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第一章 維新越しの恋文
維新越しの恋文
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――思えば貴女様に文を送るというのは初めてのことですね。
ゆめ届くとは思わぬものの最初で最後、そう心得つつこのお手紙を書いております。
幕軍がもはや持ちこたえられぬは必定、艦隊と共に蝦夷地で陣容を立て直そうという向きもありますが、我らの死に場所はこの会津となりましょう。
大義のありかなどは今さら云々しますまい。我らは我らの思う理を通すだけのこと。されど心残りはただひたすらに残していく方々のことばかりです。
配れる金子はすべて配るよう手を尽くしました。このことではしばらく貴女様にもご面倒をおかけしますが、最後の頼みと思って差配をお願い申し上げます。
私はあまり口が上手ではなく、十分に貴女様とお話する機を設けようとしておりませんでした。
しかしここにきてしきりに思い出されるのは貴女様のことばかりです。侍らしくもないとお笑いください。
早晩、御公儀という言葉の意味は変わり新しい時が訪れるでしょう。
それがいったいどのような世になるか私には思いもつきませんが、もっとも大事なのは農です。
食うものを作り出せる者たちこそが、いつの世でも礎となってきました。それは未来永劫不変の理でありましょう。
御縁を頂いて紀伊様の御領内に貴女様方をお送りしたのはそれ故です。
慣れぬことと仰せにならず、どうか鋤鍬を手に田を起こしてください。畠を耕してください。
食うものを手づから作り生き抜いてください。
不肖の夫から申し上げるのはこれだけでございます。
ほどなく私どもは城を打って出ます。
せめて家名に恥じぬ立派な戦いぶりをと念じますが、叶うなら百遍でも二百遍でも貴女様の御手を握って眠りたい。
お恥ずかしい限りの願いです。
次の世でも同じ蓮の台にというのは厚かましさも過ぎますが、これよりずっと先に貴女様がこちらへ参らせ給う折りには、せめて黄泉路の露払いなりいたしましょう。
なに、貴女様を見違えることなどゆめゆめありますまい。
それでは、どうかどうか――。
「――随分御気分御大切ニ遊バサレ、御長寿ヲ全キ成サルベク候。恐々謹言――」
文を読み終えた隼人は丁寧に元の姿に折り畳み、再び押し戴いて差し出した。
人払いの体で控えていた女衆が堪えきれず啜り泣き、草介も思わず目頭を熱くしてしまう。
「そなたら、名乗るがよい」
文を受け取った老妃は毅然とした居住まいを崩すことなく、隼人と草介に声をかけた。
だがその目はあくまでやわらかく、やさしげだ。
「駅逓寮・御留郵便御用。片倉隼人にござります」
「同じく、草介でございやす」
満足そうに頷いた奥方は文を手にすっと立ち上がり、二人の名を呼ぶ。
「片倉。草介」
ははっ、と畏まる二人ににっこりと微笑み、
「大儀」
そう言って葡萄色の姿を板戸の奥へと溶け込ませていった。
〒 〒 〒 〒 〒
「――ありゃあ懸想文だったなあ」
庄屋屋敷を後に、長い坂を下りながら草介が呟く。
己がすべきことをし尽くした家老が最後にしたためたのは、妻への恋文だった。
しんみりしたものか柄にもなくしおらしくしていた草介だったが、ふと思い出したことを隼人に投げかける。
「はーさん、後で話すっつってたあの銃なんだっけ。ツン…ナントカ?」
「ツンナール銃」
「そうそれ」
「ツンナール…もしくはドライゼ。維新直後の紀伊で生まれた初の徴兵制洋式軍で用いられた、プロイセン式の小銃だ」
庄屋屋敷の女子衆が使っていたのがそのドライゼ銃で、紙製の薬莢を使う特徴からそうと知れる。紀伊領内であることから何らかの経路で入手したとは考えられるが、問題は凶漢が所持していたピストルだ。
「あれもそうだった。ドライゼの拳銃は実に珍しい」
「…それで?」
「そもそも奴らは我らの密命をどうやって嗅ぎつけたのだ」
「あっ」
「内通者がおる。駅逓寮か、そのもっと上か。ドライゼもそ奴らが流したとしたら……」
だとすると、このような混乱と無用の乱闘を引き起こすとは何が目的なのか。
不穏な先行きに心のざわめきを覚えるが、考えても仕様のないことは考えぬのが草介だ。
重苦しい空気を振り払うように明るい声を出した。
「ところではーさんよう。おいらのことピストルから庇ってくれたよなあ」
「ばかを申せ」
「いいや、いかん!っつって盾になってくれたね。やっぱはーさんおいらのこと……あっ、待って!」
急激に歩を速めた隼人に、草介は慌てて追い縋ろうとした。
この男が本気で走れば、若い草介といえど付いていけないことは骨身に沁みているのだ。
「待ってくれよう!」
