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六月二十一日
37・交替
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里志の風邪は、ようやく治った様子である。鼻水も出なくなり、咳も全く出なくなった。
だが、治ったからといって手放しで喜んでいる訳にはいかない。たびたび里志は風邪を引くので、またすぐ熱を出すのではないかとの懸念が大きいからである。
今朝は、特に早く起床した。妻が昨日電話をかけてきて、「まだ熱が続いて治りそうにないから、家に帰ってゆっくり寝たら治るのではないか」と言い、小夜の付き添いを私に交替してほしいと頼んできたからである。
それだけの理由で早起きすることはないのだが、私の仕事も忙しい最中である。折悪しく今日は土曜日で、学校や幼稚園は午前中で授業を終えてしまう。そうなれば、早起きして午前中に仕事を済ませなければならない。校長や園長が帰宅してから訪問するのでは、かえって困るからだ。
里志は、今日も保育園を休んだ。そういう私の仕事上の都合からである。土曜日は午前中で11時降園なので、とても迎えに行くことが出来ないと思ったからだ。
仕事の都合で、やたらに休ませるのもどうかとは思った。だが、日頃からあまり保育園へ行くことを好んでいない里志なので、その点は今日の場合、都合が良かったと言えるのかもしれない。
そして私は、仕事先へ里志を同行させなければならないことになった。ところが、私の仕事というのは、職員室で校長や教頭と面談しなければならないことがほとんどである。時には校長室や園長室へ招かれて、お茶まで出されて長話ということにもなりかねない。そんな所へ、まさか子連れで堂々と、という訳にもいかず、里志は車の中で一人寂しく待たされることになるのだ。
車の中は熱気が篭りやすいので、窓を全部開け放して停めておくのだが、それでも暑い場合のことを考えて、団扇を一本用意してある。
ラジオを聞いて待つように言ったが、聞きたくないからと、里志は言う。
30分くらい待たされることはしばしばであったが、それでも大人しく車の中で団扇を使い、汗を拭いながら一人で待っていた。
日陰に駐車すれば、日当たりの場所よりは幾分涼しい筈である。しかし残念なことに学校や幼稚園の駐車場や広場は、まずほとんどが日当たりの良い場所に作られてあるので、都合が悪かった。
さぞかし里志は暑い思いをし、そして寂しく退屈だったことだろうと可哀想になる。
ある幼稚園では、私が余りにもせかせかした口調で喋りまくるので、
「あんまり早口で言われると聞きにくいんですが……。それとも、何か急ぎの用でもあるのですか?」
と、園長に言われる始末であった。
「はあ……。土曜日ですからね。午前中に仕事を済ませようと、焦ってるんです……。どうもすみません」
などと謝ったりした。
だがそれは、実際に忙しいから焦るのではなく、暑い所に里志を待たせていることが気がかりだったからである。
普段の私なら、目が回るほど多忙な時でも、慌てて話すことはない。そんなことをしたら、まとまる商談も流れてしまうからだ。
私は、自分でも驚くほど急いで喋りまくっているのに気づいていた。里志がいるから、そうなるに違いなかった。ゆっくり話そうとしても、どういう訳かブレーキが効かない始末であった。
そして、慌ただしく仕事を終え、その足で中央病院へ車を走らせた。
私と里志が病室に入ると、小夜は食事中であった。小夜は、思ったより元気そうだ。それに、暫くぶりに見るせいか、少し太ったようにも見える。
同室の子供たちは、もうすでに食事を終えていた。食器類も片付けられていて、昼食時の雰囲気は欠けらもなく、小夜一人が取り残されたように食事をしていた。
とは言っても、妻が追いかけ回して無理に食べさせているのであって、小夜はすでに「ごちそうさま」と言いたい気分なのだろう。
ひょっとして、パパが食べさせれば食べるかもしれないと妻が言うので、交替して私がスプーンを取って食べさせてみた。しかし、やはり思い通りにはいかず、小夜は寝台の上で右往左往して、逃げ回る始末であった。
「小夜、お兄ちゃんが小夜の好きなワンワンの絵本持って来てあげたから、ちゃんと沢山ご飯食べないと見せてあげないよ」
と、里志がいかにも兄貴ぶって説教している。
久し振りに会えて、里志は本当に嬉しそうであった。
だが、妻が風邪を引いて3日前から熱も下がらないという容態なので、うつるといけないからと、近づけてさせてもらえなかった。少し寂しそうでもあり、不満気でもある。
小夜に食欲が出ないのは、薬のせいかもしれないと妻は言った。現在、小夜に与えられている薬は、手足の麻痺を治療するのに効果があるかもしれない薬らしく、毎食後に服用している。
「今のところ、手足の麻痺などの神経に作用する薬は、これ以外にありません。ですが、この薬も効果があるかないかは判りませんが、とにかく飲ませてみて、良い結果が出れば幸いと考えるより仕方がないでしょう」
と、香西医師が言うほどなので、大した好結果を期待するのは難しそうである。
その薬の作用によって食欲不振になっているものかどうかは、まだ暫く様子を見なければ判断し難いところだった。
妻は時折、「ガホン、ガホン」という、おかしな咳をしている。それを聞いて私は、少し不安を覚えた。もしも過労に過労が重なって、肺炎でも起こしたら大変だからである。
例のごとく、小夜はろくに食事も取らずに、病室の先輩である富子ちゃんと恵美ちゃんに遊んでもらうことになった。
