亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃

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Side story ¦ ルシウス

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「君には、確かに才能があった。しかも今や、王太子殿下のお気に入りでもある。……けれど、才能だけで“大魔法師”に上り詰められるほど、現実は甘くなかったはずだ」

 魔塔には様々な魔術師がいる。老齢の熟練者もいれば、年若い勢いだけの奴もいるし、駆使する魔法の得手不得手も千差万別。故に、“才能がある”からといって、必ずしも階級を飛び越えていけるわけではないのだ。そもそも魔塔に所属するような魔術師には、“才能のある奴”しか殆どなることは出来ない。才能のあるなしという、そんな簡単な括りで分類するのなら、“才能のある奴”なんて魔塔には掃いて捨てるほどいるわけだ。つまり土俵はみな同じであり、才能のあるなしなんて、魔塔に入ってしまえば、お飾りにすらならないほど、全く以て関係がない。

 大魔法師にまで上り詰めるには、だから並々ならぬ努力が不可欠だ。任務をこなしながら勉学に励み、新しい魔法を会得したり編み出したり、時には腹の探り合いをし、好き嫌いを問わず“必要か否か”で人脈を形成する――例えを挙げればきりがない。正直に言えば、何もかもが面倒だった。勉強も魔法陣の解読も、愛想笑いをしながらの人脈作りも、王太子殿下直々にこき使われることも。

 けれど、それらに辟易としながらも前へ突き進めたのは、偏にリシェルの存在があったからだ。彼女への想いがなければ、魔塔も魔法師という立場も、何もかも疾うに投げ捨てていたことだろう。そもそも出世に興味なんて持ちはしなかっただろうし、魔法を極めようだなんて思いもしなかったはずだ。

 どこの馬の骨とも分からない孤児院出身の俺が、伯爵家の娘であるリシェルの傍にいるには、彼女を護る為には、相応かそれ以上の地位が、どうしても必要だった。だから我武者羅になれた。リシェルの傍にいられるなら、彼女を護れるのなら。その為なら何だって出来る、と。どんな時でもそう思えた。愚直なまでに。

 魔塔の頂に立ちさえすれば。伯爵家や侯爵家をも上回る、公爵家と並ぶ地位と権威を手に入れさえすれば――。それだけを目指し、今までずっと突き進んできた。どんなに苦しい時も、前へ前へと、真っ直ぐに。そうする以外に、俺には道がなかった。そもそもリシェルとは、あまりにも身分に違いがありすぎたから。

 ただ彼女の傍にいたかった。傍にいて、彼女を護りたかった。いつでも笑顔でいられるように。ずっとずっと、どこまでも幸せでいられるように。

「彼女を幸せに出来るのは、僕じゃない。……君しかいないんだよ、ルシウス」

 その声音には、後悔も、嫉妬も、未練さえもなかった。真摯で、きっぱりとしていて、心の奥にすうっと届いてくるように純粋で。しかしその中に、償いきれぬ罪を背負った者としての贖いのようなものが、微かに滲んでいるようにも感じられた。
 ひとりの女を心の底から真剣に愛したことがあるからこそ。その人を傷つけたくない、護りたいと思ったことがあるからこそ。深く考え倦ねたその果てに漸く辿り着いた、答え。

「僕がこんなことを言うのはどうかと思うけれど……彼女まで失いたくはないんだ」

 かつてなく近くにある琥珀色の瞳を見据えながら、随分の迷いのない目だ、と思った。まだオリヴィアが生きていた頃の彼を彷彿とさせる、美しい輝きに満ちた瞳。その麗しさを、まるでアンバーのようだとたとえたのは、リシェルだった。とろりと滑らかな甘い蜂蜜のような瞳だ、と。

 ――でも私、貴方のその青い瞳の方が、凄く素敵だと思うの。

 内緒話でもするように耳元へ唇を寄せ、こそこそと――吐息がかかってこそばゆかったが――打ち明けるリシェルの、楽しげに弾んだ声。少し顔を離し、呆気にとられた俺のかんばせを見つめながら、くすくすとはにかんでいた彼女の、やわらかな表情。
 どんなに遠い昔のことでも、リシェルのことであればすぐに思い出せてしまうのだから面白い。どんな小さなことでも。にっこりとした顔も、うきうきとした声も、花を抱き締める細い腕も、野を駆け回るすばしっこい白い足も、何もかも。

 愛している。誰よりも。ずっと昔から。
 そんな彼女を奪い去りたかった。彼女を苦しめる全てのものから。彼女を護りたかった。
 愛しているから。心の底から。自分の命を賭してでも、この人だけは、と思える唯一の人――。

「だから、彼女を……助け出してあげてほしい。君の手で」

 そう言いながら、アルベルトはやさしく微笑み、とん、と俺の胸元を拳で軽く小突いた。縋るようでも、押し付けるようでもなく。ただ静かに、深い願いを託すように。
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