叫ぶ草介を尻目に、韮山笠を目深にかぶった隼人は燻し銀の髭をちょっと撫で、ほんの少し口元を綻ばせた。
ゆめ届くとは思わぬものの最初で最後、そう心得つつこのお手紙を書いております。
幕軍がもはや持ちこたえられぬは必定、艦隊と共に蝦夷地で陣容を立て直そうという向きもありますが、我らの死に場所はこの会津となりましょう。
大義のありかなどは今さら云々しますまい。我らは我らの思う理を通すだけのこと。されど心残りはただひたすらに残していく方々のことばかりです。
配れる金子はすべて配るよう手を尽くしました。このことではしばらく貴女様にもご面倒をおかけしますが、最後の頼みと思って差配をお願い申し上げます。
私はあまり口が上手ではなく、十分に貴女様とお話する機を設けようとしておりませんでした。
しかしここにきてしきりに思い出されるのは貴女様のことばかりです。侍らしくもないとお笑いください。
早晩、御公儀という言葉の意味は変わり新しい時が訪れるでしょう。
それがいったいどのような世になるか私には思いもつきませんが、もっとも大事なのは農です。
食うものを作り出せる者たちこそが、いつの世でも礎となってきました。それは未来永劫不変の理でありましょう。
御縁を頂いて紀伊様の御領内に貴女様方をお送りしたのはそれ故です。
慣れぬことと仰せにならず、どうか鋤鍬を手に田を起こしてください。畠を耕してください。
食うものを手づから作り生き抜いてください。
不肖の夫から申し上げるのはこれだけでございます。
ほどなく私どもは城を打って出ます。
せめて家名に恥じぬ立派な戦いぶりをと念じますが、叶うなら百遍でも二百遍でも貴女様の御手を握って眠りたい。
お恥ずかしい限りの願いです。
次の世でも同じ蓮の台にというのは厚かましさも過ぎますが、これよりずっと先に貴女様がこちらへ参らせ給う折りには、せめて黄泉路の露払いなりいたしましょう。
なに、貴女様を見違えることなどゆめゆめありますまい。
それでは、どうかどうか――。
「――随分御気分御大切ニ遊バサレ、御長寿ヲ全キ成サルベク候。恐々謹言――」
文を読み終えた隼人は丁寧に元の姿に折り畳み、再び押し戴いて差し出した。
人払いの体で控えていた女衆が堪えきれず啜り泣き、草介も思わず目頭を熱くしてしまう。
「そなたら、名乗るがよい」
文を受け取った老妃は毅然とした居住まいを崩すことなく、隼人と草介に声をかけた。
だがその目はあくまでやわらかく、やさしげだ。
「駅逓寮・御留郵便御用。片倉隼人にござります」
「同じく、草介でございやす」
満足そうに頷いた奥方は文を手にすっと立ち上がり、二人の名を呼ぶ。
「片倉。草介」
ははっ、と畏まる二人ににっこりと微笑み、
「大儀」
そう言って葡萄色の姿を板戸の奥へと溶け込ませていった。
〒 〒 〒 〒 〒
「――ありゃあ懸想文だったなあ」
庄屋屋敷を後に、長い坂を下りながら草介が呟く。
己がすべきことをし尽くした家老が最後にしたためたのは、妻への恋文だった。
しんみりしたものか柄にもなくしおらしくしていた草介だったが、ふと思い出したことを隼人に投げかける。
「はーさん、後で話すっつってたあの銃なんだっけ。ツン…ナントカ?」
「ツンナール銃」
「そうそれ」
「ツンナール…もしくはドライゼ。維新直後の紀伊で生まれた初の徴兵制洋式軍で用いられた、プロイセン式の小銃だ」
庄屋屋敷の女子衆が使っていたのがそのドライゼ銃で、紙製の薬莢を使う特徴からそうと知れる。紀伊領内であることから何らかの経路で入手したとは考えられるが、問題は凶漢が所持していたピストルだ。
「あれもそうだった。ドライゼの拳銃は実に珍しい」
「…それで?」
「そもそも奴らは我らの密命をどうやって嗅ぎつけたのだ」
「あっ」
「内通者がおる。駅逓寮か、そのもっと上か。ドライゼもそ奴らが流したとしたら……」
だとすると、このような混乱と無用の乱闘を引き起こすとは何が目的なのか。
不穏な先行きに心のざわめきを覚えるが、考えても仕様のないことは考えぬのが草介だ。
重苦しい空気を振り払うように明るい声を出した。
「ところではーさんよう。おいらのことピストルから庇ってくれたよなあ」
「ばかを申せ」
「いいや、いかん!っつって盾になってくれたね。やっぱはーさんおいらのこと……あっ、待って!」
急激に歩を速めた隼人に、草介は慌てて追い縋ろうとした。
この男が本気で走れば、若い草介といえど付いていけないことは骨身に沁みているのだ。
「待ってくれよう!」
叫ぶ草介を尻目に、韮山笠を目深にかぶった隼人は燻し銀の髭をちょっと撫で、ほんの少し口元を綻ばせた。
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