私、魅了魔法なんて使ってません! なのに冷徹魔道士様の視線が熱すぎるんですけど

紗幸

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29 中庭の影

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 イーグス枢機卿は信者たちに静かに近づき、その榛色の瞳で騒いでいる人々の顔を一人ひとり見つめた。

 そして、穏やかな声で、その異常なざわつきの原因を尋ね始めた。人々の話を聞くうちに、枢機卿の表情に微かな緊張が走った。彼の視線が、騒動の原因と目されるカレーの鍋、そして私へと向けられた。

 枢機卿は、信者たちへの聞き取りを終えると、迷いのない足取りでこちらへ向かってきた。

「ユイさん。このスープを食べた人たちが、身体が熱くなったり、胃痛が治まったりと、何らかの生理的な変化が出ていると聞かされたのですが?」
「えっ?」

 思わず息を呑んだ。まさか、自分が作ったカレーが、人の体に影響を及ぼしているとは思いもよらなかった。

「大変興味深い。私にもいただけますか?」
 
 慌てて、カレーを盛り付ける。枢機卿はカレーを一口召し上がった。次の瞬間、彼の顔に深い感銘が浮かんだ。

「素晴らしい。これは、美味ですね。香り高く、体の中から力が湧いてくるようだ」

 彼は、「失礼を承知で」と断り、カレーが入った大釜に手をかざし、静かに魔力を通し始めた。
 静謐な光が枢機卿の手元から放たれ、カレーの表面を覆っていく。隣にいたセレナが、そっとユイの耳元に囁いた。

「ユイ、イーグス枢機卿は鑑定の魔法を持っていらっしゃるのよ」
 セレナの言葉で、カレーが調べられていることがわかった。

 鑑定は数秒間続き、やがて枢機卿は手を離した。彼の榛色の瞳は、驚きと確信の色を混ぜ合わせ、強く輝いていた。

「ほう……」と枢機卿の口から、深い感嘆のため息が漏れる。

「ユイさん。このカレーというスープには、一体何を入れましたか? 何か、隠し味となるような特別な素材を?」

 私は緊張しながら答えた。
「いえ、一般的なクミンなどの複数のスパイスと、野菜や肉。あとは、お子さま用にキアスのスープを準備しただけです」
「他には何も入れていませんか?」

 枢機卿に詰め寄られ、私はハッと思い至った。

「あ、ポーションにも使われている、香草を風味付けに本当に少量だけ入れてあります。それが原因でしょうか?」
 
 枢機卿は、目を見開きながら、深く頷いた。
「なるほど。このカレーと言うスープには、鑑定の結果、抗菌作用や疲労回復などのポーションの様な効能が確認されました。それを体で感じた方々が、ざわついているようですね」

(なるほど。つまり、これは美味しく食べられる漢方薬のようなものになってしまったのか)

 自分の意図しない効能に呆然としてしまう。

「凄いですね、ユイさんは」

 イーグス枢機卿は、微笑みながら私を見つめた。その瞳は深く、静かに探るような光を湛えていた。先日、大聖堂で受けた縫いとめられるような視線が、再び私に向けられた。

 鑑定の結果が公になった瞬間、周囲のざわめきは興奮の渦へと変わった。
「ポーションの効能だって?」「俺にもくれ!」「疲労回復だって! 私にも頂戴」

 効能を聞いた人々が、我先にとカレーの炊き出しの列になだれ込み、一気に長蛇の列を形成し始めた。

 その様子に、ユイは思わず立ち尽くしてしまった。

「あ、あの……」

 慌てているユイに、イーグス枢機卿は静かに声をかけた。

「訪れた人たちのために、素晴らしい食事を用意していただき、改めてありがとうございます。このまま、提供を続けてもらって構いませんが、何かありましたらお手伝いさせてもらいますので、遠慮なく言ってくださいね」

 そう言いながら、彼は私の反応を静かに見つめた後、側近とともに騒動の中心から離れていった。

(ひえぇ……枢機卿様にお礼を言われるなんて、恐縮すぎる!)

 ユイはセレナやリーサ、教会のスタッフと協力し、勢いを増した行列にカレーを提供し続けた。
 その後もカレーは大好評で、行列は途切れることがなかった。かなりの数を準備していたにもかかわらず、まだ夕刻になる前には、大きな釜はすでに空になってしまった。

「ユイさん、またぜひ作ってください!」「本当に体が楽になったよ!」 

 多くの人々から、感謝と再度の要望の声をかけてもらい、心から嬉しく思った。教会の職員さんや修道女さんたちからも、今日の成功について重ねてお礼を言われる。

「カイルさんが来てくれるって言ってたけど、もう無くなっちゃったなぁ」

 ふと、ユイはカイルの約束を思い出し、少し残念に思う。

(また今度、カイルさんの分はゆっくり作ろう。その時に、ポーションのようになってしまったことも話してみよう)

 そう思いながら、ユイはセレナやリーサと共に、後片付けを始めた。陽が傾き、中庭に残っている人もかなり少なくなり、ゆったりとした雰囲気が漂っている。

「片付けは私たちがやりますので、もうお上がりください」と教会の職員に何度も言われたが、ユイは最後まで手伝うことにした。 


 調理器具や皿を洗い終え、片付けるためにキッチンの裏手にある資材置き場へと一人で運んでいった。
 資材置き場は、中庭の賑わいから隔絶され、薄暗い影が濃く落ちている。

 調理器具を棚に置き、中庭へ戻ろうと振り返った、その時。ユイは、ふと誰かに声をかけられたような気がした。


 次の瞬間、目の前が突然暗転した。


──ユイの意識は、音もなく途切れた。







 カイルは、魔道士団の制服を纏ったまま、クロノス大聖堂の巨大な石造りの門をくぐった。

「遅くなったな……」
 
 公務が長引き、ユイに会いに行くと伝えた時間を大幅に過ぎてしまった。

 目の前にそびえる大聖堂の姿は、いつ見ても威厳に満ちている。ユイは、きっとこの雰囲気を気に入っただろう。そう考えると口元が微かに緩みかけたが、すぐに冷静な表情に戻した。

