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第十二話【金平糖の想い出】雨と紫陽花とあの日の追憶
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大きく枝を広げた木立の隙間から、キラキラとまぶしい陽射しが差し込む。
雨上がりの湿った土の匂いを吸い込むと、庭の片隅の薄紫の花が目に入った。梅雨の晴れ間を待っていたかのように、山紫陽花が満開を迎えている。
青青とした葉が作る木陰の下で、膝を抱えて小さな体を更に小さく折りたたむと、頭の上から降ってくる蝉の声が、目に見えないカーテンみたいに自分を隠してくれる気がした。
「美寧―――ここにいたのか」
掛けられた声に顔を上げようとした瞬間、目の前が暗くなる。頭の上に手を当てると、帽子だった。
「今日は暑くなる。ちゃんと被っておかないと倒れてしまうぞ?」
帽子の上からポンポンと軽く撫でられ、美寧は小さく頷いた。
涼し気な水色のリボンが付いた麦わら帽子は、八歳を迎えた先月、誕生日プレゼントとして祖父から贈られたものだ。
雨が止んだら、早くこの帽子を被って外へ遊びに行きたいと思っていたのに、美寧はそれすらも忘れてしまっていた。
「……ありがとう、おじいさま」
広いつばを持ち上げてそう言うと、祖父は微笑みながら「ここは涼しいな」と言って、ゆっくりとした動きで隣に腰を下ろした。
「―――残念だったな」
何が、と聞き返す必要はない。
「聡臣も中二だ。忙しいのだろう」
祖父の言葉に素直に頷くことが出来ず、きゅっと唇をきつく結んだ。
そんな美寧を見て眉を下げた祖父は、その大きな手をそっと美寧の肩に回し、自分の体へと優しく引き寄せる。美寧の肩を軽く叩くように撫でる祖父の手。大きくて分厚い手には沢山の深いしわが刻まれている。美寧はそのしわしわの手がとても好きだ。
「分かってるもん……お兄さまはお勉強と、ぶかつとせいとかいでお忙しいのくらい」
大人ぶった言葉を並べてみるけれど、その口はアヒルみたいに突き出ているし、声の調子からも明らかに拗ねているのが見て取れる。
けれど祖父はそれに関しては何も言わずに、美寧の肩を撫で続けてくれた。
「正月にはちゃんと会えるだろう?」
「……お正月はここじゃないもの」
年に一度、年末年始は自宅に戻る。兄に会えるのは、夏休み以外はその時だけだ。
頬を膨らませて小さく呟いた美寧は、両手に抱えた膝の中に顔を埋めてしまった。
兄聡臣は、都内の私立中学に通っている。
兄は毎年夏休みになると、ここ祖父の家に一週間ほど滞在するのが例年の習慣となっていた。自宅からここまでは車で二時間ほどかかる。
美寧は六つ上の兄が大好きで、いつも夏が来るのを楽しみにしていたのだった。
母方の祖父である榮達は、明治時代に創業された財閥一族の直系で、美寧が生まれる前は母体となる企業の会長職を務めていた。そして美寧が生まれる少し前に第一線を退き、それと同時に別荘として持っていた高原地の邸宅に住まいを移した。
美寧が榮達の家に身を寄せるようになったのは、乳幼児の頃に気管支炎を患ったことがきっかけだ。
美寧を生んだ母の産後の肥立ちが悪かったこともあって、母子二人で都内の家を離れて空気のきれいなこの地で静養をしていたのだった。
成長とともに体も丈夫になった美寧は、いったんは幼稚園に上がる年に自宅に戻ったのだ。
けれどその年。美寧が四つの誕生日を迎えるよりも早く、母親が病気で亡くなってしまった。
美寧の父は仕事に忙しく、九歳だった兄はまだしも幼い美寧の世話まで手が回らない。
それでも父は、ベビーシッターや家政婦を雇いながら何とか幼稚園に通う彼女の世話をしていたが、幼い美寧にとって突然甘えられる母親がいなくなったことと、目まぐるしく変化する生活環境に、小さな体と心がついていかなかったのだろう。美寧は再び体調を崩しがちになり、もう一度祖父のもとで静養することとなったのだった。
もともと別荘だった祖父の家は、今は祖父の一人暮らしではあるものの、昔からなじみの家政婦が近所から通ってきてくれていて、乳児の時から世話をしてくれていた彼女に美寧も懐いていた。
