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1 異世界召喚と蒼の魔道士
しおりを挟む夜のオフィスにはキーボードを叩く音だけが静かに響く。壁にかけられた時計がカチリと鳴った。時計の針は午前0時を指していた。
蛍光灯の白い光が、誰もいないオフィスに虚しく反射する。私はキーボードを叩く指を止め、深く息を吐いた。
「……これを今日中に仕上げろってさぁ。無理でしょ」
誰にともなく呟いた言葉が、静まり返った空気に吸い込まれていく。このままだと、日の出だって拝めそうな勢いだ。
エナジードリンクの缶が、机の上に三本。目の奥がズキズキする。肩も背中も痛い。
でも、止められない。止めたら、また上司に「責任感が足りない」って言われる。
「……責任感、って何なんだろ」
口の中が乾く。仕事をしても褒められない。遅れたら怒られる。寝る時間も、食べる時間も削って、何をしてるんだろう、私。
──もう、やだな。
心の奥で、ぽつりと呟いたその瞬間だった。視界が、まぶしいほどに白く弾けた。電球が切れたわけでも、モニターが落ちたわけでもない。光は、部屋そのものを飲み込んでいく。
「えっ……ちょ、ま、待って!? なにこれ……!!」
叫ぶ間もなく、身体がふわりと浮いた。
そして──
次の瞬間、私は石造りの床に膝をついていた。
目の前に広がっていたのは荘厳な雰囲気のキラキラとした部屋。
高い天井には金の文様が輝き、壁際には色鮮やかなステンドグラスが光を反射している。空気は澄み、どこか神聖な香りが漂っていた。
「え、えぇ……? ここ、どこ?」
見回すと、周囲には十数人のローブを纏った人々。
え、コスプレイヤー? そう思うくらい、何というか……異質なファッションをしている。髪色も何だかカラフルだし。
いや、この場所の雰囲気からすると、ビジネススーツを着た私の方が合ってないのかもしれないけど。
彼らは私を見るなり、一斉に息を呑んだ。
「成功だ……! 召喚が、成功したぞ!」
一同は、喜びの感情を顕にした。そんな彼らを呆然と見つめていると、低く抑えた声が部屋に響く。
「召喚成功。対象は……人間の女性か」
まるで冬の空気のように冷ややかで凛とした声。その声は落ち着いていているのに、圧倒的な力を帯びていた。反射的にそちらを見る。
そこにいたのは長い蒼髪を後ろで束ね、濃い群青色のローブをまとった男性だった。冷たい青灰色の瞳が、こちらを静かに射抜く。顔は驚くほど整っている。だけど、顔にはほのかな疲労の影。その瞳の奥は鋭く研ぎ澄まされていた。
思わず息を飲む。
(うわぁ、なんかすごいイケメンさん。ていうか、なに、この足元の模様。……魔法陣? 何これ夢?)
「あの、どういうことですか? ここはどこなんですか……?」
「ここはアルヴェリア王国。君は召喚魔法によってこの地へと呼ばれた」
「召喚……魔法? いやいや、そんなゲームみたいな話があるわけ……」
「信じ難いだろうが、事実だ」
彼はゆっくりと近づき、目の前で片膝をついた。距離が近づくと、冷たく見える青灰色の瞳の奥に、微かに星の様な煌きが見える。
「……俺はこの召喚を行った者、カイル・ヴァレンティス。アルヴェリア王国筆頭魔道士だ」
筆頭魔道士かぁ。って何それ。なんか強そうな肩書き。だけど、彼はまるでそんな風には見えない。
その仕草も声も、どこか静かで、冷静。顔立ちが整い過ぎてて何だか現実感がない。
