私、魅了魔法なんて使ってません! なのに冷徹魔道士様の視線が熱すぎるんですけど

紗幸

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28 スパイスの香り

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 朝早い時間に、玄関をノックする音が響いた。

 扉を開けると、そこに立っていたのはカイルさんだった。
 朝の陽光を背にするといつもより爽やかに見えた。纏っているのは、魔道士団の制服だ。出勤前に来てくれたことが分かる。

「おはようございます、カイルさん」
「おはよう」

 いつものように体調の確認が行われるが、カイルさんの視線は、部屋の隅に置かれた大きな鍋や、棚の上のスパイスの瓶へちらりと向けられていた。

「カイルさん。ちょうど今、カレーを作っているんです。もしよければ、朝食に食べていきませんか?」

 彼は少し間を置いて「ああ、いただこう」と頷いた。
 部屋に入ってきたカイルさんは、興味深そうにキッチンの棚を見た。

「これは、アシャルへ買いに行った時のスパイスか?」
「はい、そうです! あれを調合して、今、煮込んでいるんです」

 カイルさんは、いつもならリビングで静かに待っているはずなのに、今日は制服姿のままキッチンまで入ってきた。私が煮込んでいる鍋の中や、手元を珍しく覗き込んでくる。
 私は、カレーを小さなお皿に取り分け、一口サイズにして彼に差し出した。

「味見をしていただけませんか?」

 カイルさんは、無言でスプーンを受け取り、口に運んだ。次の瞬間、彼の青灰色の瞳が微かに見開かれた。

「……美味い」
 その一言が、静かに、しかし力強く発せられた。
「野菜がよく煮込まれていて、肉からも濃厚な旨味が出ている。これに、調合したスパイスが合わさると、こんな感じになるんだな」

 彼は、私が見たこともないほど口数が多い。その真剣な表情と、料理に対する素直な称賛に、私は胸が熱くなった。
 思わず、カイルさんの顔をガン見してしまう。

「……なんだ、その顔は?」

 カイルさんが、少し不機嫌そうに問い返した。

「あ、すみません! 嬉しすぎて、見つめてしまいました」

 笑いながら正直に答えると、カイルさんはふんと鼻を鳴らした。キッチンからダイニングへ移動する彼の耳元が、ほんの少しだけ赤い気がした。

「すぐに食べる準備しますね!」
 声をかけると、彼は椅子に座りながら、「ああ」とだけ返した。
 温かいカレーを、米に似た穀物のラオスと共に、カイルさんの前へ出した。彼はそれを一口食べて頷いた。

「ラオスと合わせると、また美味いな」

 今日はどうしたのだろう、と思うくらい褒めてくれるカイルさんに、私はますます気分が良くなる。

「これなら、この国の方たちのお口にも合うでしょうか?」
 私が本題を切り出すと、カイルさんは真顔に戻った。
「俺は美味いと思うが、年配の方や子供には、スパイスが苦手なものもいるかもしれんな」
「そうですよね!」

 私は、用意していた別の小皿を彼に差し出した。そこには、カレーに黄色のスープが混ざったものが少量盛られている。黄色のスープの正体はキアスだ。日本で言う、とうもろこしに似た野菜だった。

「その場合は、キアスのスープを用意しています。キアスは甘くて栄養価の高い実だから、これを三分の一ほど混ぜると、風味が和らぎ、お子さんでも食べられるお味になると思ったんです」

 カイルさんは、それを一口試食した。
「ああ、これなら多くの人の口に合うだろうな。気が利くな」
 カイルさんの太鼓判に、私は心底喜んだ。

「実は、この料理を奉仕活動で出すことになったんです」
 
 私は、クロノス大聖堂に行ったことや、イーグス枢機卿に会い、奉仕活動で炊き出しの手伝いをすることになったことを全て伝えた。
 カイルさんは、私の話を聞きながら、何やら静かに考えている様子だった。

「次の奉仕活動なら、三日後か」
 彼は、独り言のように呟いた。彼の何やら考えている様子を見て首を傾げる。

「その日は仕事で日中は外せない。だが、夕方になるかもしれないが、顔を出す」
「え……来てくれるんですか?」
「ああ、会いに行く」

 彼の真っ直ぐな視線と、その揺るぎない言葉に、私は恥ずかしいやら照れるやら動揺した。でも、それ以上に心が震えるほど嬉しかった。

 カイルさんが来てくれる。その事実だけで、なんだかより一層、頑張ろうと思えた。





 奉仕活動の当日、私は朝早くから大聖堂に設けられた仮設キッチンに入っていた。

「ユイ、今日はよろしくね。私、こんな大きな鍋を見たの初めてだわ」
 セレナが目を丸くして笑う。私も大きく頷いた。
「うん、私も。でも、カレーはたくさん作ったほうが絶対美味しいから頑張ろう!」

