルベルトが本当に正気を失ってでもいない限り、“オリヴィア”がオリヴィアでないことに気づけぬはずがない。
何より、彼女はもうこの世にはいないのだ。天に還った者が生き返るなど、そんな奇跡は、決して起こりはしない。ふたりを見分けるなどという、そういう問題ではないのだ。
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