「えっと……私は、黒石ユイっていいまふ」
あ、噛んだ。恥ずかしい。でもなんか皆盛り上がってて誰も気にしてない。誰かツッコんでよ。
「……ん? ちょ、ちょっと待ってください。私って元の世界に帰れます? え、帰れないとかないです……よね?」
私の問いに、彼の眉がぴくりと動いた。
「……すまない。今のところ、元の世界への帰還方法は分かっていない」
「はああぁぁ!?」
まじか。まさかの片道召喚。
私はその場にへたり込んだ。でも、不思議と涙は出なかった。連日の仕事で疲れ果てて、悲しむ余力もない。
「あの、つまり。私は元の世界には帰れないと?」
「今はそうなる」
「なるほど……つまり、私にこの国で働いてくれ、ということですか?」
「そういうことになるな」
「正直、あのブラック企業でこれ以上働いてたら死にそうだったし、まぁ……いっか」
私の言葉を聞いた彼は、少しだけ眉を寄せた。変な事を言ってると思われてるのだろう。けど私は、心の底からそう思っていた。
この世界で、ちょっとくらいのんびりしても、バチは当たらないよね。いや、のんびりできるかはまだ分からないけど。
あ、でも一つだけ聞いておかないと……
「あの、生活費ってちゃんと出ます?」
◇
それから三ヶ月ほどが経った頃。
私──黒石ユイは、王都の比較的治安が良いらしい場所に、小さな家を与えられ生活を始めていた。
この国では、流石に日本と違って上下水道が完備しているわけでもなく、キッチンもガスでポッと火がつくわけじゃなかった。
魔石を使って、水を出したり、火を起こしたり、生活の諸々はお城の人に教えてもらった。
お金の勘定や、買い物できる場所など、ここで生きる為に必要なことは紙に書いてまとめておいた。
近所の人たちは親切で、今では私のことを『ユイちゃん』って親しげに呼んでくれてる。いい年齢の大人なんだけど、なぜか“ちゃん”付けなのは、顔が幼く見られるせいだろうか? 今年で私二十三歳なんですけどね。
そして、魔法の扱い方も少しずつ覚えた。
──そう、なぜか私は「治癒」と「浄化」の力を持っていた。日本にいた時は当然そんな力なんて持ってなかったから、異世界に来た特典みたいなやつなんだろうか。
でも、使う機会はほとんどない。この国、想像以上に平和なのだ。モンスターも滅多に出ないし、争いも怒らない。起こったとしても、この国の騎士団、魔道士団が優秀で、私の出番はほぼ無かった。
医療が充実してるから、治癒が必要な病気も少ない。必要になったとしても、王城には優秀な治癒師が十数人いた。
呼ばれた当初は『世界を脅かす魔王を倒して』とか『封印された魔物が蘇ったので討伐を』とか頼まれるのか?と身構えた。
でも、そんな脅威の影すらこの国には無かった。
The平和。いや、とてもいい事だ。
だけど、じゃあ何で私は呼ばれたの?っていう疑問が残る。
この国では、今までに約二百年周期でこの召喚の儀は行われてきたらしい。国に大きな問題が起こる度に、それを解決する救世主を呼んだという文献があるんだとか。
だけど、何も問題のない現状。召喚の儀を必要があるのか? という議論になったそうだ。
国王陛下は、召喚の儀を行う事に反対したらしい。何も問題が起きてない現状、必要が無いと判断した為だ。でも、保守派の貴族が「問題が起きてから召喚の儀を起こった時、手遅れになったらどうするのか」という意見が多く出たみたい。結果、一応呼んでおくかって事で、私が呼ばれる事になったらしい。呼ばれた理由軽くない?