彼女らは上手に遊ばせてくれるので、ありがたいことだと思う。妻も風邪を引いているので、うつすといけないから、出来る限り小夜を自分の傍らから離そうとしているのだろう。
だが、治ったからといって手放しで喜んでいる訳にはいかない。たびたび里志は風邪を引くので、またすぐ熱を出すのではないかとの懸念が大きいからである。
今朝は、特に早く起床した。妻が昨日電話をかけてきて、「まだ熱が続いて治りそうにないから、家に帰ってゆっくり寝たら治るのではないか」と言い、小夜の付き添いを私に交替してほしいと頼んできたからである。
それだけの理由で早起きすることはないのだが、私の仕事も忙しい最中である。折悪しく今日は土曜日で、学校や幼稚園は午前中で授業を終えてしまう。そうなれば、早起きして午前中に仕事を済ませなければならない。校長や園長が帰宅してから訪問するのでは、かえって困るからだ。
里志は、今日も保育園を休んだ。そういう私の仕事上の都合からである。土曜日は午前中で11時降園なので、とても迎えに行くことが出来ないと思ったからだ。
仕事の都合で、やたらに休ませるのもどうかとは思った。だが、日頃からあまり保育園へ行くことを好んでいない里志なので、その点は今日の場合、都合が良かったと言えるのかもしれない。
そして私は、仕事先へ里志を同行させなければならないことになった。ところが、私の仕事というのは、職員室で校長や教頭と面談しなければならないことがほとんどである。時には校長室や園長室へ招かれて、お茶まで出されて長話ということにもなりかねない。そんな所へ、まさか子連れで堂々と、という訳にもいかず、里志は車の中で一人寂しく待たされることになるのだ。
車の中は熱気が篭りやすいので、窓を全部開け放して停めておくのだが、それでも暑い場合のことを考えて、団扇を一本用意してある。
ラジオを聞いて待つように言ったが、聞きたくないからと、里志は言う。
30分くらい待たされることはしばしばであったが、それでも大人しく車の中で団扇を使い、汗を拭いながら一人で待っていた。
日陰に駐車すれば、日当たりの場所よりは幾分涼しい筈である。しかし残念なことに学校や幼稚園の駐車場や広場は、まずほとんどが日当たりの良い場所に作られてあるので、都合が悪かった。
さぞかし里志は暑い思いをし、そして寂しく退屈だったことだろうと可哀想になる。
ある幼稚園では、私が余りにもせかせかした口調で喋りまくるので、
「あんまり早口で言われると聞きにくいんですが……。それとも、何か急ぎの用でもあるのですか?」
と、園長に言われる始末であった。
「はあ……。土曜日ですからね。午前中に仕事を済ませようと、焦ってるんです……。どうもすみません」
などと謝ったりした。
だがそれは、実際に忙しいから焦るのではなく、暑い所に里志を待たせていることが気がかりだったからである。
普段の私なら、目が回るほど多忙な時でも、慌てて話すことはない。そんなことをしたら、まとまる商談も流れてしまうからだ。
私は、自分でも驚くほど急いで喋りまくっているのに気づいていた。里志がいるから、そうなるに違いなかった。ゆっくり話そうとしても、どういう訳かブレーキが効かない始末であった。
そして、慌ただしく仕事を終え、その足で中央病院へ車を走らせた。
私と里志が病室に入ると、小夜は食事中であった。小夜は、思ったより元気そうだ。それに、暫くぶりに見るせいか、少し太ったようにも見える。
同室の子供たちは、もうすでに食事を終えていた。食器類も片付けられていて、昼食時の雰囲気は欠けらもなく、小夜一人が取り残されたように食事をしていた。
とは言っても、妻が追いかけ回して無理に食べさせているのであって、小夜はすでに「ごちそうさま」と言いたい気分なのだろう。
ひょっとして、パパが食べさせれば食べるかもしれないと妻が言うので、交替して私がスプーンを取って食べさせてみた。しかし、やはり思い通りにはいかず、小夜は寝台の上で右往左往して、逃げ回る始末であった。
「小夜、お兄ちゃんが小夜の好きなワンワンの絵本持って来てあげたから、ちゃんと沢山ご飯食べないと見せてあげないよ」
と、里志がいかにも兄貴ぶって説教している。
久し振りに会えて、里志は本当に嬉しそうであった。
だが、妻が風邪を引いて3日前から熱も下がらないという容態なので、うつるといけないからと、近づけてさせてもらえなかった。少し寂しそうでもあり、不満気でもある。
小夜に食欲が出ないのは、薬のせいかもしれないと妻は言った。現在、小夜に与えられている薬は、手足の麻痺を治療するのに効果があるかもしれない薬らしく、毎食後に服用している。
「今のところ、手足の麻痺などの神経に作用する薬は、これ以外にありません。ですが、この薬も効果があるかないかは判りませんが、とにかく飲ませてみて、良い結果が出れば幸いと考えるより仕方がないでしょう」
と、香西医師が言うほどなので、大した好結果を期待するのは難しそうである。
その薬の作用によって食欲不振になっているものかどうかは、まだ暫く様子を見なければ判断し難いところだった。
妻は時折、「ガホン、ガホン」という、おかしな咳をしている。それを聞いて私は、少し不安を覚えた。もしも過労に過労が重なって、肺炎でも起こしたら大変だからである。
例のごとく、小夜はろくに食事も取らずに、病室の先輩である富子ちゃんと恵美ちゃんに遊んでもらうことになった。
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