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新天地
[1]ー1
しおりを挟むリリィは長い柄を握りしめ、意を決して力いっぱい刃先を地面に振り下ろした。
ガチンと硬質な音がしてすぐ、手がびりびりと痺れる。再度振り上げようとしたが、なにかに引っかかっているようで中々持ち上がらない。腰を落として「ふんっ」と力を込めたら、すぽっと抜けた。反動でよろめくが、どうにか足を踏ん張って転ぶのを防ぐ。
「やっぱりそう簡単にはいきませんわよねぇ」
額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。何年も手を加えられていない土地を耕すのは一朝一夕ではなさそうだ。
鍬から手を離して「うーん」と全身を伸ばしたら、背骨がゴキゴキッと派手な音を立てた。
「やだ、懐かしい音」
思わずくすくすと笑いが漏れ、慌てて口もとを手で隠す。
そういえばこの世界に〝転生〟してから、一度もこの音を聞いていない。
肩が凝ったといえばすぐに誰かが揉んでくれたし、疲れたといえばすぐにクッションを当てもらい、温かい飲み物と甘いお菓子が運ばれてきた。
そもそもこんなふうな肉体労働とは無縁だった。
だからと言って嫌々鍬を振るっているわけではない。むしろ、こんなふうに畑を耕して自給自足するのは、ずいぶん昔からの夢だったのだ。
目を閉じて、風が木立を揺らす音に耳を澄ます。鼻から大きく息を吸い込むと、肺が若葉の香りでいっぱいになる。
ゆっくりとまぶたを持ち上げ、眼下に広がる大きな川と街の景色に目をすがめた。
「これよ……わたくしが求めていたのはこれだったのよ」
リリィ=ブランシュ・ル・ベルナール。それが今の自分だ。
陶器のごとくすべすべと白い肌は小さな輪郭を作り、頬はなにをしなくても桜色に色づいている。
長いまつげに縁どられた二重まぶたの中に、はちみつを流し込んだかのような琥珀色の瞳が輝き、サクランボのような唇からは鈴を転がしたような声が紡がれる。
ストロベリーブロンドと呼ばれるほのかに赤みがかった金髪は、皆がこぞって美しいと賞賛した。
クレマン王国で一二を争う美しさだと周囲から持てはやされていたが、つい数日前に侍女ひとりを伴って王都から遠く離れた辺境の地へやって来た。
「お嬢様ー!」
遠くから呼ぶ声がして顔を向けると、簡素なドレスを着たふくよかな女性がこちらへやって来る。
「お嬢様、こちらにいらっしゃったのですね」
「マノン。そんなに急いで、なにかあったの?」
息を切らした彼女に小首をかしげる。マノンはリリィが伯爵家からたったひとり連れてきた侍女だ。連れて来た、というよりも〝ついて来た〟の方が正確だ。
リリィも『考え直した方がいいわ』と口では言っていたが、幼い頃からずっとそばにいて、母のように姉のように世話を焼いてくれる彼女の存在は心強く、結局突き放すことができなかった。
「なにかあったの? じゃございませんよ。黙っていなくならないでくださいませ」
坂の上とはいえ、敷地内じゃないの。そうは思ったが口には出さない。そんなことをしたら、間違いなく長いお説教が始まってしまう。
「そしてまた! お帽子も被らないで陽の下にいらっしゃるなんて……ああっ、お肌が真っ赤じゃないですか! せっかくのお髪もこんなにぐしゃぐしゃに」
マノンはリリィのひとつ編みにされた長い髪を手早く整えると、手に持っている帽子を頭に被せた。
「重い……。マノンのと交換したいわ」
全体にレースの装飾のついたボンネットは、農作業には不向きだ。あちこちに引っかかったりするし、装飾がついている分重量もある。
「なにをおっしゃってらっしゃるんですか。使用人と同じものをベルナール家のご令嬢が身に着けるなんてもってのほかでございます」
「もう誰も気に留めやしないのに」
ぼそっと口から漏れたらマノンが一気に眉を跳ね上げた。
「誰が気にするとか気にしないとかではございません。そんじょそこらのご令嬢では太刀打ちできない美貌と気品を、このようなひなびた山奥で枯らしてしまうなんてもったいない」
「枯らしてって……」
花や樹木のような言われようだが、マノンは至って真剣な顔つきだ。
「幼少のころから天使のように純真可憐なお嬢様が、こんな田舎で農婦の真似をしなければならないなんて……。亡くなった奥様になんとお詫びしたらよろしいのか。旦那様も旦那様ですよ! あんなにかわいがってらっしゃったお嬢様を見捨てるようなことを」
「それは違うわ、マノン。お父様はわたくしをお見捨てになったわけではないのよ? むしろわたくしのためを思ったからこそ、この屋敷をくださったんだわ」
「まあ、なんとお優しい。こんな天使のようなお嬢様が悪女だなんて……世間はうわさを信じすぎです。一番悪いのは、リリィ様というすばらしい許嫁がありながら他の女性に心変わりされたジョナス殿下ですのに」
声を震わせながらマノンがその名前を口にした瞬間、リリィは慌てて人差し指を自分の唇の前に立てた。
「そんなこと大きな声で言ってはだめ。だれが聞いているかわからないのよ」
ただでさえ悪女の汚名を着せられて追放されたのだ。なにかのはずみで悪口が耳に届くことがあれば、侮辱罪で今度こそ投獄されてもおかしくない。
はっとした顔になったマノンは「申し訳ございません」とこうべを垂れた。
「そんなことより。見て、少しは畑らしくなったと思わない?」
手を広げながら振り返った。
数日前まで雑草だらけだった場所は柔らかな地肌が見え、畝のような盛り上がりもある。この一週間の成果に我ながら満足だ。
「そうだわ」
ポンと手を叩く。
「わたくし、買いたいものを思い出したの」
近くの木に鍬を立てかけて畑を出た。すぐにマノンがついて来る。
「なんでしょう。あとから出入りの者に頼みますからおっしゃってくださいまし」
「ううん、いいの。自分で行くから」
足早に門を目指すとマノンが慌てたように言う。
「お出かけでしたら馬車を出しますので少々お待ちを」
「大丈夫。お天気もいいし、歩いて行くわ」
「そういうわけには」
なんとかしてリリィを引き留めようとマノンが手を伸ばしたとき、門の向こうから荷台を引いた馬がやって来た。
「きっとお父様からのお荷物だわ。マノン、受け取っておいてちょうだい」
馬車が通れるように鉄製の柵を開けてやり、入れ替わるように外へと駆け出す。
「え、あっ、お嬢様!」
マノンの焦った声が聞こえたが、振り返らずに坂道を下り始めた。
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