そして『この国に必要とされる人物を』という名目で、あの冷たそうなイケメン筆頭魔道士カイル・ヴァレンティスの手によって、私はこの地に来たのだ。
召喚されてからしばらくは、王城で色んな授業を受けていた。この国の歴史を教えてもらったり、マナーを学んだり、しばらくすると魔法の使い方も教えてもらえることになった。
魔法ってワクワクするよね。だって、自分が使えるようになるなんて思ったことも無いし。
でもまさかの座学からのスタート。しかも、先生はあのカイル様。どうやら彼は、この国の魔道士団の団長も務めてるらしい。お仕事忙しそうなのにいいのかな? この人も、仕事中毒なのかも。なんて失礼なことを思った。
それにしても彼はものすごく顔が良い。目の保養にはなる。けど、とにかく授業の意味が分からない。
魔法の成り立ち、魔法陣の幾何学構成の理解、魔力構造を理解して体内のうんたらとうんたらをうんたらして……って、わからん! 毎日ひたすら、頭に詰め込めるだけ詰め込んだ。
こんなに勉強するのは大学受験以来だ。いや、あの時よりも頑張った気がする。
流石に息が詰まった私は、実技の授業もしてもらえるようお願いした。
「もちろん知識は大事ですけどね~でも、先に身体に覚えさせるのも有りだと思うんですよね~」って。そんな事を言う私を、彼は不可解なものを見るような目で見ていた。きっと他にそんな事を言い出す人がいないんだろうな。
私の熱意が伝わったのか、魔法授業に関しては早々に実技も始まった。いや、実技もなかなかのスパルタ具合だったけどね。筋トレから始まった時は、何の授業してたんだっけ? なんて記憶が飛んだ事もある。
きっと、魔道士団の中でも厳しい指導をしているんだろうな。『団長って怖くないですか?』って何度も聞かれたし。私の授業風景を見ていた魔道士団の人達からは、いつも哀れんだ目で見られてたもん。
疲れ果てて中庭で寝転んでいたとき、王城の治癒師さんたちから、こっそりお菓子も貰った事もあったな。
でも。おかげさまで今の自分がある。彼に教えてもらった調薬の授業で、薬草と治癒魔法を使ったポーションの作り方を教えてもらった。
どうやら、私の魔法量はかなり多いらしく、通常の薬師さん達が作っている十倍以上の量をさくっと作り上げた時、魔道士団の人達もかなり驚いていた。
王都に住むことになった今は、時折自分で作ったポーションを王都の薬屋に売って生計を立てている。
今では、上級のポーションまで楽々作れるようになった私は、ちょっとしたお金持ちだ。
流石にずっと王城に住まわせてもらうのは気が引けた。だから、有事の時には協力するっていう約束で、王都に小さな家を用意してもらい、ひとり暮らしをする事になった。
こうやって自分の家を持てたことをとても嬉しく思ってる。
こじんまりとした家だけど、魔導式のオーブンなどが備え付けられたカントリー調のキッチンはお気に入り。若草色の壁紙が爽やかな印象のリビング兼ダイニングは居心地がいいし、二階にある寝室にはアイボリーの花柄のベットが置かれていて、サイドテーブル横の窓からは明るい日差しが入ってくる。
日本にいた頃住んでいた、薄暗く狭いワンルームの部屋からしたら、ここは癒やしだ。天国だわ……って思うくらい快適だった。
だから私は、夜空が見える窓でコーヒーを飲み。朝起きたらパンを焼き、庭の花を愛でたりしながらお菓子作りをし、お昼寝をして、そしてまた星を眺める日々を送っている。
日本であんなに削られていた時間が、今はゆっくりと流れていく。
──最高じゃないの。
そう思っていた、ある日の午後。
突然の来客があった。コンコンコンコンと扉が鳴る。
これからブラックベリーのタルトを焼こうとしてたのに、一旦手を止めざる得なくなった。
「団長さん……また、来たんですか?」
玄関を開けると、そこには彼が立っていた。カイル・ヴァレンティス。例の筆頭魔導士団長様だ。
「様子を見に来ただけだ」
「そんな頻繁に見に来られるような状況でもないと思いますけど?」
「……召喚者としての責任だ」
「責任って便利な言葉ですね」
「……その口は生意気な言葉しか出ない仕組みなのか」
淡々とした口調なのに、どこか拗ねたように見える。あのクールな顔でそんな表情されたら、ちょっとずるい。顔が良すぎて目に痛い。
「お茶、淹れましょうか?」
「……もらおう」
リビングに招き入れ、紅茶を淹れて差し出した。角砂糖はいつものように三つ添える。あ、全部入れてる。一見、冷たそうに見える彼はどうやら甘党みたいだ。
出すかどうか悩んだけど、今日のおやつに食べようと残していた手作りのミックスナッツクッキーも小皿に入れて出してみた。
彼は紅茶を一口飲んでから、静かに目を閉じた。
「……悪くない」
「それは、どうも」
表情は何も変わらない。だけどクッキーに手が伸び続けてる。お口に合ったかな?
「ごちそうさま」
そう言うと彼は帰っていった。
知らない土地での一人暮らし。人寂しくなる時だってある。彼が来てくれる時間は、ちょっとだけ嬉しい。そう思うようになっていた。
異世界にきて三ヶ月。
魔王を倒すことも、魔獣の群れを蹴散らすこともなく、今のところスローライフのような穏やかな日々が続いていた。
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