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第十一章 岩倉邸グラント将軍御前仕合
“任那”の姓
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「少佐殿。御身の“任那”なる姓、紀伊と御縁がござりまするか」
隼人の質問に、青年は我が意を得たりとばかりにこやかに頷いた。
「ええ、その通り。私の本貫地は和歌山の那智です。珍しい苗字でしょう。古代の朝鮮半島にあった国の名ですね。その国司が我が家の祖と伝わっておりますが……さて。新宮や勝浦に何件かは残っているとか」
「やはりそうでござりましたか。紀伊の御縁とは近しゅう感じまするな」
「そうだ、片倉さんも紀伊のお七里飛脚……。そして戍営兵であられたのでしたね」
「いかにも」
二人のやりとりをじっと聞いている草介だったが、隼人がこのようにあれこれと配達先の人物に話しかけることに少々驚いている。
少なくとも、組んで仕事をするようになってからは初めてのことではないか。
しかし意外な思いの草介をよそに、隼人はさらに任那少佐に問いかける。
「ところで……東堂靫衛という名をご存じでござるか」
ぎょっ、としたのは草介だった。
唐突に放たれた問いであったが、任那少佐は淡々とした様子を崩さない。
「耳にしています。我々軍部内でも、いわば……」
「お尋ね者?」
「そうです」
ならば話は早いとばかりに、隼人は西南戦争最後の総攻撃の朝、港で東堂を乗せた海軍艦を見たことを語った。
「その甲鉄艦は、当時鹿児島湾に展開していたはずのどの艦とも違うてござった。これまでの御留郵便妨害といい、海軍内に東堂への協力者がなくては説明がつき申さぬ。何かご存じのことはござりませぬか」
隼人の疑念はもっともだった。これは草介も同じ思いを抱いていることだ。最初に九州へ向かおうとした時、明光丸の航路には爆薬を搭載した動力船が仕掛けられた。
そして東堂は山口から鹿児島へと移動し、西南戦争では薩軍の強行軍から抜けて政府軍の包囲網を突っ切り、甲鉄艦で脱出しているのだ。
海軍内部に東堂を擁する勢力がなくては、不可能なことと断言していいだろう。
隼人の踏み込んだ問いに、任那少佐は腕を組んで難しそうな顔をした。
「その件は軍部でも調査中なのです。海軍には特務を帯びた艦があるそうですが、私ごとき下っ端の佐官になど知る由もありません。お役に立てず申し訳ない」
「いえ、軍機に関わることをかたじけのう。お忘れくださりませ」
隼人の座礼に爽やかな笑みを戻した少佐は、一転して何か思い出したように手を打った。
「そうだ。お届け頂いた郵便にも関わることですが、この度来日されているアメリカのグラント将軍を岩倉具視卿がおもてなしすることとなったのです」
ユリシーズ・シンプソン・グラント――。
南北戦争時代の北軍将軍で、第18代の米大統領となった男だ。
2期を務めたのちの1877年、グラントは家族を伴って世界周遊の旅に出ていた。
日本は最後の訪問国となり、つい先頃の1879(明治12)年7月3日に東京・新橋駅に到着している。
これを迎えたのが接待委員総代の渋沢栄一だったという。
そして国賓であるグラント将軍を、右大臣・岩倉具視卿が自邸でもてなすことになったのだ。
「岩倉卿が将軍を接待するのに選んだのが猿楽と狂言です。公式の一部に加え、非公式の二部では国内でも知られていない流派が曲を披露します」
猿楽、今でいう能のことである。
任那少佐は隼人と草介が届けた伝書の束に手を触れ、慈しむように眼を細めた。
「私も一曲舞うことになっていたのですが……この秘伝書が画竜点睛となるでしょう。この時機にこれが手元に届くなど、まさしく天啓としか思えません。片倉さん、草介さん、まことにありがとうございます」
――かくして爽やかな印象ばかりが残る好青年の海軍少佐との邂逅だったのだが、隼人が何を訝しんでいるのか草介にはまだ読み切れていない。
「で、あの海軍さんに紀伊の秘術ってやつが伝わっちゃあ、なんかまずいのかい」
「儂が覚えのある幾つかの流派名……あれは昔、東堂から聞いたものだ」
「えっ」
「東堂は術の向上のため、歴史の表舞台には決して姿を出さぬ流派の技を訪ね歩いてもいたのだ」
「じゃあそれってよ――」
「わからぬ。詳しいことは。だが、任那少佐とは今しばらく縁を繋いでおきたい。幸い、あの後こうしたものを受け取ったのだ」
