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27 クロノス大聖堂
しおりを挟む「うわぁ……凄すぎ」
私は、王都の中央に位置するクロノス大聖堂の目の前に立っていた。
遠目に見たことはあったが、目の前にすると、そのスケールに圧倒される。広大な敷地にそびえ立つ建物は、高さ五十メートルはあるだろう。 その威容は、空を突くようだ。
建物の外壁は白く輝く特殊な石材で築かれており、そのディテールは、品格、芸術性など、どれをとっても最高峰だろうと思わせる。
何百年もの歴史と、この国全ての富と信仰が注ぎ込まれた、神の威光そのものが具現化したような建築物だった。
思わず、口があんぐりと開いてしまう。
「ユイ、口が開きっぱなしよ」
一緒に来ていたセレナが、苦笑しながら注意してきた。
「この王都にいるなら、一度は見ておくべきよ」と、セレナは言う。セレナは、幼い頃から何度も礼拝のために来たことがあるらしく、落ち着いた様子だ。
私がセレナに大聖堂に行ってみたいと伝え、今日は付き添ってくれることになったのだ。
正面の巨大な大階段を登り、建物内へ。礼拝堂へ続く中央通路もまた、圧巻だった。
壁や柱は金の輝きを放つ装飾で覆われ、両脇にはこの世界の神話に登場する女神や、精霊を思わせる精巧な彫刻像が並ぶ。目を上げれば、天井には鮮やかなフレスコ画が描かれ、その色彩と躍動感は、まるで天界の光景を切り取ってきたようだ。
「礼拝堂はもっと美しいわよ」
セレナに言われ、私たちはさらに奥へと進んだ。
「私が行ってもいいのかなって思うわ」
私が躊躇すると、セレナは笑った。
「礼拝は、いつでも誰でも参加できるのよ。さあ」
セレナに促され、私たちは大礼拝堂へと足を踏み入れた。
それは、通路とは比べ物にならない、ひときわ荘厳な世界だった。ステンドグラスから差し込む虹色の光が、広大な空間を満たしている。
多くの人々が、静かに祈りを捧げている。そこにいるだけで、自分まで心が洗われていくような、清浄な空気に満ちていた。
司祭の荘厳な話が終わり、聖歌隊による透明な歌声が流れ始める。
その様子を静かに見つめていた時、私はある人物を見つけた。礼拝堂の隅で、信者たちに穏やかな視線を送っているのは、先日会ったばかりのイーグス・セイラン枢機卿だった。今日も、彼は朗らかな笑顔を浮かべていた。
礼拝を終え、私たちは大聖堂の中庭を歩いた。高い壁に囲まれた中庭は、木々に囲まれ、多くの花が咲き乱れており、王都の喧騒から隔絶された癒やしの空間が広がっていた。
修道女たちが何やら忙しそうに、庭の手入れや花の世話をしている。
「毎月一度、奉仕活動が行われていて、その準備でしょうね」と、セレナが教えてくれた。
「今週末、この教会主導で大きな奉仕活動が行われるのよ。温かい食事の炊き出しをしたり、孤児院や養護施設への寄付を募ったり、色々な活動が行われるの」
そんな話をしていると、視界に見知った人物が入ってきた。
「あ……」
それは先日北区の教会で、偽聖女アンジェにナイフを向けた女性だった。彼女もまた、奉仕活動の準備を手伝っているようだ。
私たちがその女性を見つめていると、彼女もこちらに気づき、ハッと目を見開いた。女性は、私たちにゆっくりと近づいてきた。
「あの……も、もしや」
彼女は、少し不安そうに尋ねた。
「あなたは先日、北区の教会に来ていましたか?」
私が頷くと、彼女は一気に顔を輝かせた。
「やはり! うちの主人を浄化してくださった方ですよね?」
「そうですね……多分、私です」
そう答えると、女性は深々と頭を下げた。
「私はリーサと申します」
「あ、私はユイです。こちらは友人のセレナです」
「あの時は主人を助けてくださって、本当にありがとうございます!」
リーサさんは、顔を上げて涙ぐんだ。
「今は主人も、すっかりいつも通りに戻り、元気に生活できています。本当に、あなたのおかげです。今、ここでお手伝いをさせていただいているのも、あなたのおかげです」
彼女は自分の作業着を指差した。
「本来なら、教会内で刃物を振り回したことで、懲役を課せられるはずだったのですが、ここでの一ヶ月の奉仕で済むことになりました。あなたが、私の減刑を求めてくださったと、教会の方から聞いています」
彼女は、再び深々と頭を下げた。
「お礼をしなければと思っていたのですが、こんな形ですみません。本当にありがとうございます!」
その話を聞き、イーグス枢機卿が本当に約束通り、迅速に働きかけてくださったのだと思い至る。
「い、いえ、違います。これは、イーグス枢機卿がしてくださったことです。なので私にお礼を言われるのは……」
私は慌てて否定し手を振ったが、リーサさんはお礼を言い続けた。そこに、一人の教会職員が声をかけて来た。
「リーサさん、そろそろ次の準備を……」
「あ、すみません」
リーサさんは、私に慌てて言った。
「すみません、お礼はまた後日改めて!」と言いながら、彼女は足早に作業に戻っていった。
リーサさんたちが忙しそうにしているのを見て、セレナが静かに話し始めた。
