王子と公爵令嬢の駆け落ち

七辻ゆゆ

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「夢……」

 ツァンテリは目を覚まし、なぜか濡れた目元を拭った。泣けるような夢ではない。ツァンテリにとって、むしろ幸せな時のことだった。
 アベルトと傍で話せたのは何度だろうか。せいぜい一年程度のことであり、いつの間にかそんな時間が取られることはなくなった。王家派も公爵派もそう望んだのだろうから、どちらが終わらせたとは言えないだろう。

「姫様、王家から書状が届いたそうで、朝食の席に皆さまをお呼びするそうです」
「そう。支度を頼みます」
「はい」

 朝から書状が届くなんて、昨夜のうちに王家は動いていたのだろう。
 メイドの言った「皆さま」とは公爵派の主だった顔ぶれのことだ。ツァンテリにとって、食事の席がそのような話し合いの場になるのは珍しいことではない。

 食事のためとは思えない華美な姿で広間に向かうと、すでに多くの上位貴族が席についていた。全員が男性で、女性はツァンテリだけだ。ツァンテリの母もこのような場にはいない。

 微笑みを浮かべ、優雅に席につくと、現公爵、ツァンテリの祖父が話し出す。

「王家から婚約破棄の通達が届いた」
「通達!?」
「確認でさえないとは、なんという、図々しい……」

 場はざわついたが、昨日のパーティでのことは情報共有されており、ある程度は予測されていただろう。

「もともとあちらが頭を下げて望むべき婚約だ。我々は最も濃い王家の血筋を要しているのだからな」
「まったくだ。奴らの知能の低さには恐れ入る」
「一応の王家という体裁を作ってやっているというのに、すっかり忘れてしまえる頭らしいな」

 強い調子の言葉が続く。
 その間、それぞれの席には毒見係がついて食事をした。食事は少しずつ減り、冷め、声を張り上げる彼らの唾が落ちた。ときにテーブルを叩くので、ソースやワインも飛び散る。

 このような「話し合い」の時には、マナーのことなど誰も頭にないようだった。
 その中でツァンテリは、まるで見世物のように一人、食事をした。毒見で不格好に減った料理さえ、美しく食べ進めていく。

 彼らは話し合いにツァンテリを必要としていない。
 だが公爵邸に来るのだから、我らが神輿が美しく健やかなることを確認し、士気をあげ、結束を高めたいのだった。
 もちろんツァンテリが望んでやっていることではない。祖父である公爵の指示だ。

「こうなればもはや遠慮などしてやる必要はない。即刻王家を倒し、正しい血筋を取り戻すべきだ!」
「そうだ!」
「姫の息子が王とならなければ、下賤な王家に存在価値はない!」

「皆々の気持ちはよくわかった。しかし……いささか時期が悪い」
「それは……」
「確かに……」

 拳を振り上げていた男たちが、急に熱を下げていく。
 すっかり冷めてしまったこの料理のようだとツァンテリは思った。

「収穫期前の今は兵糧が心もとない。出兵するとなれば、人手を失って収穫量も落ちるだろう」
「ぐぬ……運のいい奴らだ」

 出陣のために十全の時などない。いかに王家が愚かであり、倒すべきだと語ったところで、いつでも「時期が悪い」と結論し、こうなるのだった。

 実のところ公爵派のすべての兵力を集めれば、王家の打倒は成るだろう。上位貴族は下働きの者の人気はいまいちだが、傭兵・騎士たちには評判がいい。上位貴族は高貴なる義務として、広大な領地を守るため兵力を蓄えるという意識があるからだ。

 一方で下位貴族にとって軍備は、帰ってこない費用である。奪われるような大した領地もない。なのでできる限り安くあげようとしており、戦うものたちの評判の良いはずがなかった。

「ひとまずこの時は、兵力以外のもので王家を懲らしめてやれまいか?」
「あのような軟弱王子のために領民を苦しめては、こちらが愚か者になりかねない。仕方がない……」
「この時期さえすぎれば、目にもの見せてやろう」

 出れば勝てる戦だが、公爵派とて、無駄に費用は払いたくない。
 そして何より自領ばかりが兵力を負担し、たとえ王家打倒がなったとしても、そのあとの影響力を失うことは絶対に避けたいのだ。彼らは調子よく声をあわせているが、まったく心はひとつではない。

 そんなことより明日にでも王子暗殺が成れば良いと、そのような考えのものもいるだろう。

「では食糧を断つか。もとより誇りもないやつらだ、飢えれば従うだろう」
「いや、それは難しい。昨年は東部の収穫が良かった。王都のあちこちに余っているだろうから、入手できてしまうだろう」
「ならば医療品というのは? 兵力を削ぐことにもなる」
「確かに。去年、布地を抑えたから、包帯の類も備蓄が薄くなっているはずだ」
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