 周りには、以前お会いしたリーサさんや、数名の教会の調理スタッフが、既にやる気に満ちた表情で立っている。

 みんな、献身的に野菜の下準備を手伝ってくれた。
 まずは大きな釜に油を引き、刻んだ芋や野菜をたっぷりと投入する。子どもたちにも食べやすいようにミンチ状にしてもらった肉も加え、しっかりと炒めていく。肉と野菜から出る甘い香りが立ち上り、中庭の空気に混ざり始めた。

「この調味料は、何ですか?」と、教会のスタッフが興味深そうに尋ねる。

「これが、カレーの風味の要となるスパイスの調合です」

 私は、セレナに用意してもらった数種類のスパイスを惜しみなく釜の中に投入すると、風景が一変した。
 熱せられたスパイスが、炒めた肉と野菜の旨味を吸い上げ、これまでに嗅いだことのない、深く複雑で食欲をそそる芳醇な香りが広がる。

「わあ……これは、良い香りね」

 セレナが目を輝かせた。リーサさんも驚いたように鼻をクンクンと鳴らしている。
 カレーは、ここからが本番だ。肉や骨からとった出汁を加えて、火力を上げて煮込んでいく。麦粉を入れて、少しだけとろみもつけた。煮詰まるにつれて、スパイスは素材と一体化し、黄金色から深い茶色へと変化していく。

 周囲に広がるスパイスの香りに誘われて、次々と他の修道女やスタッフがキッチンの方へ集まってきた。皆、その豊かな香りに目を奪われ、好奇心と期待の入り混じった表情で見つめている。
 奉仕活動が始まる時間に合わせて、ここからじっくりと煮込んでいく。

「まだ煮込みたいところですが、一度味見をお願いします」

 大きなスプーンで釜からカレーをすくい上げる。まずはセレナ、次にリーサさん、そして調理スタッフの一人が試食した。

「……っ!」
 一口食べた瞬間、皆の顔に驚きの色が広がった。
「これは……! 何という深い味わいでしょう。今まで作っていたスープとは全く違います」

 調理スタッフの一人が感動したように声を上げた。セレナも、「ユイ、本当に美味しいわ!」と興奮気味だ。リーサさんは、ただ無言で何度も頷いている。

 そして、もちろん子供たちやスパイスに慣れていない人たちへの配慮も忘れていない。別の小さな鍋で、キアスのスープを煮込んでいた。

「こちらはキアスのスープです。キアスの濃厚な甘みと、優しいコクが特徴です」 

 これは、そのまま飲んでも美味しい仕上がりになっている。

「これをカレーに混ぜれば、子供さんや辛味や刺激が苦手な方でも、きっと美味しく召し上がっていただけるはずです」

 皆が、その万全な準備と、これから振る舞われる料理への期待に、笑顔を交わした。あとは、じっくりとこのカレーを煮込むだけだ。


 昼前になると中庭が開放された。多くの人が集まり始めた。
 中庭には、温かい食事の炊き出しの列の他にも、衣類の寄付の受付、子供向けの読み聞かせのテント、そして貧しい家庭の医療費を助けるための小さな募金活動など、様々な催しが行われていた。活気にあふれ、人々の熱気が満ちていく。

 カレーの配膳も始まっていた。カレーを受け取った人たちは、その見た目の鮮やかさと香りの良さに声を上げる。

「これは、どこの国の料理だ?」
「こんな味は初めてだ」

 皆、一口食べるたびに満面の笑みを浮かべ、何度も感謝の言葉を伝えてくれた。子どもたちにもキアスを混ぜたカレーが好評で、あっという間に皿を空にしてしまう。

「体が温まる。こんな寒い時期に最高だ」

 多くの人がそう言ってくれた。同時に配られたパンとも相性が良いため、カレーもパンも飛ぶように減っていく。

(多めに作っておいてよかった……)
 ユイは、その光景を見て心から満足した。 

 その時、炊き出しの列のそばで、ざわざわと不穏な声が上がり始めた。

「このスープなんだかおかしくないか?」
「なんだか身体が急に熱くなってきたぞ……」
「このスープが原因じゃないのか?」

 ざわめきは徐々に広がり、人々が不安げにカレーの鍋を見つめ始める。カレーに何かあったのかと、ユイは心配して顔色を青くした。

 その時、騒ぎの中心へと、静寂を纏った存在が現れた。
 イーグス・セイラン枢機卿だった。純白の祭服の裾を揺らしながら、側近を伴って厳かに進んでくる。彼の周囲だけ、空気の密度が変わったように感じられた。

 枢機卿は信者たちに静かに近づき、その榛色の瞳で騒いでいる人々の顔を一人ひとり見つめた。そして、穏やかな声で、その異常なざわつきの原因を尋ね始めた。
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