隼人が懐から取り出したのは、二名分の招待状だった。
岩倉邸で開催される、グラント将軍応接の観能宴。
そしてその裏で行われる非公式の式次第には、“御前仕合”の文字が躍っていた。
隼人の質問に、青年は我が意を得たりとばかりにこやかに頷いた。
「ええ、その通り。私の本貫地は和歌山の那智です。珍しい苗字でしょう。古代の朝鮮半島にあった国の名ですね。その国司が我が家の祖と伝わっておりますが……さて。新宮や勝浦に何件かは残っているとか」
「やはりそうでござりましたか。紀伊の御縁とは近しゅう感じまするな」
「そうだ、片倉さんも紀伊のお七里飛脚……。そして戍営兵であられたのでしたね」
「いかにも」
二人のやりとりをじっと聞いている草介だったが、隼人がこのようにあれこれと配達先の人物に話しかけることに少々驚いている。
少なくとも、組んで仕事をするようになってからは初めてのことではないか。
しかし意外な思いの草介をよそに、隼人はさらに任那少佐に問いかける。
「ところで……東堂靫衛という名をご存じでござるか」
ぎょっ、としたのは草介だった。
唐突に放たれた問いであったが、任那少佐は淡々とした様子を崩さない。
「耳にしています。我々軍部内でも、いわば……」
「お尋ね者?」
「そうです」
ならば話は早いとばかりに、隼人は西南戦争最後の総攻撃の朝、港で東堂を乗せた海軍艦を見たことを語った。
「その甲鉄艦は、当時鹿児島湾に展開していたはずのどの艦とも違うてござった。これまでの御留郵便妨害といい、海軍内に東堂への協力者がなくては説明がつき申さぬ。何かご存じのことはござりませぬか」
隼人の疑念はもっともだった。これは草介も同じ思いを抱いていることだ。最初に九州へ向かおうとした時、明光丸の航路には爆薬を搭載した動力船が仕掛けられた。
そして東堂は山口から鹿児島へと移動し、西南戦争では薩軍の強行軍から抜けて政府軍の包囲網を突っ切り、甲鉄艦で脱出しているのだ。
海軍内部に東堂を擁する勢力がなくては、不可能なことと断言していいだろう。
隼人の踏み込んだ問いに、任那少佐は腕を組んで難しそうな顔をした。
「その件は軍部でも調査中なのです。海軍には特務を帯びた艦があるそうですが、私ごとき下っ端の佐官になど知る由もありません。お役に立てず申し訳ない」
「いえ、軍機に関わることをかたじけのう。お忘れくださりませ」
隼人の座礼に爽やかな笑みを戻した少佐は、一転して何か思い出したように手を打った。
「そうだ。お届け頂いた郵便にも関わることですが、この度来日されているアメリカのグラント将軍を岩倉具視卿がおもてなしすることとなったのです」
ユリシーズ・シンプソン・グラント――。
南北戦争時代の北軍将軍で、第18代の米大統領となった男だ。
2期を務めたのちの1877年、グラントは家族を伴って世界周遊の旅に出ていた。
日本は最後の訪問国となり、つい先頃の1879(明治12)年7月3日に東京・新橋駅に到着している。
これを迎えたのが接待委員総代の渋沢栄一だったという。
そして国賓であるグラント将軍を、右大臣・岩倉具視卿が自邸でもてなすことになったのだ。
「岩倉卿が将軍を接待するのに選んだのが猿楽と狂言です。公式の一部に加え、非公式の二部では国内でも知られていない流派が曲を披露します」
猿楽、今でいう能のことである。
任那少佐は隼人と草介が届けた伝書の束に手を触れ、慈しむように眼を細めた。
「私も一曲舞うことになっていたのですが……この秘伝書が画竜点睛となるでしょう。この時機にこれが手元に届くなど、まさしく天啓としか思えません。片倉さん、草介さん、まことにありがとうございます」
――かくして爽やかな印象ばかりが残る好青年の海軍少佐との邂逅だったのだが、隼人が何を訝しんでいるのか草介にはまだ読み切れていない。
「で、あの海軍さんに紀伊の秘術ってやつが伝わっちゃあ、なんかまずいのかい」
「儂が覚えのある幾つかの流派名……あれは昔、東堂から聞いたものだ」
「えっ」
「東堂は術の向上のため、歴史の表舞台には決して姿を出さぬ流派の技を訪ね歩いてもいたのだ」
「じゃあそれってよ――」
「わからぬ。詳しいことは。だが、任那少佐とは今しばらく縁を繋いでおきたい。幸い、あの後こうしたものを受け取ったのだ」
隼人が懐から取り出したのは、二名分の招待状だった。
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