 大聖堂の中庭は、日中に奉仕活動が行われていたとは思えないほど、すでに静まり返っていた。夕刻を過ぎ、来訪者の姿はほとんどなく、数名の教会職員が片付けの作業を行っているのみだ。

 ユイの姿を探そうと視線を巡らせた、その時。カイルは、慌てた様子の女性が走っているのを見つけた。

(あれは、ユイの友人のセレナ嬢だな)

 セレナは何かを探しているように周囲を見回しており、カイルと目が合うと、一目散にこちらへ走ってきた。

「団長様も来られていたんですね! あの、ユイを見ませんでしたか!?」

 セレナは、息を切らせ、不安と焦燥の入り混じった顔でカイルに詰め寄った。低い声で尋ねる。

「何があった?」

 セレナから、ユイがいなくなったのだと聞かされた。思わず眉間に皺が寄る。

「どのくらい前からだ?」
「一時間ほど前です! 私とリーサさんと一緒に、大聖堂内の調理場を行き来しながら片付けをしていたんですが、急に姿が見えなくなってしまって。いま、教会の方と手分けして探しているんですが、どこにもいなくて……」

 セレナは、今にも泣き出しそうな声で訴えた。

「荷物は?」 

 簡潔に問うと、「ここに……」と、セレナは持っていた布製の小さなカバンを見せた。
 それは、以前ユイと穀物ラオスを買いに出かけたときにも彼女が持っていたものだ。

 カイルは、セレナの不安そうな顔をちらりと見た。荷物もここに残っている。それに、ユイが挨拶もなく勝手に先に家に帰っている可能性は無いだろう。

 周囲に悟られないよう静かに魔力を手に流した。そして、ユイのカバンに残る魔力を辿る術式を起動させた。
 この中庭から大聖堂内に向かってユイの魔力の痕跡が、薄い光の軌跡となって見え始めた。

 ユイの魔力の痕跡を辿っていくと、大聖堂内の調理場とその裏手の資材置き場のような場所へと続いている。
 その途中、他にもユイを探す教会の職員や修道女の声が微かに聞こえてきた。

 カイルは、魔力の痕跡を慎重に追いながら、違和感を感じた。ユイの魔力が、特定の場所でプツリと途切れているのだ。資材置き場の奥、薄暗い空間に入る手前のあたりで、魔力が完全に消失していた。

(通常なら、こんな途切れ方はしない)

 まるで、ユイという存在がその地点で空間ごと切り取られたかのような、不自然な消失だった。嫌な予感が胸に広がる。

 これは、魔力で辿れないよう高度な隠蔽魔法が使われている可能性が高い。カイルほどの探知を遮るとなると、相手は相当な魔力保持者である。

 カイルは、表情一つ変えずにセレナへ向き直った。不安そうについてきたセレナに尋ねる。

「今日、ここで何か変わったことはなかったか?些細なことでもいい」
「変わったことですか……」
 セレナは必死に考えようとする。

 その時、従者を連れたイーグス・セイラン枢機卿が、早足で二人の元へやってきた。

「カイル団長も来られていたんですね。ユイさんがいなくなったと聞いたのですが」

 カイルは枢機卿に無言で頷き、セレナの次の言葉を待った。セレナは思考を巡らせるうち、ある出来事を思い出した。

「変わったことといえば……今日、ユイが作ったカレーにポーションのような効能が出たんです。疲労回復などの効果があると。それから、カレーを求める人がすごい勢いで押しかけてきて……」

 セレナは、その日の一部始終を説明した。それを聞いたイーグス枢機卿は焦りの表情を浮かべた。

「私が、人前でユイさんのカレーの鑑定をしたのが原因でしょうか」と不安げな表情を見せた。

 カイルはその話を聞いて、青灰色の瞳を細めた。
(なるほど。ユイの特殊な能力が衆目に晒されたのか)

 魔力が途切れた場所と、この予期せぬ効能の発覚。誰かがユイの能力を目当てに連れ去った可能性があるのか、と思い至る。
 大聖堂の職員たちに指示を出し、捜索範囲を広げさせた。枢機卿も協力する事に同意した。
 カイルは、魔力が途切れた資材置き場の裏手を何度も調べた。壁、床、空気。全てを魔力で探知し、僅かな痕跡を探るが、そこはまるで深い闇で塗りつぶされたかのように、何も残されていなかった。

「団長様……」
 セレナが、震える声でカイルを呼んだ。彼女の瞳は絶望の色を帯びていた。

「大丈夫だ。必ず見つける」

 カイルは、感情を表に出さずにそう答えたが、ユイがいなくなってからすでに一時間以上が経つ。相手が高度な魔力を持つ者であるならば、すでに遠方へ移動している可能性が高い。

 大聖堂の中庭は深い闇に包まれつつある。カイルは魔道士団本部に連絡を入れた。魔道士団が動員され、王都全域、そして街道全てを探させた。
 王都の治安を守る精鋭たちが、夜の闇に散り、一斉にユイの行方を追った。しかし、魔道士団の探知能力と連携をもってしても、高度な隠蔽魔法の前には無力だった。

 大聖堂の荘厳な塔の影が、カイルの制服を深く覆い尽くす。

(ユイはどこへ消えた。彼女を連れ去った者の目的は一体何だ) 

 夜が明けても、ユイの影すら見つけることはできなかった。

 カイルは、冷たい怒りと抑えきれない喪失感に苛まれた。


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