剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

文字の大きさ
41 / 104
第六章 昔がたり

決裂、零れる命(二)

しおりを挟む
まきは胸元に潜めた短刀の柄を逆手にぐっと握り、臆することなく踏み出してゆく。

「まき殿、よさぬか」

手放していた自身の長脇差を拾い上げた靫衛は、それを鞘に納めながら苦し気な声を出した。
まきが燃え残った外国語書状の内容を理解して追ってくることも、自身に立ち向かおうとしていることも、靫衛にとっていずれも完全な想定外だ。
締め落とされて倒れている隼人からじわりと離れ、靫衛は後ずさった。

「ご夫君ですらこうなのだ。そなたが私に勝てる道理がない」
「問答……無用!」

まきは逆手のまま短刀を抜き上げ、靫衛に向けて走り懸かった。
上から下、下から上、そしてまた上から下と九寸五分の白刃が鋭く振るわれたが、靫衛が躱すに難などはない。
が、それでもまきは怯むことなくさらに激しく短刀を閃かせる。

「まき殿――!」

靫衛が大きく飛び退って間合いを切った。狭い崖道から、ばらばらと小礫が落下してゆく。
断崖の下には、荒れてきた波が白く砕けていた。

「気を失っているだけでご夫君は無事だ。私はこの男を殺したくはない。無論、そなたのこともだ」
「……東堂はん。それが、人をコケにしてるっちゅうんよ!」

まきは突然振り返ると、隼人のいる方へ全速で駆け出した。

「しまった!」

一瞬遅れて靫衛がその後を猛追する。
まきが手を伸ばしたのは、隼人が担いでいたドライゼの弾薬包。
それを掴んだまきは、崖下の海に投げ入れようと渾身の力を込めて引き上げた。

「やめろぉぉぉっ!!」


――起きろ、起きろ、起きろ!

頭の奥から響き渡る声に意識を引き戻された俺は、無理やり瞼をこじ開けた。
霞む視界に揉み合う二人の姿が見え、聴覚が戻りきらない耳に遥か遠くからのような叫びが届いた。

「――まき!!」

焦点の合った俺の眼に映ったのは、鬼哭の形相で咆哮する東堂。
そして喉元に刃を突き立てられ、鮮血を迸らせる妻の姿だった。
まきの白い手が虚空を掴むように彷徨い、ゆっくりとくずおれてゆく。

「ああぁぁぁぁぁぁっ!!」

俺は刀を握り直し地を蹴って、東堂に飛び掛かった。
それに気付いた奴が抜刀するのと、俺が真っ向に斬り下ろすのは同時だった。

二人が振るった太刀は交差して流れ、俺は東堂の左面を縦一文字に斬り裂いた。
同じく奴の切っ先は俺の胸元を割り、一瞬の後に赤い血が噴き上がる。
痛みも、何も、感じない。
顔を背け、よろめく東堂。
俺は感覚のない脚に渾身の力を込めて踏み止まり、諸手で捻り込むように東堂の胸を刺突した。

驚愕の表情が、奴の顔に浮かんだ。
崖道から吹き飛び、そのまま遥か下の海へと落ちてゆく。

「まき! まきっ……!!」

駆け寄って抱き起した俺の腕の中で、まきはもう息をしていなかった。
形のいい唇はほころびたように少し開かれ、まるで微笑んでいるかのようだった。



「……その後すぐに、北畠道龍と門徒らが駆け付けた」

寝台に半身を起こして語る隼人は、瞑目しながらそう続けた。
草介も由良乃も、陸奥卿も何も言わなかった。

「まきは儂らを追う直前、隣家に道龍への言付けを託しており申した」

間に合わなかったことをひどく悔いた道龍だったが、東堂靫衛の脱藩とドライゼ流出は阻止され、紀伊上層部も事態を重く見て対策に乗り出したのだという。
靫衛の遺体は上がらなかったが状況から死亡とみなされ、まきが海に投げ入れた弾薬も回収は不可能だった。
もっとも、仮に引き上げたとしてもドライゼの紙製薬莢は水没で使い物にはならなかっただろう。

「これがそれがしと東堂との因縁でござる」

長い物語を語り終えた隼人は、視線を落とした。
病衣から覗く胸元の包帯には、まだじんわりと血が滲んでいる。

「なにも、守ることができ申さなんだ。東堂を仕留め切れず、二度までも不覚をとり申した。あまつさえ、またしても若者らを死なせるところでござった」

視線を落とした隼人に、草介も由良乃も肩を震わせた。
なんと声をかければよいのか。慰める言葉など、どう選べばよいというのか。
が、腕組みをしてじっと聞いていた陸奥卿だけは顔色一つ変えることはなかった。

「話は分かった、片倉。生きていた東堂靫衛が御留郵便に紛れて暗躍し、いまやM機関の意思を離れて工作しているということで間違いなかろう。君の落ち度は懲罰に値する。が、挽回の機会を与える」

淡々とそう言うと、フロックコートの内ポケットから一通の古びた書状を取り出して隼人に突き出した。

「次の任務だ。見事に届けてみせたまえよ」

陸奥卿は彫りの深い顔に、初めて笑みを浮かべた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

処理中です...