「先日の北区の教会の件もあって、聖教会の信頼回復も兼ねてるでしょうし、枢機卿様も大変でしょうね。教会の威信をかけて、奉仕活動に力を入れているのがわかるわ」
私がセレナの話に頷いていると、背後から声がかかった。
「ユイさん」
背後から響いたのは、低く、清澄な響きを持つ声。そこに立っていたのは、イーグス・セイラン枢機卿だった。彼は、純白と金糸の豪華な祭服を纏い、その後ろには、格式高い装束の側近を三人引き連れている。
この大聖堂の荘厳な空間と相まって、前回見た時よりも遥かに威光が増しているように感じられた。
「来てくださったんですね。ご友人とご一緒でしたか」
枢機卿は、朗らかな笑顔で話しかけてくれた。私は慌てて挨拶をする。隣でセレナも名乗ったが、その声には明らかな緊張が見て取れた。ここまでセレナが畏まる様子を見ると、イーグス枢機卿という人物が、本当に簡単には会えない高位の人物なのだと実感する。
私は、さっきの出来事を伝えた。
「先ほど、北区の教会の件でお会いしたリーサさんとお話しました。減刑の件も、色々ご対応いただき、本当にありがとうございました」
イーグス枢機卿は、私の言葉を聞き、さらに笑みを深めた。彼は、優しく首を横に振る。
「実は、毎月の奉仕活動は常に人手が足りず困っておりまして。彼女のような真面目な方が加わってくださると、本当に助かっているのですよ」
(そんなに、人が足りてないのかな……)
さっきセレナも言っていたが、先日の教会の件で聖教会の威信が問われているのだろう。そういった事情もあって、奉仕活動に特に力を入れている分、人手も足りていないのかもしれない。
「中庭の様子をご覧になりましたか? 実は、今週末の奉仕活動では食事の炊き出しを予定しているのですが、今回は想定以上の人々が集まる見込みでしてね。調理の担当者たちが、その膨大な量に、少し頭を抱えておりまして」
彼は、困ったように微笑んだ。
「さらに困ったことに、我々教会の食事は、伝統的なレシピに忠実なあまり、多くの方に喜んでいただくには、いささか単調な献立になりがちでして……。せっかくの温かい食事ですから、できることなら、心から楽しんでいただきたいのですが」
「いつもはどのようなお食事を出されているのですか?」
枢機卿は、表情を曇らせながら答えた。
「いつもは、野菜と肉をシンプルに煮込んだスープ、蒸した野菜、それにパンやクッキー等の焼き菓子、といった具合でして。人手も足りていないので、なかなか手間をかけることができず……」
枢機卿の困っている様子を見て、私はふと、自分が貢献できることに思い当たった。
「あの、もしよろしければ、私がお手伝いをすることも可能なのでしょうか?」
セレナも、すぐに私の意図を察して、言葉を添えた。
「私も、ユイと一緒です。できることがあれば、お手伝いさせていただきますわ」
「いいのですか?」
枢機卿は、驚きに目を見開いた。その高位の聖職者らしからぬ素直な反応に、私は少し微笑んだ。
「はい。温かく、栄養があり、しかも大量に作れるスープ料理があります。ただ、皆さんのお口に合うか気になるところですが」
枢機卿は、その言葉に、興味津々といった様子で瞳を輝かせた。
「どのような料理なのですか?」
「カレーという料理なんですが、野菜や肉とともに香辛料でじっくり煮込む料理です。深いコクがあり、これから肌寒くなる季節に、体を温める効果も高いので、きっと合うかと思います」
枢機卿は、その『カレー』の響きと説明を聞き、目を見張った後、両手を胸の前で合わせた。
「ユイさんの慈悲深さに、心から感銘を受けます」
彼は、深く、そして優雅に頭を下げた。
「そのお料理を大聖堂に集まる人々にご提供いただきたい。ぜひ、お願いしたいです」
私は、そこまで言われて、恐縮するばかりだった。
「はい! 頑張らせていただきます」
多くの人に配るほど大量に作ったことはないけれど、きっと成功させられるはずだ。
(だって、カレーはたくさん作ったほうが絶対に美味しい!)
ちらっとセレナを見ると、その目には既にやる気が宿っている。私たちにできることがあるなら頑張ってみよう。
枢機卿は側近の一人に呼ばれ、残念そうに私とセレナを見た。
「残念ながら、そろそろ次の公務へと向かわねばなりません。また、ぜひゆっくりとお話を聞かせてください」
イーグス枢機卿が浮かべたのは、慈愛に満ちた微笑みだった。その榛色の瞳が、強く、静かに目に焼き付いた。底知れない美しさと、何かに安堵したような穏やかさに、一瞬その場から動けなかった。
彼は、側近たちとともに奥へと向かっていった。
枢機卿の姿が見えなくなってから、ようやく息を吐いた。
「ねぇ、セレナ。枢機卿様のオーラ、凄かったね。私、最後動けなかったよ」
「ええ、本当ね。あんなに近くでお話ししたのは初めてだったけど、全身が畏縮するくらい威圧感があったわ」
二人は顔を見合わせ、その場に立ち尽くした。
「セレナ。カレー作り手伝ってくれる?」
「ええ、もちろんよ」
私たちは気持ちを切り替え、大聖堂を後にした。
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