それから四年。美寧はずっと祖父と一緒に暮らしているのだ。
大きく枝を広げた木立の隙間から、キラキラとまぶしい陽射しが差し込む。
雨上がりの湿った土の匂いを吸い込むと、庭の片隅の薄紫の花が目に入った。梅雨の晴れ間を待っていたかのように、山紫陽花が満開を迎えている。
青青とした葉が作る木陰の下で、膝を抱えて小さな体を更に小さく折りたたむと、頭の上から降ってくる蝉の声が、目に見えないカーテンみたいに自分を隠してくれる気がした。
「美寧―――ここにいたのか」
掛けられた声に顔を上げようとした瞬間、目の前が暗くなる。頭の上に手を当てると、帽子だった。
「今日は暑くなる。ちゃんと被っておかないと倒れてしまうぞ?」
帽子の上からポンポンと軽く撫でられ、美寧は小さく頷いた。
涼し気な水色のリボンが付いた麦わら帽子は、八歳を迎えた先月、誕生日プレゼントとして祖父から贈られたものだ。
雨が止んだら、早くこの帽子を被って外へ遊びに行きたいと思っていたのに、美寧はそれすらも忘れてしまっていた。
「……ありがとう、おじいさま」
広いつばを持ち上げてそう言うと、祖父は微笑みながら「ここは涼しいな」と言って、ゆっくりとした動きで隣に腰を下ろした。
「―――残念だったな」
何が、と聞き返す必要はない。
「聡臣も中二だ。忙しいのだろう」
祖父の言葉に素直に頷くことが出来ず、きゅっと唇をきつく結んだ。
そんな美寧を見て眉を下げた祖父は、その大きな手をそっと美寧の肩に回し、自分の体へと優しく引き寄せる。美寧の肩を軽く叩くように撫でる祖父の手。大きくて分厚い手には沢山の深いしわが刻まれている。美寧はそのしわしわの手がとても好きだ。
「分かってるもん……お兄さまはお勉強と、ぶかつとせいとかいでお忙しいのくらい」
大人ぶった言葉を並べてみるけれど、その口はアヒルみたいに突き出ているし、声の調子からも明らかに拗ねているのが見て取れる。
けれど祖父はそれに関しては何も言わずに、美寧の肩を撫で続けてくれた。
「正月にはちゃんと会えるだろう?」
「……お正月はここじゃないもの」
年に一度、年末年始は自宅に戻る。兄に会えるのは、夏休み以外はその時だけだ。
頬を膨らませて小さく呟いた美寧は、両手に抱えた膝の中に顔を埋めてしまった。
兄聡臣は、都内の私立中学に通っている。
兄は毎年夏休みになると、ここ祖父の家に一週間ほど滞在するのが例年の習慣となっていた。自宅からここまでは車で二時間ほどかかる。
美寧は六つ上の兄が大好きで、いつも夏が来るのを楽しみにしていたのだった。
母方の祖父である榮達は、明治時代に創業された財閥一族の直系で、美寧が生まれる前は母体となる企業の会長職を務めていた。そして美寧が生まれる少し前に第一線を退き、それと同時に別荘として持っていた高原地の邸宅に住まいを移した。
美寧が榮達の家に身を寄せるようになったのは、乳幼児の頃に気管支炎を患ったことがきっかけだ。
美寧を生んだ母の産後の肥立ちが悪かったこともあって、母子二人で都内の家を離れて空気のきれいなこの地で静養をしていたのだった。
成長とともに体も丈夫になった美寧は、いったんは幼稚園に上がる年に自宅に戻ったのだ。
けれどその年。美寧が四つの誕生日を迎えるよりも早く、母親が病気で亡くなってしまった。
美寧の父は仕事に忙しく、九歳だった兄はまだしも幼い美寧の世話まで手が回らない。
それでも父は、ベビーシッターや家政婦を雇いながら何とか幼稚園に通う彼女の世話をしていたが、幼い美寧にとって突然甘えられる母親がいなくなったことと、目まぐるしく変化する生活環境に、小さな体と心がついていかなかったのだろう。美寧は再び体調を崩しがちになり、もう一度祖父のもとで静養することとなったのだった。
もともと別荘だった祖父の家は、今は祖父の一人暮らしではあるものの、昔からなじみの家政婦が近所から通ってきてくれていて、乳児の時から世話をしてくれていた彼女に美寧も懐いていた。
それから四年。美寧はずっと祖父と一緒に暮らしているのだ。
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